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7月, 2010の投稿を表示しています

My Summer Declaration

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馬鹿らしいほど暑い日がつづく。ここ2週間くらいがピークらしいが、しのぎどころなのだろう。スーツ姿にネクタイ締めて、いくら営業車をつかっていてもやはりたまらん。駐車場からビルに入るまでに、直射日光に衣装ごとかるくローストされる。焼き加減はオゥ・ヴルゥといったところか。 雪国ならではの仕掛け、「融雪装置」も夏にはこんな活用がある。照り返しのつよいペーヴメントに散水するのにもってこいの道具となるのである。水不足なんて事態を想定したこともない、地下水と拭く流水にとことん恵まれた富山県ならではの風景。 しかし暑中にあっても、人はクールに覚醒していくものでもある。二週間ばかり前にわが家へもたられた一果のリンゴは、私の意識領域を大きく変えつつある。 ご存知、iPad。当初は青空文庫で本を読んだり、妙にリアルなレーシングゲームをして喜んでいたのだけれど、twitterrocker と facebook をインストールしてから、このデバイスはブログやメールとはまた異なったコミュニケーションフィールドの扉をひらいてくれた。 私も小さいです。 SNSというものに、長くアレルギーを感じていたので、思い切って情報の渦に飛び込むまで3年の無駄な時間を過ごしたことになる。アレルギーの原因は、男の嫉妬ですな。恥ずかしいけど。細かい事情をお聞きになりたい方は、拙者と一献傾けていただきたい。 いささか過ごしにくいシーズンではあるけれど、この夏を自らのIT元年として、「そら、頭はでかいです、世界がすこんと入ります」とばかりに、意識のフィールドを広げていこうと思う。 ま、エラソーに見えるけど、要はこのPCとiPadを存分に使って遊んでみようってことで。おまけに力強い味方として、大規模容量のルータも入手したしね。Eモバイルや3Gと比較にならん速さなんである。使用できる場所が限られるのが難点だけれど、それは3Gと併用することである程度解消されることだし。 私にとってITとは、informeation  technorogy ではなくて、ijitteiruuchini  tanoshikunaru (いじっているうちに・たのしくなる)の略語なんである。遊ぶぞ~

Skulking little devil.

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私は酒呑みなので、肝臓のことについてある程度は敏感にならざるを得ない。先日も健康関連のサイトをサーチし、慢性肝炎の前駆症状を調べてみた。 ・強い倦怠感 ・総じてやる気がうせる ・不眠症 ・昼間の眠気 近来はネコも不眠症とか。 なんやこれ、自分の日常そのままやんけ。朝、出社してもなんだかやる気が出ない。昼間は眠気との闘いで、来客があったり、商談で外出でもしていないと睡魔がパソコンの画面越しに襲ってくる。特にコンプライアンス関係の社内法規、関連諸注意事項など読んでいると最悪である。 報告書の作成、各種車内申請書の起案なども、わりとギリギリまで手をつけずに抛っておいてしまう。肝機能の低下がもたらすのか、ものぐさになってしまう。 おまけにすぐ疲れる。ちょっと残業しただけで「あ~疲れた」とこぼす。肉体の疲労には甘いもの、精神の疲労にはアルコールと、これは有史以前からの決まりごとなので、きちんと履行する。つまり桜木町へ進軍する。気分が良くなるほどに杯を重ねること深更におよび、翌日がまた深い倦怠感とともに始まることになる。愚行の連鎖。 この夏は確かに暑い。例年は気温が上がってもせいぜい33℃くらいの富山市が、連日35℃を記録している。本日午前10時にベランダから撮影したものだが、暑熱感が伝わってはこないか。ってフツーには会社にいる時間だろ?ええまあ。別に二日酔いで半休を頂いているわけでもなく、失態を演じて自宅待機になったわけでもありません。労働者の正当な権利、年次有給休暇を取得しただけであります。 有給を取ったからって、どこかへ旅行へ行かなければならない訳じゃない。ひねもすのたりのたりして、日頃の肉体および精神の疲労を回復させ、新鮮な体力を企業活動における利益追求に行使せしめなくてならないのである。ああ企業戦士。 ところが、今日はお休みだとわかっていると、どうなるか。昨夜遅くまで呑んでいたのにも関わらず、まずは目覚めのいい起床に始まります。北日本新聞とスポニチを(なにしろ昨夜、タイガースが首位になったからねえ)、丹念に読み、きつね蕎麦の朝食をしたためる。 何しろ天気がいいから、布団を干し、その間に洗濯機を回す。シーツや枕カバー、布団カバーも取り替える。部屋の中がホコリっぽくなったので、いつもより入念に掃除をする。洗面所や台所の流し

凱風快晴

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昨日(7月24日)は、暑中晴天のなかゴルフに出かけていった。日本海は能登半島の富山側に位置する、氷見市にある氷見カントリークラブである。 海に面したシーサイドコースながら、丘陵の頂部にあるため、海風とあいまって正午近くのスタートであったにもかかわらず気温が30度をこすこともない快適なプレイとなった。 クラブハウスからコースへいたる経路から。氷見湾と市内を見下ろす。湾内に浮かぶ小島のあたりが雨晴海岸で、ここから海越しに眺める立山連峰は絶景である。もちろん、霞んでさえなければこのゴルフコースから遠望する立山も、双絶に価するとか。 季節的には11月上旬が最適であると、キャディのNさんが言っていた。ちょうどガンドブリ(ブリが成魚になるちょいと手前、60センチ~70センチ級のもの)のシーズンで、ブリよりちょっとコリッとした歯ざわりが最高だとか。ゴルフして、温泉つきの民宿に泊まって。 これが11月ごろの氷見カントリーである。日本海の海越しに3000メートル級の立山連峰~北アルプスを眺望する。これはぜひとも在阪のGB(ゴルフ馬鹿)を誘って再訪しなければならぬ。 コース自体は所謂ところの山岳コースで、アップダウンとドッグレッグが連続する。距離はないけれど、戦略性が必要となる。腕っぷしより首から上に課題が設けられた、富山で言うならばカメリア大山、関西で言えば日清都といったところか。 11番、池越えのショートホール。右側が氷見湾と氷見市街、左側が日本海で、カメラの倍率さえ良ければ富山市内が遠望される。さらにその背後に剣岳大日岳が聳え立つ。 このホールでは150ヤードを7番アイアンで(アゲインストだったので)打ち、グリーン左奥にワンオンしながら3パットでボギーとなった。1クラブ大きすぎたのだけれど、シーサイドコースにありがちな気まぐれな風で吹き戻されることを考えるなら、止むを得ない選択であろう。 人間はアタマに血がのぼると良くないので、このあと13番ホールでは、グリーン横のラフから放ったかなり絶妙のアプローチが、ピッチマークにはねられて、カップ右2メートルにずれてしまった。 バックスピンのかかる高いアプローチを打てるのは結構だけれど、最近はどうもボールマークをそのまま放置しているゴルファーが多すぎる。ポケットにいつもグリーンフォークを

単なるテロリストやんけ。

金賢姫は何者であるか。徹底的に訓練を施されたスパイであり、殺傷した人数ではギネスブック掲載もののテロリストである。その犯罪性と反社会性において、博徒やテキ屋野球賭博の胴元などどレベルが隔絶する。かような人物を、プライベートジェットで招聘し、元総理の別荘でもてなし、ヘリコプターで富士山観光にご案内とは恐れ入る。 拉致被害者と、その家族をネタにして、人気下降中の政権がヒューマニストぶりをアピールしたいのだろうが、あまりに低劣愚劣な安物の芝居である。おまけに費消される数億円のカネは、我々がおさめている税金なのだ。 平和ボケと、良識の欠如。つまらん世論調査の数字だけが心配事の、お気楽な政府である。倫理感覚が、民放のワイドショーなみの幼稚な思考レベルに、唖然とする。視聴者は、下らんワイドショーを、虚構と誇張のミラージュとわかって楽しんでいるけれど、国家を預かる人間が蜃気楼の中でモノゴトを判断しているのは、たまらんなあ。

ポスト構造主義のジャンジャンブル。

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先年亡くなった哲学者のレヴィ・ストロースは、構造主義の大家だった。「悲しき熱帯」などフィールドワークから、文明と知の構造を解明しようとした。彼の主張で面白かったのが、 料理手段と文明の進化。に関することだった。 「焼く」料理法は文明的に未開であり、それだけに儀式的である。「煮る」料理法は火と鍋の間に水なりスープなりが媒介するだけより文明的である。したがって、焼いた肉を煮ることはあっても、煮た肉を焼くことは文明の進化論的にありえないと。まあそんなことを述べておられたんですね。 懐かしの復刻缶。 正しき哲学の徒である私は、長いことその構造主義に準じて、煮込み料理の先験的手段として「リソレ」つまり、肉の表面を焼き固めて肉の旨味を封じ込めてから、やおらブイヨンなりカレーソースなりで煮込むことにしていたんです。 然るに、近日。薄切り豚肉とキュウリを炒め合わせる際に、薄切り肉どうしがひっつきあってしまい、場面を打開する間にキュウリに火が通り過ぎて歯応えをなくすという失敗をやってしまって。 翌日再度挑戦する際に、炒める前にいっぺん肉を湯通ししたらどないなねん、と思い達して試してみたんですね。中華料理の「油通し」のホリゾン的発想ですな。独身のキッチンで、リットル単位の油を使いこなすのは大変やけどお湯ならなんとかなると。 やってみるとこれが正解。軽く湯通しした肉はお互いがひっつきあう惨劇を演じることなく、一切れごとがインディビデュアルでありました。しかも、表面の脂が流れ落ちているんで、味の沁み込みががまるでプロのようで。欣喜雀躍。 ポール・エマンセ・ソース・オ・ジャンジャンブル・アラ・ポスト・モダニーズ 今夜は生姜焼きを作って、ビールに焼酎を呷っていたのでありますが、同じ手法で、ポスト構造主義的に調理したおかげで、メシより酒にあう、奇跡的な生姜焼きになりました。 常識っていうヤツと、おさらばした時に、自由という名のキップが手に入る おおハッピーじゃないか~ 年がバレますね。

アイ ラブ 餃子

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会社帰りに本格派とは縁遠い「ニッポンの中華」へ立ち寄り、ギョーザ・レバニラ炒め・春巻などをアテに同僚数名とビールをうぐうぐやるのは、サラリーマンの楽しみ(のひとつ)である。刺身が苦手で何にでも火を通して食べたがる、およそ富山県人にふさわしくない嗜好のもちぬしなので、中華は大歓迎であります。 中に措いて欠かせざるものがギョーザ。焼きたてのアツアツに、ちょっと冷えすぎのビール。こたえられませんな。 富山駅前・CICビルの裏手に、県内における餃子の名門「餃子会館」がある。市内に3店舗を展開するが、いわゆるチェーン店ではなく同族ないし暖簾わけのタイプにみうけられる。夜9時半まで営業しているから、ちょっと帰りそびれた日など、自炊するのも面倒な時に縷々愛用する。 ここや、駅前シネマ食堂街の「粋宏閣」など、いずれも清潔感に関しては昭和30年代の「中華屋」レベルで、用心しいしい歩かないと床の脂でスリップしかねない。もちろん食卓にメルセデスベンツなら黒塗りのCLEクラスに良く似た昆虫が出現しても、吃驚してはならない。 ひとりで食べるときには、ギョーザに野菜炒め・スープ・小鉢・漬物・丼飯の「定食セット」を注文する。これにキリンの大瓶ビール(もちろんラガー)を一本。富山の地ギョーザはニンニクを使わないので、我ら営業職にも安全である。週末やスタミナ上の課題など、別の理由があれば卓上にある刻みニンニクのオイル漬けを好きなだけぶっかければよろしい。 昨日はめずらしく同僚と出かけたので、ギョーザにビール、野菜炒めに麻婆豆腐まで発注した。色あくまでも浅黒く、イワトビペンギンのごときヘアスタイルの何樫君と、ビールで乾杯。ネパール名物にして世界的出稼ぎで知られる、グルカ兵みたいな男である。 相手が勇猛果敢なグルカ兵でも、紅衛兵でも、クメール・ルージュでも、仲間と傾けるビールは別格である。会社人事の噂ほど、酒のツマミに相応しいものもない。もとより、独棲無窮ゆえに月下独酌を忌避するものではないけれど。

再起不能

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昨日の敗戦ショックから立ち直れない。投壊現象をおこしていた巨人軍投手陣を、この際徹底的に痛めつけるための3連戦なのに。鉄壁を誇った中継ぎ陣が、延長に入ってまさかの3失点。長野が出てきた段階で、嫌な予感がしたんだがなあ。 巨人の不調は投壊にくわえて、12球団日の1・2番コンビである坂本・松本がスランプに陥っていることも原因である。ゆめゆめこの二人が自信回復するような不用意な投球をしてはならない。小笠原やラミレスの一発など、その裏に打ち返してしまえばそれで済む。しかし坂本・松本が出塁して投手の精神をかき乱し、長野や脇谷などがしぶとくタイムリーを放ったりすると心理的に追い込まれてしまう。 原監督は、もっと現役時代の淡白な打撃を選手に伝授すべきである。阪神4番の新井に秘伝を明かしてどうする。何の意図も考えられない、ランナー1・2塁での中途半端なショートゴロ。高校生でもエラーのしようのない6-4-3のダブルプレイ。ああいう精神力の欠けた打撃をさせたら、原辰則は天才的だった。覚えていますよね、皆さん。 12回の裏、失望と虚脱のうつろな目で画面を追いかていると、鳥谷様の2ランが。でも一歩及ばず。これがまたくやしい。完敗ならかえってアキラメもつくんだけどね。 監督!今夜は頼むで! 戦いに情けは無用である。水に落ちた犬は石もて打てともいう。捲土重来、今夜こそ重量打線爆発で、許し難き巨人軍を完膚なきまでに叩きのめし、戦意を喪失せしめることが肝要である。

賢愚 は4000年を超越する

別に民主党を支持するつもりもない。しかし今の国政は、紀元前ギリシャはアテナイの衆愚政治とオストラシズムの混乱に匹敵する。国民が耳ざわりのいい施政者の言葉に妄動すると、国家の基盤は何処へやら、長期の展望なき政体になり果てる。 まあすでに欧米の一部メディアでは「劇場型政治の終焉はいつだ?」と、問いかけてきているようだけれど。 挙げ句のはてに、歴史上の多くの実例では、政局の混乱と経済の破綻の末に、軍人政権かファシズムの到来が繰り返されてきた。最近ではワイマール憲法下のドイツにおけるナチス党とか。 4000 年来にわたる. 「愚行の連鎖」の轍を踏まない賢明なシトワイヤンでありたいと思う。。

リンゴ初体験

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たぶん初めてパソコンに触れたのは1988年だったとおもう。会社で5~6人のグループに一台づつコンパックのノートブックが支給された。売り上げ集計や市場データを解析する端末は、入社3年目ざっと25年前から設置されていたけれど、ネットに繋がって外部と交信できるようになったのは、昭和最後の年・ソウルオリンピックが開催された1988年であったと記憶する。 その頃には、理数系出身を中心にして、ごく初期のアップルコンピューターを所持している一群の人たちがいた。キーボードに素早く指を走らせて、データ通信やゲームの取得を平然と行なっている姿を見て、異郷に棲む異能の集団だと思ったことだった。 さいわい、高校時代から英文タイプライターになれていたので、ブラインドタッチまでは早かったけれど、いくつもあるファンクションキーは未だに人外境のここちがする。ちなみに、ざっと30数年前の高校時代、モテない文系男子学生は、さも英語が出来ると言わんばかりに、こぞって英文タイプライターを入手したものである。オリベッティのレッテラシリーズが「モテ筋」だった。 さて、最初に触ったのがマイクロソフトだったので、私はいとも簡単にビルゲイツの信者になった。ローンで買った最初のPCは富士通のFMVだったし。思えばアクセサリー込みで40万くらいしたもんなあ。それからNECのVersaProへ、そして現用のmsiへ。買うたびに値段が半減して、時代の流れを財布で感じたものだった。 マイクロソフトとグーグルが、それ以降ざっと12年、干支ひとまわりほど私のパートナーであったわけで、マックを使う人間は、クリエーティブな仕事をする方たちだけだと信じ込んでいた。 わが家のリビングである。今夜は不本意な結果に終わった阪神・横浜戦を見ながら、自炊で仕立てた夕食で晩酌をしてのだけれど、そんなことはどうでもいい。画面右下にご注目いただきたい。 ついに手に入れたんだよねえ、ipad を。秘術を尽くしてapple直営店から予約して、申し込みからざっと3週間。手間を厭わずご協力いただいた、とてもたいせつなひとには人語に尽くせぬ感謝を述べなければならない。ありがとうございました。 ビルゲイツも凄いけれど、スティーブジョブスも凄いですねえ。アプリケーションの立ち上がりといい、スクロールの明確さといい、やっぱりあ

北浜あたりのダブダブ文化

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馬齢を重ねて50年。人生のハーフターンをすぎると、無用の我慢などしていられない。もはや食事は快楽のためであって健康のためではない。食欲旺盛に好きなものをがっついていられるのも、食道ガンや大腸ガン、その他痛風・糖尿・慢性肝炎にかかるまでのわずかな年数でしかないから、食養生など関係なく、好きなものを食って生きている。たぶん、独身にして独居生活がそれに輪をかけているに相違ない。 私の畢生の好物に「すきやき」があって、いつでも食べたいのだけれど、とりわけ富山市でこれを食することはなかなかの難事である。 グーグルで検索しても、市内にすき焼きを提供する店が皆無に近い。しゃぶしゃぶの専門店なら何軒でもあるのにね。そういうわけで、思い立って出かけるわけにはいかないんである。 おまけに、こればっかりはひとりで食べるわけにいかない。スキヤキは小鍋立てで粋に楽しむものではないような気がする。湯気を浴びながら中の良い友人知人と談笑し、顔は笑いながらも、鍋の中の肉の残量にすばやく目を走らせて、おのれの胃を満たすだけの肉片を確保にかかる。これが醍醐味で、見えざる争闘が味覚に一層の磨きをかけるのである。ゆえに吾人は「食べ放題」の店に近寄ったりしてはならない。興を削ぐこと必定である。 もっとも市内に一軒だけ「はやし」なる名店があって、法政大学野球部出身のご主人が店を切り盛りしているのだとか。ぜひ参上したいものの、他にも難条件はあって、周辺を誘うと「すき焼きは甘いから太る」とか「店が遠いからいやだ」とか、ネガティブリアクションばかり伝わってくる。誰か一緒に行ってくれないかなあ。 普段は脂濃くて敬遠する霜降り肉も、スキヤキにするとおいしいと思う。肉から溶け出した脂が葱や焼き豆腐に絡み付いて、その味を二段階ほどもメタルモフォーゼさせる。翌朝、細かい肉片やら豆腐のかけらやらがへばりつく鍋に冷やご飯投入して、ぐしゃらぐしゃらかき混ぜて再加熱したものも至味である。肉が上質であるほどこいつは堪らぬ魔味となる。宴果てて翌日に、冷酒の一本とともにこいつを差し出すような女がいれば、人生もまだ捨てたものではないかも知れぬ。 すき焼きに使う葱は、できることなら関西風の青葱がのぞましい。京都の九条葱が入手できれば最高である。葱に、焼き豆腐、丁子麩。それくらいでシンプルに仕立てるほうが私

神のお告げか沈黙か。

iGoogleのガジェットを整理していて、グーグル一派のご推薦という星座・タロット占いを導入すすることにした。大体にして、占いというやつが好きなんで、「めざましテレビ」「北日本新聞・今日の運勢」のふたつは欠かさず拝見することにしている。 「めざましテレビ」の占いは、日本人の15%くらいが信奉しているのでないかと言われる。出勤通学前に「今日の占いカウントダウン」を見て一喜一憂する。12位だったら、お昼時にそういえば今日のお助けメニューはホウレン草だったなあ、などと思い出して定食屋で一品追加したりするのである。 残念なことに今日は日曜日であって、カウントダウンを確認できない。 北日本新聞の「今日の運勢」はランキング形式でないだけ、深刻度が希薄である。恋愛系の指針よりも家庭道徳的なものが多く、たとえば一昨日など「道端の名も無き花に目を止める余裕の好日」とあった。朝の6時から夜は9時近くまで仕事に追いまくられたのだけど、きっとどこかに「余裕」と「好日」があったのに相違ない。 本日のご指針は「面倒ごとが。それを越えればスイスイと」とあった。じつのところ、日曜というのに今日もお仕事である。現場の仕事なんて、地雷原を歩くようなもの。面倒ごとの火種は数え切れないほどに埋伏している。あぁ天よ我に七難八苦を与えたまえなどとは決して言いませんから、しかるべき逃走経路をご教示のほどを。 新規参入のグーグルご推薦はさすがに外資。英文である。 魚座 By  Rick Levine Something is about to change, but you can't quite put your finger on what it is today. Meanwhile, your emotions are raw and you are tired. You're on edge because you cannot express what you feel. Instead of trying to describe your perspective now, keep in mind that actions speak louder than words. If necessary, you can always explain yoursel