投稿

6月, 2011の投稿を表示しています

北陸本線ピンポン生活

イメージ
ここんとこ出張づいちゃって。大阪が本社の会社に在籍して富山の営業所に転勤していれば、月に一度くらいは往還するのは普通みたいやけど。この数週間と言うものは月に一度どころか毎週のように北陸路を往復してる。サンダーバードは旅行するにはいい列車なんでしょうが、仕事の出張に使うのは厳しいものがあるんだけど。


何と言っても在来線特急は植民地サイズの狭軌(線路幅1067㎜)でそのうえけっこうな速度で飛ばすから、揺れるのなんのって。平均時速は130キロだもんね。とてもパソコンを持ち込んで仕事をするのは無理。山岳地帯を縫うように走るんで、通信事情も悪い。wifiなんて考えられない。3Gもつながらない区間が多い。これじゃビジネスユースはあきまへんなあ。

しかたがないから社内ではもっぱら読書と居眠りで過ごすことになる。先週末(6月24日からの2泊3日)出張ではこんな本を持ち込んだ。


出張に出かけるときは重い本と軽い本をそれぞれ持ち歩く。小難しい本を読みたくなるタイミングというヤツがあって、そんなときにかような本をひもといたりする。今回は「重い本」として重量は軽い岩波の赤帯を持っていた。

フランス革命を、3部会時代・ジャコバン独裁時代・ナポレオン第1・第2帝政時代の、4つの時代にわたって権力闘争を生き抜いてきた男、ジョセフ・フーシェの伝記である。ナポレオンに対してかなり意地悪く、悪態まじりの筆致が楽しい。作者はシュテファン・ツヴァイク。ユダヤ系インテリの彼は、ナチス/ヒットラーから逃れながら、同じ独裁者のナポレオンを操った男に思いを馳せたのかもしれない。


軽い本が重い本。こっちは小説新潮に連載されていた北村薫の酒飲み小説「飲めば都」。新聞の書評で発刊されたことを知るや即刻アマゾンに発注していたもの。大酒飲みで酒癖もほめられたものじゃない女編集者・小酒井都が、仕事に磨かれながら酒品も人格も成長していくお話。ハードカバーでそこそこページ数もあったのに、あっちゅう間に読んでしまった。北村薫はミステリーもいいけどこんなオトナの童話もうまいですねえ。

ところで帰路にJRがやってくれました。摂津富田駅で人身事故。おかげで乗るつもりだった12時42分大阪発のサンダーバードは臨時運休になっちまうし。結局何とか乗った和倉温泉・金沢行のサンダーバードも40分遅れで発車して、しょっちゅう停車しながらの運転で。


ラーメン三都物語 蘭州~大阪~富山

イメージ
ラーメンは昔から大好き。正調麺喰い男などと自称して、日本国内はもとより世界各地で機会があればその土地の麺類を食べてきた。どれが一番うまかったかって?中国なら蘭州で喰った「蘭州牛肉麺」がよかった。回教徒の麺だから豚は当然使わない。サッサッと手延べして、打ちたてをいただく。


こんな感じで1本が2本、2本が4本、と倍数的に増えていき繰り返すこと6たび、64本になったところで茹で釜に投げ入れて2分ばかりでゆで上がる。やっぱり麺は打ち立てゆでたてが一番。スープは牛骨と屑肉からとったあっさりしたもの。そこへ辣油と山椒油をけっこうたくさん流し込むんだけど、香菜のおかげかあまりしつこくない。


かつては蘭州を中心に河西回廊沿いでしか食べられなかったこの麺も、中国の富裕化につれて全土に広がっている。さながら昭和ニッポンのサッポロラーメンのごとし。

日本国内でピカイチとなればどこのラーメンでしょう。私が好きなのは大阪市北区中崎町の「総大醤」で、開店以来のご贔屓。当初は閑古鳥が鳴いていたのに、いまや長蛇の列になってしまって、おいそれと行けなくなった。


魚介類と豚骨のダブルスープで、私は大好き。食べログの評価は星3つ半でイマイチだけど。この店の前の通りは、4車線もあるのに突然一方通行になるナゾの道路で「探偵ナイトスクープ」にも出たことがあるらしい。クルマで行かれる方はご用心を。

富山のラーメンでは、いつも塩分過多な「富山ブラック」とかトウガラシで真っ赤になった「無鉄砲」とかをご紹介しているけど、いっつもそんな過激なもんばっか喰ってるわけじゃなくて。


富山駅北にある「まるたかや」のラーメン。ここも大した人気店なのでいつも行列にめげて入店を諦めている。で、時分どきをはずして訪問し、スープと麺とメンマ、チャーシューの入ったセットを購入して自宅で仕上げることになる。ラードの小袋も入ってるな。あとモツを油で揚げた大阪で言うところの油カスも。そのまま作ると相当に濃厚なんで、ラードを入れずスープをすこし出し汁で割る。ちょっと「和」のテイストを足して。チャーシューも自家製をさらにトッピングしている。胡椒と辣油をくわえていただけば、これはこれでなかなかの逸品。

大阪B級ざんまい

イメージ
大阪出張中なう、って感じ。土曜日に京都経由で。サンダーバードで3時間半の乗りっぱなしはしんどいので、ちょっと途中下車して気分を変える。京娘と木屋町でビール飲んで生酔いになって。そのあと大阪に入ってからも呑んでおったなあ。困ったもんだよ病気快癒するなりエンジン全開。


ワイワイ騒いだ翌朝はハラが減る。夜はあまり食べないので活動した分だけ起きぬけは腹ぺこだ。定宿がいっぱいだったから会社に押さえてもらったホテルビスタ堂島は、北新地のすぐ近くと絶好の環境だから何につけても便利がいい。で、朝飯は手早く量感勝負に出た。吉野家で牛丼とけんちん汁。朝っぱらから無用に攻撃的なお食事やね。

お昼は会議室に閉じ込められたまま、あてがいぶちの幕の内で退屈そのもの。わがままだから、お仕着せって嫌いなのさ。夜は打ち上げってわけじゃないけど、またひと騒ぎして、酔眼朦朧で気が付いたら珉珉で餃子とビールを前にして呆然としていた。あまり食べずにビールばっかり飲んでいた気がする。そのいっぽうで、熱心に餃子のお代わりを重ねていたのは坊主頭の偉丈夫・某氏。よう食うわホンマに。深夜のダダイズムなり。

ホテルに帰ってから「新潮」7月号の絲山秋子「不愉快な本の続編」を読んだ。160枚の力作なり。カミュの「異邦人」を下敷きにした不条理小説。富山も舞台の一角を担っていて、なかなかしっかりした取材ぶりがうかがわれる。同載の柄谷行人「哲学の起源」もえがった。自由民主主義の起源をアテネのデモクラシーでなく、イオニアのイソノミアに当てているところが斬新。

しかし酒飲んでややこしい本読んで寝たりすると、当然ながら朝は頭痛に襲われる。二日酔いには汁物ときまっていて、大阪駅前第1ビルB2の「つるつる庵」にて、刻み蕎麦に昆布を乗っけて390円。揚げ玉が入れ放題なのが嬉しいね。七味をどっさりかけて召しあがる。朝のシンコペーション。


お昼は前夜の打撃からまだ立ち直りきっていない(ように見受けられる)諸氏を糾合して、西新地「ずんどぅふ・まん馬」へ。ようするに韓国の唐辛子鍋である「ズンドゥブ」ですな。こいつの「激辛」のさらに上、100円追加して「別辛」を発注する。いい色してまんな。一汗かいて身体とココロのデトックスをして、さて昼からもうひと仕事。終わったら富山に帰るから待っててね、まっくん。

1978年 白いページの中に

イメージ
1978年4月に私は同志社大学文学部哲学倫理専攻科なるところへ入学した。同時に親元を離れて爾来33年間、いっときを除いて故郷に定住していない。3分の1世紀をかけて京都~神戸~大阪~富山と渡り歩いてきたことになる。




人の精神史において、礎石となるべき年があるとすれば私にとっては1978年がそれにあたる。兵庫の片田舎の高校から文字通り上京(同志社は京都だから)して、しかもクラスメートは奇人変人ぞろいの哲学科。アタマの中身がゲシュタルト崩壊してしまっても仕方ない。


良きヒトの子であった私はこの年を境にして、怪しきアナーキストとしての人生を歩み始めたのである。


1978年の出来事。
【政治・社会】
5/1  過激派による管制塔不法占拠などを経て、成田空港が開港
6/2  日本航空115便が尻もち事故。この機体が7年後の8月12日に御巣鷹山に墜落する
6/12 宮城県沖でマグニチュード7.4の地震  
9/30  京都市電廃止 以後地下鉄完成まで幾年かかったことやら
12/7  第1次大平内閣発足


見習え。管直人
大平正芳は、三木内閣時代に大蔵大臣を務め、20年ぶりの赤字国債を発行してしまったことをのちのちまでに悔やんでいたという。国家財政の赤字体質が何をもたらすかを先見していたのだ。消費税は財政健全化のための秘策であった。しかし後継者の中曽根康弘は、バブル経済の中で税収の永久拡大を夢見て、大平の思いを踏みにじり、財政拡大の大愚挙に出てしまった。以後わが国の凋落ぶりは皆様のよく知るところ。

【芸術・文化・スポーツ】
・プロ野球 セ・リーグ ヤクルトスワローズ初優勝
・プロ野球 クラウンライターライオンズを西武グループが買収 
・サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」でデビュー
・キャンディーズ、フォーリーブス、南沙織が引退


当年57才

ヒット曲
・サウスポー、モンスター、透明人間 ピンク・レディー
・HERO 甲斐バンド




・宿なし、銃爪 世良正則とツイスト
・頬笑がえし キャンディーズ
・時間よ止まれ 矢沢栄吉
・乙女座、プレイバックPart2、いい日旅立ち 山口百恵
・Mrサマータイム サーカス
・かもめが翔んだ日 渡辺真知子
・飛んでイスタンブール モンテカルロで乾杯 庄野真代
・季節の中で 松山千春
・リンゴ殺人事件 郷ひろみ&樹木希林

体内同時多発テロ 五十肩と帯状疱疹

イメージ
もう十日ほど前になるのか。掻痒感で目が覚めた。背中がかゆいとか脇腹がかゆいなんてのはたまにあるけど、臀部のかゆみってひさしぶり。前日ゴルフに行ってたから浴場で蚊にでもさされたかとおもって、ボリボリ掻きながら起きだした。しっかし蚊にしては腫れが大きいので、とりあえず液状のムヒなど塗布しておいた。ムヒヒヒ。




私の朝の目付きなんてこんなものである。連夜の深更にわたるご活躍で、寝不足と二日酔いが三白眼に不機嫌のスパイスをたっぷりとふりかける。賢明な人間はだから午前中には拙者にアクセスしてこない。まあそんなことはいい。臀部の催痒感をごまかしながら出社して、それから四日間、宴席が続いた。生真面目なたちなので、お客様・お取引先・同僚先輩部下後輩とのツキアイにおいていっさい手を抜かないから、朝の三白眼にさらに磨きがかかっていたということだ。




乱脈の日々が終わって、ちょっと落ち着いた週末の朝。どうにも大腿の付け根あたりにごわごわしたものを感じたので、おそるおそる手鏡で覗き込んでみた。お肌がきれいなことで定評があったはずなのに、臀部の頂点部から柔らかくもややこしいあたりにかけて無数のクレーターが帯状に出現しているではないか。あなおそろしや。ほんとに。


ネットで検索してみると「ヘルペス」「帯状疱疹」のご指摘が多かったけれど、中には「性病ヘルペス」とか「HIV」「皮膚がん」とか過激な検索結果も出てきて私を脅かした。




性病ヘルペスなんて、あんた。罹るいわれがございません。HIVだって人間ドックで無罪証明済みやし。たぶん単純ヘルペスか帯状疱疹か。どっちにしてもあまりありがたくない病気である。いずれも疼痛を伴うというのが、痛みに弱い男の子としてはゾッといたしませぬ。おまけに五十歳を越えて罹る帯状疱疹はタチの悪い神経痛を伴うらしいし。




そういえば、先週の中頃から右上腕部から右肩にかけて電流が走るような痛みが断続的に発生していた。アレが帯状疱疹による神経痛というやつなのか。


ややこしいところに展開している「患部」は多少の痛がゆさがあるものの、上腕の痛みは時を追って甚だしく、レベル的にかつて経験した尿管結石に匹敵するかと思われるほどに成長した。ここに至って医者嫌いでクスリ嫌いの私も覚悟を決め、月曜の朝一番に皮膚科をおとずれることとした。




病院は先陣取りが原則。午前七時半から受付開始の皮膚科病院へ七時二十五分に到着…

3月11日の誕生花 ミヤコワスレはピンク色

イメージ
キャディバッグを新調した。51歳のオッサンが何するねんと言わんばかりのピンク色。前の赤いヤツが日焼けで色あせてしまったので。そう、40代は「燃えるような熱いプレイ」をモットーにして、ウェアから用具まで真紅で統一しておりました。石川遼のエピゴーネンにはあらず。今思い起こしても40代はありえへんような激動の10年間でありましたから、自身を鼓舞するために強烈な色が欲しかったようで。



ところが私、五十路をめぐる頃からだんだんピンクに惹かれるようになって。会社の名刺はウラの色を100色から選べるようになっているのだけど、何を考えているのかこんな名刺で仕事しています。




ちょいと社名だけはご勘弁いただいて。このピンクの名刺は相手に覚えてもらうには便利なんで、当分使い続けるつもり。名刺にあわせて名刺入れも同色でそろえている。黒いブコツな名刺入れから可憐な色を引き出すほど趣味は悪くないから。




着るものなんかにも桃色主義は波及をやめず。ネクタイはピンク系が多く、次いで紫色にダークブルーとなる。さすがにスーツは黒か紺。ピンクの上下で出社してみたい気持ちもないではないが。定年のその日にやってみようか。



こんなだから、足回りまでピンクを採用する。ジーンズやチノパンにあわせてこんなシューズを履いたりもして。前にいっぺんポロシャツからチノパンから靴に至るまで同じピンクでそろえたこともあったけど、周囲の反応は相当に冷たいものがあった。淡い同系色だけの組み合わせはよほど顔の彫りが深くないと似合わないらしい。




私の誕生日は3月11日である。日本史の中でも忘れられることのない強烈な日となってしまった。この日の誕生花がミヤコワスレで、ピンクのかわいい花が咲きそろう。ピンク以外にも、青・青紫・白の発色もあるけれどピンクが一番可憐に思われる。演技かつぎじゃないけれど、50代の日々は誕生花の色に守られながらせめて平穏に、との願いを込めて。




もともと日本国内の山野に自生していたものが、園芸用に改良され茶花にも使用される。学名はキク科のミヤマヨメナ。開花時期は5〜6月でちょうど季節の花でもある。承久の乱で佐渡に流された順徳天皇が、この花を見ていると都を忘れることができると言われたことでこの名がついたとされるけど。


浪速のみやこから越中富山へ引っ越して1年と8ヶ月。私は別にミヤコワスレに望郷の念は託しておりませぬ。県民の皆様に…

伊代はまだ16だから~の頃

イメージ
昭和の唄ってゆっくり歌えるからいいよね。最近のJPOPSなんか、あわただしくってわしらくらいの年齢になるととてもおいつけない。青少年だった頃、両親が「最近の唄はみんな同じにしか聞こえないし、歌手もみなおんなじ顔に見える」と言っていたのが良くわかる。AKB48の前田と大島の区別が私にはわからない。

私にとっての昭和の唄には、庄野真代も伊勢正三もいるけれど、なんといってもこの唄なんです。それも松本伊代のカヴァーで。杏里とか尾崎亜美だとせつないよりも恨み節ぽい。艶っ気がありすぎるんやね。それに比べりゃ伊代はまだ16だから~なんて言っていたころの頼りなげな声調で歌うこの歌詞が、ちょっといじらくて。

お気に入りの歌 一人聴いてみるの
オリビアは淋しい心 なぐさめてくれるから

ジャスミンティーは 眠り誘う薬
私らしく一日を 終えたいこんな夜
出会った頃はこんな日が来るとは思わずにいたMaking good things betterいいえ すんだこと 時を重ねただけ疲れ果てた あなた 私の幻を愛したの


ジャスミンティーって眠りを誘う薬なんやろか。まだ頬にニキビの残る年代の、不眠症とか睡眠障害と縁が無くって、親に起こされるまでぐうぐうと太平楽に寝ていられたころはそうおもった。現実のジャスミンティーはきちんとお茶なんで緑茶並みのカフェインがあり、睡眠前の飲用はよくないでしょうな。

眠れぬ夜は 星を数えてみる

光りの糸をたどれば 浮かぶあなたの顔
誕生日には カトレアを忘れない
優しい人だったみたい けれどおしまい夜更けの電話 あなたでしょ話すことなど 何もないMaking good things better愛は消えたのよ 二度とかけてこないで疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの



富山に引っ越して、夜空はゴージャスになった。光の糸であなたの顔をたどるには足らんけど。大阪市北区南森町なんてとこに住んでいてはオリオンの三ツ星すら視認できませんした。富山市の中心部に住みながら、なんとかポーラースターも見分けられます。
夜更けの電話って、きっと固定電話なんでしょうね。携帯電話が完全普及してから「電話がかかってくる」ことの意味は完全に変わってしまったし。でも、時代が変わったとしても、それでも唄の重さは変わらないよね。きっと。

銀座の恋のものがたり

イメージ
相変わらず銀座は暗かった。オトナの銀座。私はこんな街の方が好きだな。路地の暗がりから暗がりへと伝い歩いて、穴蔵のようなもしくは巣穴のような隙間に潜り込む。そこここに夜の匂いが満ちている。

昔かよっていた店が何軒かなくなっていた。20年来の先輩と「あそこも店を閉じたんや」「ここは田舎に帰りはったんや」と会話しながら歩く。どこか赤塚先生と風貌の似た先輩は上京以来30数年が経つのに言葉のイントネーションから「関西」が消えていない。そうか、産地直送の野沢菜がおいしかった「たくみ」も、日本バーテンダー協会の重鎮が経営していた「スミノフ」も閉店してしまったか。

銀座の夜の風鈴売り。カメラを向けたら「撮影料1,000円」と言われた。千円札を渡してシャッターを切った。そのまま歩き出すと、後ろから追っかけてきて、風鈴に造花の花束を押し付けてきた。この風鈴はコリドー街の名も知れぬバーで今夜もちろちろ鳴っているだろう。

汐留〜新橋〜銀座と(呑み)歩いて腹も減ったので、大好きな「支那麺 はしご」へ。この界隈で呑んだあとのシメは必ずこの店へ。「だんだんめん・中辛」を注文する。ご飯も少々。ここの赤いラーメンのことは昨日ご紹介したので省略。

特筆すべきはこの店に常備されている刻みたくあんで、歯ざわりが抜群である。これを白ご飯の上にこんもりと乗せて、大口あけてあんぐりと頬張ってコリコリポリポリやるのを上京の大いなる楽しみとする。商品名を竜馬たくあんと言って、業務用にしか売っていないのが残念至極。2キロ単位なら売ってくれるらしいが。

店を出たら路上にこんなものが落ちていた。日本以外の国であれば、鞄はすでに持ち去られているだろう。ただし国内でも大阪市天王寺区の一角は別。鞄だけでなく靴も姿を消しているでしょう。そして翌日には通天閣の下、泥棒市で売られることになる。巴里みたいや。

三井ガーデンホテルの窓から見下ろした朝ぼらけの銀座。まさしく数時間前に徘徊したあたり。古戦場に懐旧の情がしきり。週に2〜3回はうろついていましたもんねえ、ひと昔前までは。あえてホテルで朝食をとらず、路麺の名店「小諸そば」でかきあげそばといなりずしを食べた。朝から喰いすぎか。

この日の午後は東京會舘で業界の集会があり、富山県代表で出席した。たくさんの懐かしい顔にあう。みなさんお偉くなって。かつての悪童ぶりを知るだけに、「取締役東京支社長」とか…

シャア・アズナブル的食生活 麺類界の「赤い彗星」めざして

イメージ
アズナブルと言ったって、「アズナブル流しながらこの手紙書いてます」のシャンソン歌手のそれではない。わしら昭和後期生まれにとってのアズナブルはこの先生に決まってる。




ご存知「赤い彗星」ことシャア・アズナブル。本名がキャスバル・レム・ダイクン。あのジオンの息子ですね。ルウム戦役では連邦の戦艦5隻をザク1機でしとめ、両軍の一兵卒にまで名を知られた男。彼の乗機はつねに赤く塗られていた。ガンダム世界での永遠の敵役にしてスーパーパイロット。泣虫小虫のアムロよりカッコいいもんね。






だから私のゴルフウェアやゴルフバッグさらにクラブのシャフトはすべて赤で統一されております。石川遼のエピゴーネンではございませぬ。また、衣装や持ち物(名刺と名刺入れはシャアのセカンドカラーであるピンクに統一)だけでなく、斜め45度でモノを見る態度とか女性に対する依頼心の高さとか、皮肉まじりのモノ言いにいたるまで、ライフスタイルにおける影響度は石津謙介先生に匹敵するものがあったりして。


そうそう、私の奇異と言われる食生活もまた「赤い彗星」なんです。日々同僚友人取引先に驚嘆の眼で見られております。もはや唐辛子の摂取量は韓国人を抜き去り、ブータン人に肉薄してるかも知んない。特に麺類においてその傾向が強いようで。




富山市山室の麺飯屋「醤」名物は「四川麻婆畏麺」。まあ麻婆ラーメンの鍋焼き版ですな。辛いことはもちろんのこととして、とろみがキツいんでいつまでも熱いのなんの。刺激に熱さに塩分に。食道ガンの発生誘因三重奏といった凄みがええ感じ。




当サイトにはしばしば登場する銀座「支那麺はしご」の「だんだんめん」。今週の月〜火曜日は東京だったんで、久々に喫食しました。先輩と飲みに行った帰りに一杯。翌日の昼飯に一杯。連食に誘われる魔性の味がいたします。
いずれも「中辛」で。ここは辛さを辣油の量だけで加減するから、「大辛」だと油脂分過剰になります。
入社4年目からのお気に入りなんで、通いだして四半世紀。その間にバブル経済あり昭和天皇崩御あり阪神大震災あり。リーマンショックから抜け出したと思ったら、今度の大災害。ああ一杯の担々麺の中に歴史あり。




昨日の昼メシ。富山市二口町の中華料理「高尾」で「激辛担々麺」750円。これとカレー炒飯を頼んで、炒飯は同僚とシェアして喰いました。中華のスパイスとインドのスパイスが十重二十重(とえはたえ)に響き合って…