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日帰り出張禁止法令を願う。新幹線のマナー。いい加減にしろ阪神。サバ缶の奇跡。

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体調が復帰するとともに、仕事も入ってまいります。定年前のひととき、最後のご奉公でありますね。「働き方改革」とかで現在の定年制度があちらこちらで検討されているようなので、定年がもっとあっちの方へ行ってしまうかもしれませんが。伊丹から東京まで、富士山を見下ろす席を取ったのだけど、春霞でほとんど見えず。 経費節減のおりから、東京〜大阪はなるべく日帰りにするよう意識しています。還暦前の身体にはちょっとツライものがありますけどね。財務省あたりが音頭をとって「日帰り出張禁止令」と「それに伴う経費の課税免除」をやれば、随分と消費の底上げになると思うんだけど。 夜の「のぞみ」でさえもほとんど満席なんですよね。日本のサラリーマンは大変なんだなあ。ただやめてほしいのは座席でムキになってPC作業をやること。「オレ、多忙なんだよね」と自己アピールしたいのか、そういう御仁ほど、親の仇みたいにキーボードを叩くから、耳障りなことこの上ない。せめて周りに気遣って柔らかくキーを打つならまだ許せるんですけど。 昼飯にかける時間が減ってくると、ビル地下の「インデアンカレー」に頼ることが多くなります。もともと大好きなので(中毒性があるとしか思えない)、連日通ってしまうことになります。ご飯とのマッチングもいいのですが、茹で置きのスパゲティを炒め直してのカレースパゲティもなかなか。ちょっと喉に詰まる感じがいいのです。 タイガース。どないなってんねん。いっとき首位に立ったことがあるけれど、そこからは奈落の一途。四球でランナーを貯めて、ガツン一発を食らって大量失点。こればどう考えても梅ちゃんの問題ですよね。単調なリードと、投手の実力も考えずにコーナーばかり配球してくる能天気さ。フィジカル的に素晴らしい選手なのだけど、プロの捕手は首から上が大事なんでね。奥さんのいなくなった野村家に住み込み手伝いに行って、修行をし直してほしいもんであります。 上の写真はたまさか勝った試合だったけど、おかげでテレビに見入ってしまい、飯を食いに出かける機会を逸してしまった。冷蔵庫に九条ネギがあったので、固いところをそぎ切りにして鯖の水煮缶とごま油で炒めてみた。アクセントは黒胡椒。薄揚げは新玉ねぎを甘辛く炊いて、九条ネギの青いところと。それに温泉卵で、結構いい晩酌になった。鯖缶炒めのグズグ

深夜食堂とメンチカツ。レフティゴルファーとスライス球。

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4月10日、手術後1ヶ月でゴルフを再開した。会社の大先輩たちと、茨木国際ゴルフクラブにて。先日女子プロツアーのTポイントレディースが開催されたコースで、かなり厳しい。 スタート前の練習場で、H大先輩にスイングをチェックしてもらった。レフティの私は左肩が前に出るとスライスボールが出やすい。右利きゴルファーが圧倒的に多い関係上、ほとんどのコースは右側に懐が深い。つまり左利きがスライス系のボールを打つと、OBゾーンに限りなく近づくということである。 春霞ではっきりとは視認できないけれど、茨木市の北摂丘陵に広がるコースなので、視野がクリアになれば大阪湾までが見通せる。なかなかに気宇広大な設計で、まあ2ヶ月ぶりのゴルフを楽しんだ。アプローチやパットの勘は鈍ってしまっているけど、背中の縫合跡のことも気にせずにブンブン振り回せたのは収穫でした。 などと言いつつ日々は過ぎていく。拙宅の近くに鯖料理の専門店「SABAR」なる店あり。 ランチタイムの「とろサバ塩焼き定食」を頼んでみた。このパサついたサバのどこが「トロ」やねん、と絡みたくなるような出来でありました。 南森町交差点近くに「中村屋」というコロッケ・フライ物の差掛け屋台があり、異様な行列で知られる。土曜日など折り重なって人が並んでいる。 平日は名物のコロッケ以外にビフカツ、トンカツ、ハムカツなども売っているのだけど、土曜日はコロッケとメンチだけになる。そしてコロッケが売り切れると共に行列は消滅して、メンチだけが残ることになる。行列が失せたのをみた観光客が店を覗いて「え、コロッケ売り切れなん、じゃいいわ」と言って去っていく。 名物と言いながらここのコロッケはジャガイモの品種のせいなのか、私には少し甘すぎる気がする。メンチの方がワイルドでB級な味で気に入っている。まあしかし遠方から来た人にとっては「中村屋で並んで、あのコロッケを食べた」という行事というか事実の方が大事なんでしょうね。人は時として神話を消費する生き物だからね。 ちなみにこのメンチカツにウスターソースをかけまわして、ビールやハイボールのアテにするとなかなかの取り合わせとなります。折もおり、テレビでは「深夜食堂」でメンチカツのドラマをやっているじゃありませんか。 自宅でのんびりと、メンチカツなどをかじりながら、衛

平穏と鯖と立腹と。そして酒、人を呑む。

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そだな〜。26歳から58歳までの32年間(そのうち7年は富山に赴任していたから25年間か)を過ごしていたオフィスの取り壊しが始まった。まあ老朽化していたから、仕方ないことなのだけれど。32年前は周辺に10階以上のビルが少なくて目立ったもんだったが、今やよほど高層のビルに取り囲まれて、ちんまりとした印象となってしまった。 相変わらず昼飯はサバである。刺身もこれくらいの量をゴハンに合わせるのなら大歓迎で、毎日だって構わない。 保険会社に提出する診断書を受領するために入院していた病院へ。病室から会社(中之島の新社屋)が見えていたので、歩いてすぐだと思っていたけど、イザ歩いてみるとなかなかの距離でございました。京阪で一駅ぶんあるものな。 新装なった「森町食堂」へ。喉が渇いていたので、何よりまず「赤星」を一発収入する。サッポロラガーって「男のビール」なんだなあ。 鯖の一夜干し定食を頼んだら、アジの一夜干しが出てきた。「これ、鯖じゃないでしょ」って指摘したら「鯖の一夜干しが売り切れなんで」ときた。いやべつにアジは欲しくないし。一夜干しでなくて塩焼きがあるならそれでいいし、と返したら、散々待たせた上で鯖の塩焼きを持ってきた。当然、味噌汁もご飯も冷めてしまってますよね。こういうひどい店は他もダメで、たとえば酢の物にはちっとも酢がかかってなくて、キュウリは干からびているし。近所の便利な店なのだけど、まともな店になるには相当の時間が必要でしょう。 某夜、後輩Nと駅前ビル地下のおでん屋へ。糖質ダイエット中の彼に付き合って、ご覧のような健康メニューで杯を重ねた。 しかし冷静沈着な男でも、酒量が重なってくると「一杯、人、酒を飲み」「二杯、酒、酒を飲み」「三杯、酒、人を飲む」の格言どおりとなった。おでん屋からカラオケスナックへ。遠慮がなくなるにつれて、どんどん楽しい酒となる。さらに「うどん食って帰りましょうよう」というので深夜のうどん屋べ。トドメのビールにアテ数品に、うどんも綺麗に平らげて。 翌日には何にも覚えていなかったそうな。まあそれも幸せな人生だと思うよ。頻繁でさえなければ。また行こうぜ。

桜は咲く。

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梅〜は咲いたか桜〜はまだかいな・・を教えてくれたのは花見小路は「叶家」の女将だった。新入社員に毛が生えたくらいの年頃に祇園やら木屋町やら先斗町をうろついていたのだから、ロクなもんになるわけがない。などと振り返りつつも、そして今年も桜は咲く。例年よりも随分と早く開花した。佳人とともに夜桜見物。 南森町というか大阪天満宮差し向かいの我が家から、大川べりまでは歩いて数分。抜糸後の慣らし運転も兼ねて、花見散歩と出かけてみた。 今年の桜は厳しい冬の後にイッキであったかくなりましたもんねえ、弾けるような満開となりました。そういえば2年前、富山にしては異様に早い開花で満開となった松川べりの桜に見送られるかのように大阪へと引っ越してきたのでした。 帝国ホテル前も満開で。そういえば2月の人間ドック(帝国ホテルクリニック)で緑内障を指摘されたのだった。昨年末の右足中指骨折、左手薬指のバネ指に引き続いて、まあ還暦を前にすると色々と出てくるものなんですね。 抜糸後1週間で、軽い運動もOKとなったので、ゴルフの練習を再開した。縫合跡がこれくらいのことで開いたりするわけがないのだけど、どうしてもスイングが怖々としてしまうんです。4月10日に予定されている入院後初のラウンドはいかがなことになりますやら。 人生がいよいよ老境に入ってきて、それでも毎年桜は咲く。平均寿命からいくとまだ20年以上も生き延びるようなのだけど、どうだかな。そこまでの生命力があるように自分では思えない。といってあと数年くらいで尽きるとも思えないけど。

酒池肉林世界への復帰。あっけない抜糸。

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抜糸が無事に終了した。3月20日のことでもう半月以上も前なんだけど。診察室のスツールに座って「後ろ向いてください」「ハイ」「背中開けますね」「ハイ」そのあといきなり縫合している糸が持ち上げられる感覚がして、チョッキンチョッキンとあっという間に糸が外されてしまった。消毒も何もなし。 「お酒や軽いウォーキング程度なら今日これからで大丈夫です。ゴルフは術後1ヶ月、4月9日以降にしてください」と言われて放免されて。 あれ嬉しやと、その晩は佳き人と乾杯。ビールの泡が一粒づつ血管に染み込んでいく。私は戻ってきた。いざ、酒池肉林の世界へ。 抜糸の翌日は独りで夕食。これは王将で餃子にすると決めていた。なんと言うか史上最強のペアでありますね。 まあ昼間っから飲む趣味はないので、相変わらずお昼ご飯はサバです。1ヶ月サバを食べ続けて中性脂肪が半分になった話とか(私の中性脂肪値は上限プラス少々なので別に問題ではない)、週に3回以上サバを食べること半年、とても寂しい白髪頭があれよあれよと黒くフサフサになった話だとか(こちらは深刻な問題であり、真摯に対処したい)まあ色んな課題解決の事情もあってサバなのであります。これからもしつこいくらいお目にかかると思いますが、そんだけ厳しい事情があるとご厚情を賜りたき次第。 アルコールが解禁になって嬉しくて、記憶が飛ぶほど飲み回って、知らぬうちに「天下一品」を襲撃していたらしく、ケータイに画像が残っていた。1978年から87年までを京都で過ごした人間として、王将と天下一品は切って切り離せぬ存在であります。貧乏学生と安サラリーマンにとってまさしくネ申みたいなもんで。 意識なく天一を平らげた翌日。土曜日だったのだけど、二日酔いでふらつく頭と胃袋に一喝をと、天六の「揚揚」で汁なし担々麺を。唐辛子と山椒をボカスカぶっ込んで、辛いくて痺れるマゾ環境に。いやはや行きつけの歯医者での麻酔より効きますね。 その担々麺屋さんの隣に、こんな看板が。「理容室・男の専科・貴公子」「最新技術・ソフトアイロン・現代感覚のヘア・ソフトウエーブで」「アイパーでもないアイロン登場」「パンチでもない高性能」「ソフト感覚・カットアイロンコース6700円」とある。サバ様のおかげでフッサフッサの髪になったら、一度身を委ねに行ってみようか。

プチ禁酒法時代。

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ちょっとした禁酒法時代であったのである。入院から抜糸まで。ざっと半月。まあ公式には酒をたしなみはじめたハタチの頃から、10日くらいの禁酒はあったけれど、半月というのは最長でありました。 ただ、昔とちがって「よくできたノンアルコールビール」があるので食事の友には苦労しない。ホウレン草のナムル、新玉葱と牛細切れ肉のすき煮風、ナッパと薄揚げの炊いたもの。こんな酒飲みのアテを、ノンアルコールビールを啜りながらいただくのである。結構いい気分になったりするから不思議で、ある種のプラシーボ効果なのかも知れないね。 外食したって禁酒なのです。お医者様のいうことはキチンと守るほうで、まあ不測の事態を起こしてしまったら、あらゆる意味で痛い思いをするのは自分自身だもの。焼鳥屋で。生ビールをごくりごくりとやっている相方を横目に、いい勢いでノンアルコールビールが進んでいく。ほんのりいい気分にはなるのだけど、アルコールが入っていないせいなのか、やたらに体が冷えるんですね。トイレに通う頻度が並みじゃない。 まあ、半月ぶりに近所のビストロでビールを飲んだ時の感激といったら。全身が歓喜の波にふるえるって、ああいうことを言うのね、きっと。

退院明け、ラーメンと激辛へ。そして帰るところはサバの塩焼き。

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まあ大した入院でもなく、大した手術でもなかったけど、病院食は減煙と低カロリーが売りものだから、麺類とか激辛系は出てくるわけがない。おかげで退院後はしばらくそんなものが続きました。これは裏天満のサバ6製麺所のラーメンだな。開店後間も無く行列店になり、レシピを外食資本に売り渡して、あっという間にチェーン展開してしまった。でも味はしっかりしているんだよねえ。 こちら天六の汁なし担々麺「揚揚」で、唐辛子と山椒は1倍〜5倍まで指定できる。山椒を3倍以上入れると、歯医者の麻酔より効いてまいります。私は辛さ・シビレともに4倍をいってしまうから、なかなかに大変なことになります。かつて四川省は成都市におもむき、元祖麻婆豆腐を食べて、椅子に座ったままで天井まで飛びそうになったことがあるけど、 カラさとツラさには、人間慣れていくものなのね。 辛いほうで言うと、堂島の路地にある「まん馬」のズンドゥブも、ごらんのように血の池地獄状態で供される。こいつも「大辛」で注文する。二日酔いの時なんか最高で、頭脳と胃袋が同時に活性化されてまいります。 ようやく世間に復帰してきて、ラーメンも激辛もいつでも食べられるんだと、安心感が固着してきた頃には、自分なりの「常食」に戻ってまいります。ここ1年ばかり、私の場合その指標が「焼きサバ定食」の摂取率で、世の中で今のところ一番にホッとできる食べ物であります。かつては肉だったんだけどなあ。まあ還暦前ってことなのかもしれない。

退院うれしや。やはりラーメンに突撃。しかし引き続く禁酒生活。楽しみは自炊から。

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たった五日間だけ入院したのだけど、退院後に何が食べたかったって、ステーキや寿司などでなく、アツアツのラーメンだったというのが何ともはや。「天一更科」の和風ダシが効いたうどんなのか中華なのかわからない不思議な味なのだけど、熱いものと麺類に飢えていた身体に染み込むのなんのって。 12日に退院してから20日の抜糸まで、禁酒を言い渡されてしまった。入院期間と合わせて2週間。過去28年で最長の禁酒日数である。傷口が化膿したりして再手術なんてとんでもないから、きちんと守ることにした。 外食でそそくさと済ませて、長い夜を悶々とするのも嫌なので、時間つぶしを兼ねて自炊に励むことに。一汁三菜ならぬ一汁二菜である。 堀川戎神社ちかくの名店「てんま」は大阪うどんらしく、カツオやウルメの出汁がとても効いている。 その出汁を味わうには「きつね」が一番なのだけど、カレー汁の誘因力にはどうしても勝てなくて。 今回の入院に限らずいつも人生全般をお助けいただいている、格別なる人物が「きつね」をご発注されたので、シェアしあうことで口福倍増。 退院から抜糸までの8日間、まあこうやってこまめに作っておりました。この日のメニューでは大根のいちょう切りをごま油で炒めて、鶏のコマ切れを足して、出汁と砂糖・酒・みりんで炊き、薄口醤油で味を加減して、煮詰めたものが我ながら逸品。きっと焼酎の水割りなんかぴったりなんだろうなあと思いつつ、ご飯とともにいただきました。 また或る日は、新キャベツをざく切りにして、切れ目を入れたソーセージを並べ、白ワインとベイリーフを加えて一時間ばかりゆっくりと蒸し煮にいたしました。ビールがあったら昇天しそうなほどの出来栄えで、悔しがりつつノンアルコールで乾杯。最近のノンアルコールビールは本当によくできていて、この禁酒期間中にはずいぶんと助けになりました。 ノンアルコールといいながら、ほんのりといい気分になるのはプラシーボ効果なんでしょうね。 この間、まったく外食しなかったわけでなく、近所のビストロにも焼き鳥屋にもでかけました。いい飲みっぷりでノンアルコールビールを空けていったのですが、アルコールが入っていないせいか、飲んでいると「身体が冷える」んですね。皆様も禁酒してノンアルコールビールに頼られます折には、ぜひとも