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宇治金時はどこへ行った?

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お盆休みもすでに先々週の話題である。まったく月日の経つのは速いもんだ。しかも齢50を数えると、年年歳歳その加速度を増しているとしか思えない。子供の頃は夏休みの長さに呆然としておったもんだがのう。 しかし盆休みといっても14日~16日までしかなく、その間に賓客を迎え、さらに実家に帰省し友人とゴルフをして17日の午後には出社せねばならんのである。安閑とできんスケジュールであり、とても夏バテなんぞして居れんのである。ということで暑中の夕餉。 ソフトピーマンの煮付け、オクラのおろし和え、薄揚げと蒲鉾のさっと煮、塩鮭。塩鮭は焼くと色々面倒だから、ごく薄い塩に酒をたらした水で茹でてしまう。 夏にピーマンを食べると、島根県松江市の母の実家で、七輪でピーマンを焙っていた美人の叔母を思い出す。肉厚のピーマンを焼き上げて薄皮を丁寧に剥いていた。その指使いの細やかさ。忘れていた日本の夏、なんてね。 食後に宇治金時を喫す。CIAの陰謀か中国の外事弁公室のたくらみか、この夏はカップ入りの宇治金時がほとんどスーパーの店頭で見受けられない。これだって苦心惨憺して入手しているのである。しかしこれがないと楽しく夏を過ごす事ができないのである。 思い出の夏。彼女と、京都の甘味処で楽しく気だるく食べたっけ。はるか二十代のおもひ出なり。しかしあの日以来、夏と言えば宇治金時なのである。ハーゲンダッツ(禿げみたいでいやな名前だし)なんぞではありえない郷愁なんである。 前日食い残した鮭の半分をほぐして、オクラと納豆とトロロに温泉玉子(自家製!)を乗っけて朝ご飯。一切れの鮭を半分残してリサイクルするのは孝明天皇の有名な逸話であるから、元京都市民である私がそのひそみに倣うのは、臣民として誠に正しい態度であると思う。 世間はお盆休みに突入しているはずの、10日~12日と石川県某所に出張してお仕事に励んだ。 お昼は現場を手伝い(邪魔をして)、夜は関係ご各位を接待申しあげる。しかし相当に過疎の村なので、接待設備としては1Fがカラオケクラブ、2Fが居酒屋で兄弟共同経営の・この店しかないんである。 1階にも2階にも、地元再開発事業に携わっておられるとおぼしき、ガテン系のお客様が満ち満ちて大騒ぎ。われらも負けじと歌うわ騒ぐわ触るわ。石川県民はやはり肌の色が妖しい程に白いのう

「ジーパンをはく中年は幸せになれない」んだって。

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今朝(H24年8月22日)の富山は朝8時にしてすでに気温35℃で、雲ひとつない快晴である。ここ10日ばかりはまとまった雨も降っていないから空気も乾燥している。こんな日こそアレをやるしかない。ゴルフ?違うね。暑すぎて熱中症になっちゃうよ。海水浴?お盆過ぎの日本海なんてクラゲが跳梁跋扈しているのに。わざわざ刺されに行く趣味はありませんね。 ジーンズを洗うんですよ、こんな日は。夕方までにはパリッと乾くからね。夜の会合前にいったん帰宅して取り入れておけばOKである。年に幾度もない絶好の機会。 ところで、私と同じような中高年の諸氏に改めて問いたいのだが、ご同輩がたは普段着にジーンズを着用しておられるや否や。心理学者の津田秀樹によるならば、ジーンズをはく中年は幸せになれないのだとか。じゃあアメリカの農民牧畜業はどうなるんだと言いたいけど。 精神的成熟と肉体的成熟を果たした人間は、あえて自分を若く見せる必要はないとおっしゃっておられる。無理な若作りは「自分に嘘をついている」ことになるし、「成熟を拒否している」ことになるらしい。そういえば昔「ピーターパンシンドローム」って言っていたよなあ。 この本の論調としては、いつまでも若作りしていたっていつかジーンズが似合わなくなる年齢がやってくるし、体力の低下~はっきりとした老齢化~死との直面という人間の運命からは誰も逃れられない。その現実を直視せずに「課題先送り」をしている現象のひとつに「いいトシこいて若作り」があるのではないか。また、先送りした課題にいつしか直面したとき、精神的に逃げ道がなくなって、いきなり不幸な人生になるのではないか、と問うてきている。 つまるところ、「人は心の持ちようで幸せにも不幸にもなる」ってことを書いている。たとえば「若さ」だけが価値観になるとそれも不幸なんだと。そして現代日本は自分を不幸に追いやる思考パターンにはいってはいないか、とも。いい指摘もたくさんあって、なかなかに考えさせられる本でありました。タイトルはどうしても気に入らないけど。 というわけで、複雑な思いをしながらも晴天の魅力に勝てずジーンズを干し、お日様のにおいがするデニムをうっとりと履くんでしょうね、僕は。

夏の大遠征。原爆ドーム・広島球場・広島難コース・大阪そして京都

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広島県の島根寄りに「リージャスクレスト」なる極めつけの難コースがある。そこへドM体質のゴルフ好きが集まって合宿をすることになった。 ・黒マークからプレイ ・もちろんノータッチ、完全ホールアウト ・セルフプレイでワンハーフ、つまり1.5ラウンド これを8月の4日(土)5日(日)の2日連続でやろうと言う壮挙なのである。ただ富山から行こうとするとどうしたって3日(金)の午後を休まねば移動できないので、私は日曜だけの参加にしてもらった。遊びのために会社を休むなんて、窓際サラリーマンの私にとってはなんの問題も普段はない。だが日ごろの行いが悪いから、こういうときに限って外せない用事が発生する。 4日の夕方に広島到着、ホテルに荷を置いて市内散策へ。翌々日が原爆投下の67回忌に当たるため、左右さまざまな関係者、遺族親族が集まっていて、ホテルはどこも満室状態である。広島の知人が2ヶ月前から確保しておいてくれなかったら宿無しになるところ。 ゴルフ参加者は健康ランドみたいなところで文字通り合宿しているけど、イビキかきのわたしは雑魚寝を遠慮したのだ。惻隠の情があるでしょう。 川沿いに何の不思議もなさげに立っている原爆ドーム。私は小学校低学年の折に大阪松坂屋で開催された「原爆展」に連れられていってから、極度の核爆弾拒否症で、高校時分にいたるまで毎年8月の上旬は恐ろしくて眠れない日々が続いた。むごたらしい数々の映像や記録がフラッシュバックして止まらないのだ。一種のノイローゼである。子供にあまりな地獄絵を見せていけない。 しかし社会人となり、初老の域に入ってくると恐怖感は薄れてしまう。過去の悲劇は決して繰り返してはならないが、人間の叡智はそれを成し遂げるであろうことを信じられるようになったからである。私は今でも核爆弾に対してはそれを許す気持ちがカケラもない。しかし、人類がエネルギー問題から解放されるまでに、核エネルギーの平和利用というステップが必要であることを理解する程度の理性は持っているつもりである。 崇高に平和を祈念をしつつ、「そういえばマツダスタジアムで広島-阪神戦があったなあ。評判の新球場に行ってみっか」などと俗事にも気が動く。市内中心部からは市電で15分ほどなので一人で出かけることにした。 ふだん甲子園球場でまっ黄っ黄のスタンドを

8月1日は富山大空襲鎮魂花火大会で。

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67年前つまり1945年8月1日の夜半、米軍は事前予告をしたうえでB29爆撃機174機からなる大編隊をもって富山に殺到した。市街地の99.5%が焼失し、死者は2737名に及ぶ。広島・長崎を除く地方都市が空襲で受けた被害としては最大で、人口1000名あたりの死者・負傷者の割合も地方空襲では最多となる。この空襲で古い建築物はことごとく失われ、町並みは変容した。 この空襲をひとびとの記憶におしとどめ、鎮魂と平和祈念への精神を忘れないために昭和22年から北日本新聞社主催で行なわれるようになったのが、この花火大会である。 とはいえ、戦後67年。その記憶はほとんど風化してしまい、花火大会を訪れる人々のかんばせに鬼哭啾々たるものは全く見受けられない。ここ数年来、市内中心部の平和通りでは、車と市電をシャットアウトして街を巨大露天ビアテラスとしてしまっている。打ち上げられる花火を見上げながら生ビールを飲もうというのである。鎮魂の花火もいまやお祭りと化してしまっているのだ。 何のかんのと言ってはみても、つまるところ私もその群衆の中に身を投じ、緋も明るいうちから焼きそばやカラアゲをアテにして、「やっぱり外で飲むビールは格別じゃのう」などと言いもって杯を重ねていたのだから全くどうしようもない。あまつさえ立山連峰から吹き下ろしてくる風が涼しく心地よく、本当にビールがウマくてしようがないのである。竜頭蛇尾もいいところである。 「た〜ま〜や〜」「か〜ぎ〜や〜」なんて気楽に飲んでいると「わしのこと呼んだんけ?」と、名字に「玉」の付く業界の大先輩が我々のテーブルに乱入してきた。酔漢大歓迎の原則にのっとって歓待もうしあげた。 よしときゃいいのに、さらに合従と聯繋がくり返され、総勢7名になった時点で花火が終了したのに、「もう一軒行かんまいけ」とつぶやいた人間に皆が賛同してしまった。ラウンジ「くらくら」バー「サン・ルイ」スナック「松本」へとハシゴが続き、家に帰ったのは午前何時だったか。 当然のことながら翌日はきちんと二日酔い。会社のデスクで宇治金時ミルクバーなどという面妖なアイスバーをかじりながら、営業報告書なんか作成してよけいに気分悪くなったりして。

夏バテなんかしてられない。喰って勝つのだ。

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人々が夏休みだレジャーだと言い出すと忙しくなるのが、私の稼業。だから暑いといって夏バテなんかしていられないのだ。とはいえ越中富山にも猛暑は訪れております。お昼時には34度なんて気温になります。 で、暑いときは熱い国の料理に限ると称して、根塚「デリー」でブラックカシミールカレーなぞ。メニューには「極辛」なんて書いてあるけど、これっくらいの辛さなんてぜんぜん平気。この上のレッドカシミールになると、さすがに胃壁に異常をきたしますけど。 7月28日の土曜日はお得意先と富山カントリーへ。午後スタートなので、遅い朝飯をもとめて駅前の「吉野家」へ。前日の「土用の丑の日」にウナギを食べそびれたので、意趣がえしってやつですね。650円でこのお味なら私は何の文句もございません。 さすがにリキ付けて行くとちがいますね~ 猛暑の中、白いドライバーRBZが大炸裂してビッグドライブの連続。フェアウェイウッドもよく飛んで、暑さに負けないバケモノぶりを発揮。ただし、飛距離が出るということはOB杭に近くまで飛ぶということで、スコアは45/52の97でございました。 29日の日曜日はひっさしぶりの在宅休日となりました。ちょいと寝坊して、出し巻き・納豆・たまねぎの味噌汁と、日本の朝食はやっぱりいいなあ。洗濯に掃除にクリーニングに日用品の買出しにと、ほんとにお休みの日って時間がたつのが早いこと。 お忙しいから、お昼は駅の近くに出かけたついでに駅構内の「立山そば」でササッと済ませます。駅弁の「源」さんの経営なんだけど、街中の変な蕎麦屋より美味しいのですよ。一口サイズのお稲荷さんを付けて、胃も心も大満足。 夜もこれまたひさかたぶりに自炊。トマトの塩和え、ピーマンとうす揚げの炒め物、牛肉とたまねぎの煮物に、ナスの煮付けと、夏野菜をずらりと並べて。缶ビール1本に焼酎のソーダ割を少々。やっぱり家で好きなもんを作って好きに喰うのがいちばんですね。 夕食後は読書。12年の服役生活から突如帰宅した父親は、ロクデナシでヒトデナシでヒトゴロシで、でもとってもヒーローなんです。ちょっとでも内容を紹介するとすぐにネタバレになるので、ご関心の向きにはご購入ご購読をぜひ。夏の数時間を暑さを忘れて笑い転げられます。 月曜日、出社してみれば机上の温度計ははや34