新幹線と47年。ざっと半世紀。

出張で岡山へ。富山からだと米原経由か新大阪経由で新幹線に乗り換えることになります。サンダーバードに3時間半揺られてさらに新幹線なんてたまらんので、私は米原下車を選択いたしました。米原から「ひかり」で新大阪へ行ってさらに「のぞみ」で岡山まで。電車や飛行機の乗り換えは全く苦にならない性分でして。むしろ軽くコーフンするくらい。


米原駅で。300系の「ひかり」東京行きが発車したところ。東海道新幹線ならびに米原駅との因縁は長いんです、私。今を去ること47年前、昭和39年10月1日に正式開業する前に、試運転の新幹線に乗って新大阪~米原間を往復して以来の関係ですから。ざっと半世紀。

当時某報道機関で大阪鉄道管理局の担当をしていた父親が、いかなるルートを使ったのか、試運転列車同乗のチケットを入手してきたんですね。あの頃は報道機関と国鉄が蜜月時代だったようで、母親の実家がある松江市に帰省するときも国鉄手配でいつも一等車だったよなあ。今のグリーン車よりランクが上でしたもんね。


ああなつかしの0系新幹線。こいつの寿命は長かった。東海道では昭和39年から昭和60年まで21年間にわたって東海道の女王として君臨しておりました。なかなか新型車両にならなかったのは、国鉄の経営悪化と労使問題が背景にあるそうな。


満を持して登場したのが、バブルの申し子といわれる100系ですね。CMの「シンデレラエキスプレス」と山下達郎の唄ですっかり有名になった。でも女王としての在位期間は短くてね。昭和60年から平成4年までのたった7年間。二階建て車両の食堂車とか、個室グリーン車とか、トンネルの中でも通じる車載電話とか。こいつのグリーン車で幾百度東海道を往復したことか。あの頃はグリーン車に乗るとお茶とおしぼりとクッキーが出たけどなあ。


ゴージャスさはないけれど、飛行機に対抗して東京大阪間を二時間半でむすんだ300系新幹線。平成4年に就役。バブルが崩壊した世間の中で、快速300kmを飛ばして頑張りました。回生ブレーキを使う時にガッタンバッコンと前後動するのがたまにキズで、テーブルに安置したコーヒーがこぼれたり。本を読むと異常に眼精疲労したり。会社も不景気でグリーン車も使えなくなったりして。


私の大好きな500系。JR西日本が技術力の総力を挙げて製作した傑作車両なんですけど。平成9年に就役したものの、女王の座はうんと短かった。今や山陽新幹線でこだま用車両になって早すぎる余生を送っているんです。性能はすごいんだけど。320㎞で営業運転できるし。ようするにJR東海がそのポテンシャルに嫉妬して早期引退に持ち込んだのね。


はいこちらは最新式N700系。それもいちばん新しい「さくら」ちゃんです。岡山出張の帰途、新大阪まで乗りました。普通車も4列シートで快適。インテリアはJR九州伝統のウッディデザインで素敵。できることなら車両開発もJR九州にさせたかったなあ。デザインセンスはJRグループ随一なんだから。きっとこれもJR東海のイジワルで見送りになったんでしょうね。東京の官僚的人間って、自分の権利を守るためならなんでもやるもんね。どっかのインフラ会社もそうだけど。


この世に生を受けて51年。そのうち47年間にわたって、ずーっと乗りつづけてきた新幹線。東北新幹線も八戸までしか乗ったことがないから、この夏は青森まで行ってみようか。個人的経済振興を兼ねて。少々のおカネを使うくらいしか貢献できないけど。



そうそう。3年後には富山にも新幹線が来るんです。東京~富山間が2時間ほどになるんだとか。その頃はまだ富山に住んでいるのかなあ。

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