禁酒と読書とレバニラ炒め。県庁のノー残業デー。そして戦争とは平和とは国家とは何か。

表紙とかタイトルが面白いと、中身も確認せずに本を買ってしまう。いわゆる「ジャケ買い」ですね。この本も、なんか炊事兵をテーマにした戦場レポートかと思って買ってしまいました。それがなんと第2次世界大戦の欧州戦線、苦戦する101空挺師団の炊事兵(新兵)が、苛烈な戦闘をへて人間としての成長をとげていくヒューマンビルド小説だったのです。

戦闘シーンの細かい書き込みはレマルクの「西部戦線異状なし」を思わせるし、なんというかシュミレーション戦記とかにはない、リアルに悲惨な戦場が描かれていて、従軍経験のあるアメリカ人作家が書いたのかなあ、などと思いながら読んでいました。だとしたら訳者は相当に軍事知識と1943~5年ころの歴史知識があるんだと敬意を表しつつ。

あの米軍ですら前線の補給はままならなかったようで、軍需物資が盗難にあってなくなったり、それを炊事兵とか衛生兵が推理して犯人を突き止める、ポケットミステリー的なところもあったりして。


ここんところとある事情もあって毎晩飲んだくれだったので、昨夜はとにかくアルコールを抜くべく、残業帰宅後にそんな小説を一気に読んでしまいました。読んでから気づいたのですが、作者は日本人なんですね。あれこれ検索してみると、おまけに新進気鋭のミステリー作家で、今回の直木賞候補で、さらに女性なんだと。
まったくこれこそ、びっくらぽんでした。

作者がミステリー作家に分類されることと、全体を通じてある謎かけがしてあることで本書をミス定理―作品に分類している書評も見受けられますが、私は正しい反戦小説だと感じました。こういう本がもっと読まれて、戦争の持つ悲惨さつまらなさと、それゆえの滑稽さが伝わることの方が、平和というものの価値を知るために大事なことなんじゃないでしょうか。

なんてことを思索して読書したって、ハラはへるんですよね。夜も10時を過ぎて駅前の「粋宏閣」へ行ってみれば全館満員状態でした。かろうじてカウンターの1席を確保し、レバニラ炒めとご飯を注文。禁酒と決めたら1適も飲まないのがモットーなんです。

しかし周囲は酔っ払いばかり。漏れ聞こえてくる声を総合するに、この水曜日は県庁のノー残業デーで、県庁職員が一斉に定時退庁することで、「まあちょっと行きますか」組が一気に増加することと、県庁出入りの業者もまたあわせてノー残業にしたりすることで、駅前周辺の飲み屋街に人があふれることになるようです。

田舎では県庁とかインフラ系の会社は、なんといっても県内における最大の諸業務発注元になるから、いろんなことが県庁とかの動きに連動して面白いのなんの。


カリフォルニア大学の言語学博士は、コンピューターサイエンスの第一人者でもあって、しかも食い意地旺盛なことは巷のグルメ評論家どころではなく。最近のアメリカでは文系とか理系のボーダーを乗り越えた人間が、知的好奇心のままにとんでもない研究をするから、うん、凄いもんだ。

どっかの国では「文系学問は世の中に役立たない」などとぬかして、大学から文学部を追放しようとしている。そういう輩こそ国家100年の計を誤るので、タイトルと表紙は軽いけど、中身が重いこんな本でも読んでみるべきだと思います。

あらゆる料理メニューをコンピューター検索して、価格とメニューに使われる語彙を全部ぶっこんで。それを、いわゆる翻訳ソフトから聞いたこともないような解析ソフトまで総動員して、年代別・階層別に統計学的分析を展開している。行動科学とマーケティングテクノロジーの融合ですね。

語源学から、ケチャップの語源が中国語であったり、天ぷらの語源が古代ペルシア語であったり。文化人類学の立場から見ての「言葉の伝播」もフムフムとうなづくしかない。

歴史とサイエンスと言語学とマーケティングと食品化学と。こんだけ展開が豊富だと、翻訳者はさぞかし大変だったと同情いたしますね。

しかしこういう「教養の深め方」を知る国と喧嘩したら、また大負けします。確実に。


読みかけの学術本を閉じて、いよいよオヤスミタイムには、ちょっとだけロマンの香りがほしいところ。傷ついた男・女に傷つきやすい女・男が、人生の終わりに綾と綾をからませたり、からんだ綾をほどきにかかったり。桜木柴乃は北海道の厳しい自然の中に、甘えることが許されない、ギリギリな「愛」の形を描いていく。ゆえに人にとっての安らぎがいかに大事なものかを気づかせてくれる。
平和と愛を願いながら、いい眠りに落ちていければ、それが幸せというものかも。


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