超弩級ラーメン天下一品も(記憶から)吹っ飛ぶ。銀座「はしご」も吹っ飛ぶ。アルコール性健忘症とは。
別に脳梗塞を患ったことはないし、今年の人間ドックでも大脳CTは全く正常だった。なのに時折記憶にない画像が携帯のカメラに収められているというのはどういうことだ。それも妙齢の女子が肌もあらわに、などというトキメキに満ちたものではなく、概ねにおいて「食べた記憶のない麺類」というのは本当に困ったものではないか。
半月前、3月7日に撮影されていたのが、この「天下一品こってりラーメン」である。だいたい飲食の記録は手帳か写真に控えるので、この日の行動は(ここまでは)追跡できる。知人と北新地の寿司屋からラウンジへ行って、ご機嫌で家路に着いたはずである。なのに友人と別れて(多分午前1時を回ってますね)、あろうことか大学生じゃあるまいし。総カロリーが900とも言われる超弩級ラーメンを無意識にすすっていたとは。
かと思えば3月9日のことだ。この日は博多で仕事を終えて、博多明太子弁当などをつつきながら帰阪して、近所のショットバーに立ち寄って帰宅したはずなんである。近所の24時間営業立ち食いうどん店で、なにやら面妖な麺類を注文しているではないか。恐らくは「中華そば」に、何を思いけん、一味唐辛子・胡椒を思い切りぶちまけた上に天かすと温泉卵までトッピングしてしまったらしい。
私はひらがなまで忘れてしまうほどボケているつもりはないけれど、どうも記憶障害を時によって発症してしまうものと見える。
3月11日は日本人ならけして忘れてはならない鎮魂の日である。東京行きのヒコーキの中で、あの大災害を思い出し、天然自然に対して改めて謙虚であろうと決意。
だが同時に3月11日は、私の五十有余歳の誕生日でもあるのです。この歳になって「はぴばすで」なんて言われたくもないけど、銀座の令嬢がた(元令嬢がたというべきか)の中には覚えていてくださっている方もおられて、いつもよりほんのちょっぴりお酒をいただいてしまった。
するとね〜やっぱりカメラに残されているのは、もうこれは確信犯的に「支那麺・はしご」のだんだんめんでありますね。もうざっと33年くらい食べ続けて飽きない。というわけなんで。銀座新橋界隈にあって、理性を街角にうっちゃってしまうと、ここにいる自分を見つけるか、翌日の画像で、ネクタイのシミで、その行ないを検証してしまう訳なんです。
3月14日は、後輩君と一献したのちに天満周辺をパトロールし、ついてはバーの三軒くらいを視察して回ったらしい。歩きまわって帰宅したのちに空腹に気がついて、気がついたら包丁片手に「鍋焼きうどん」なんか作ってしまっていたらしい。手まめというべきが全くもってのアホというべきか。
しかしこんな生活をしていて、なぜか体重はほとんど変化がないのである。カロリーたちは記憶とともにどこへ消え去っていってしまったのやら。別に戻ってこなくてもいいけどね。
半月前、3月7日に撮影されていたのが、この「天下一品こってりラーメン」である。だいたい飲食の記録は手帳か写真に控えるので、この日の行動は(ここまでは)追跡できる。知人と北新地の寿司屋からラウンジへ行って、ご機嫌で家路に着いたはずである。なのに友人と別れて(多分午前1時を回ってますね)、あろうことか大学生じゃあるまいし。総カロリーが900とも言われる超弩級ラーメンを無意識にすすっていたとは。
かと思えば3月9日のことだ。この日は博多で仕事を終えて、博多明太子弁当などをつつきながら帰阪して、近所のショットバーに立ち寄って帰宅したはずなんである。近所の24時間営業立ち食いうどん店で、なにやら面妖な麺類を注文しているではないか。恐らくは「中華そば」に、何を思いけん、一味唐辛子・胡椒を思い切りぶちまけた上に天かすと温泉卵までトッピングしてしまったらしい。
私はひらがなまで忘れてしまうほどボケているつもりはないけれど、どうも記憶障害を時によって発症してしまうものと見える。
3月11日は日本人ならけして忘れてはならない鎮魂の日である。東京行きのヒコーキの中で、あの大災害を思い出し、天然自然に対して改めて謙虚であろうと決意。
だが同時に3月11日は、私の五十有余歳の誕生日でもあるのです。この歳になって「はぴばすで」なんて言われたくもないけど、銀座の令嬢がた(元令嬢がたというべきか)の中には覚えていてくださっている方もおられて、いつもよりほんのちょっぴりお酒をいただいてしまった。
するとね〜やっぱりカメラに残されているのは、もうこれは確信犯的に「支那麺・はしご」のだんだんめんでありますね。もうざっと33年くらい食べ続けて飽きない。というわけなんで。銀座新橋界隈にあって、理性を街角にうっちゃってしまうと、ここにいる自分を見つけるか、翌日の画像で、ネクタイのシミで、その行ないを検証してしまう訳なんです。
3月14日は、後輩君と一献したのちに天満周辺をパトロールし、ついてはバーの三軒くらいを視察して回ったらしい。歩きまわって帰宅したのちに空腹に気がついて、気がついたら包丁片手に「鍋焼きうどん」なんか作ってしまっていたらしい。手まめというべきが全くもってのアホというべきか。
しかしこんな生活をしていて、なぜか体重はほとんど変化がないのである。カロリーたちは記憶とともにどこへ消え去っていってしまったのやら。別に戻ってこなくてもいいけどね。
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