愉しみと日々
結論から言ってしまおう。かつて芭蕉は酒田に遊んで初真桑を喰らい、開高健は山形県に裏日本随一のフランス料理屋を発見した(もう閉店したけど)。いま私は富山県魚津市にて裏日本唯一のイタリア料理店と遭遇したのである。
店の名は「lucciano(ルチアーノ)」で、先日逝去したルチアーノ・パバロッティから頂いたわけではないものの、そのテノールに匹敵する堂々たる逸品の数々を賞玩できたことは、人生の快事というしかない。いやあ、素晴らしかった。
ルチアーノの入り口。
この日、案内してくれたのは魚津出身の怪しい巨漢。とても公共事業に携わる人物には見えない。店の主人、島崎さんとも古い付き合いのようで、看板に「予約満席」とあるけれど実は我々二人だけで貸し切りにしてくれていたのである。
その看板
喉が渇いていたので、生ビールをぐっと空けた。そのアテにでてきたのがミラノ産のサラミとパルマ産の生ハム。サラミのいささかカビ臭い野趣と生ハムの脂のとろけ具合が、ここは魚津でなくトスカナの田舎で、地場のトラットリアにいるんではないかと錯覚させた。これだけの素材をどうやって手配しているものやら。
この日の料理は写真に収めていない。シャッターを切るその遑を惜しんで、出来たての皿に対峙したからである。本当においしいものは、プロに撮影してもらうしかない。私のごとき素人写真では本質が誤って伝達されるだけだ。
自家製の全粒粉で焼かれたパンに、フレッシュトマトのフリカッセと香草をのせて上質なオリーブオイルを掛けまわしたブルスケッタは、カリリと焼きあげられているのに口の中で溶けほどけてしまう。
次は、魚津産のバイ貝のグラタン。ソース・ベシャメルにしたんではフランス料理になってしまうしなにより鮮度抜群で繊細な味わいのバイ貝を厚化粧させる必要なんてない。加熱しても分離しない極上の生クリームとトマトソースをそっと合わせて、サラマンダーで火を通したと見た。濃厚にして淡白。手品のような一皿であった。
今朝獲れたばかりという「岩牡蠣」は、3歳児の拳ほどもある尤物である。イタリアンパセリを混ぜ込んだパン粉と、パルミジャーノを纏わせて、オーブンで焼いたもの。初夏の海の精が襲いかかってきたようだった。
ワインはヴァルボリツェッラ。温度管理が完璧なので、ロングテイルの味わいがする。陶然とするほどの赤ワインも久方ぶりの出会いである。海の幸でも、それぞれにしっかりした味があるなら白と赤を混ぜるよりも、後の展開次第では赤で通すのが私の流儀。
ここらで野菜を一皿。白アスパラのグリル。集中の白眉である。あるかないかの塩分と、ハーブと、オリーブオイルで味付けされているのだけれど、火加減が絶妙でこれ以上どうすれば白アスパラはうまみを引き出せるのか考えられなかった。
子羊のステーキアピキウス風。古代ローマ時代のレシピにのっとって調理されたので、アピキウス云々は私のつけた蛇足。
アピキウスの料理書
アピキウスは紀元前80年ころの人。アウグスティス帝の頃かな。史上最古の料理書を著したのだが、それによるならば、当時のローマ人たちは味付けに「ガルム」と呼ばれる魚醤を多用したらしい。ルチアーノではその故事により、子羊をアンチョビ(これも立派な魚醤の一種)と白ワインビネガーで調味している。塩気と酸味が、子羊が内包している甘みを引き出した、これまた奇跡的な一皿であった。素材の味をメインにして、足し算でなく、引き算で旨みを最大限に引き出す腕前に恐れ入った次第である。
すべてをひとりで取り仕切る、工房
最後の皿が牛頬肉の赤ワイン煮込み。コラーゲン豊富な頬肉を三日間欠けて煮込んである。ナイフで触れるだけでも肉の繊維がほどけてゆく。圧力鍋を使うのかとたずねると、修行先ではそんな手抜きを教えてはくれなかったとか。イタリアの本店と愚直なまでに同様に、すべての料理を一切手を抜かずに丹念に仕込むことにしているのだと。
まだまだパスタも自家製のデザートも頂きたかったのだが、悲しいことに胃袋が限界に達してしまった。18時半から食事を始めて、店を出たのは21時半を回っていた。飲みかつ食ってすっかり満足した。鼓腹撃壌の心地なり。
しかし、それだけではおさまらぬ。巨漢S氏と私はそのあと名高き魚津のスナック街におもむいて、カラオケスナックを2軒、はしごしたのである。
内装が私好み。ホテルグランミラージュ
これだけ遊んだ後に、また電車に乗って富山まで戻るほど私は謹厳実直ではない。かねて名高いホテルグランミラージュに投宿した。もとは第一ホテルチェーンだったのが、経営不振で地元資本の石崎産業が買い取ったもの。モノトーンで統一されたモダンなインテリアは好き嫌いが分かれる所だろうが、私は大好きである。
魚津のスナックは「七歩」と「昴」をまわった。上の写真は「昴」のもの。かつて富山県が新川県と呼ばれていた頃は県庁所在地が魚津にあった。そのせいか新宿とか銀座といった地名が残っている。富山地鉄の魚津駅界隈が新宿で、84歳で現役の婆さんがやっているスナックがあるらしい。次回訪問の際は必ず扉を叩くつもりである。
ところで、胃から食道まで満杯になるほど食べたはずなのに、就寝時にはいかほどのモタレもツカエもなかったのである。手を抜かずにまっとうにこしらえられた食事は、どれだけ詰め込んでも消化不良にならない、とは開高健の所論だが、今宵のマエストロ島崎の作品は文豪の学説を裏切らないものだったのである。満腹のはずなのにこみあげる空腹感をなだめながら、眠りについた。
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