ゆで卵の丸かじり 森の宿 灘の男
4月も20日をすぎて、少しは天気が安定するかと期待するけど、やはり北陸だけあって雨が多いんですね。「弁当忘れても傘忘れるな」の土地柄でございます。雨が降り出したときにカバンからサッと折り畳み傘がでてきたら、地元民と見てさしつかえございません。
さーて今週の3冊です。ここんとこJ・P・ホーガンのガニメアンシリーズにハマっていたので、ちょいと方向性を変えて。まずは東海林さだおの「丸かじりシリーズ」。ついに33冊目になったんですねえ。週刊朝日での連載が20年を迎えたんだとか。大した持続力というしかありません。週刊文春での連載は38年にわたっていて、「タンマ君」が連載開始頃に大卒新人だったとすると今年で60歳。立派に定年なのです。
東海林さだおは、1937年10月30日の生まれ。当年74歳。私はこの人の文章が好きなんでエッセイ集はほとんど所有しており、「丸かじりシリーズ」も全巻所蔵です。第1巻の「タコの丸かじり」あたりではまだ慣らし運転で、名著の名も高い第10巻「豚の丸かじり」ではすでに連作エッセイにおいて他者追随の余地を与えず。第24巻「おでんの丸かじり」では還暦を迎えても実験精神旺盛な所を見せていました。
しかしさすがに74歳。円熟の技はすでに完成の域に近いのですけど、ちょっとパターン化というかはっきり申し上げてマンネリなんです。展開が読めてしまう。ああ俊英も加齢に勝てず。内田百閒のごとく老耄もまた材料に、マンネリがより諧謔の味を増すというのはさすがに無理なようで。
私小説の雄、車谷長吉が紀伝体小説に挑んだ「灘の男」。帯にある「粋でいなせで権太くれ」なる表記といい、「灘」といい、日本酒の杜氏の話なんかいなと酒好きの私は早とちりして購入したんですけど。「灘」は「播磨灘」のほうで、車谷長吉の濫觴の地である兵庫県姫路市近郊の、わりと荒っぽい土地で生まれ育った「ごつい男」たちの物語でございます。読んでいるとまるで架空のようなお話なんですけど、実在の人物と実話なんだとか。
私小説家だったのに、会社経営の何たるかをどうしてこの人は本質でつかんでいるんでしょうか。話の中身の面白さはもちろんですけど、作者の知られざる部分にびっくり。
聞き書きの形を取ってるんで、書き言葉としての関西弁に抵抗がある方にはおすすめしません。話のなかに飛び込みがたくなります。
さて3冊目は阿川弘之「森の宿」。エッセイ集からさらに秀作をあつめたもの。集中の白眉ばっかり寄せているんだもの。面白くないわけがない。でもね、これも帯に問題あり。鉄道の旅・空の旅・海の旅などの紀行文ばかりじゃない。つうかそれよりも師と仰ぐ志賀直哉の話とかの方が多いし面白いし。文庫本の帯が煽情的なりすぎているのって、ねえ。ネットのSEO対策とかの悪影響かしら。
「森の宿」には、近代文学における逸話とか光り輝く一片がたくさん紹介されていますが、中に就いて斉藤茂吉の一首を引用もうしあげます。
このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね
太平洋戦争敗戦後の荒廃を悼んだ歌で、敗戦文学の傑作とされるけれど。このたびの震災津波の被害を見ても身に沁みる一首ですね。素晴らしい芸術は時空を超えるんだなあ。
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