五月雨や大河を前に家二軒 七月だって五月雨なのだ
与謝蕪村の句である。「五月雨や大河を前に家二軒」。叙情的な風景だといわゆる俳人センセイならおっしゃるんだろうけど、私はそうは思わない。旧暦の「五月」は現代で言えば6月下旬~7月中旬であり、日本列島をゲリラ豪雨が襲う時季でもあるのだ。 7月29日(月)北陸地方にゲリラ豪雨が発生した。山から海までの搬送距離が短いのが北陸の河川が持つ特徴である。よって支流はたちまち集って本流となりそのまま奔流となって河口へと疾走する。こちらの川は石川県小松市ちかくの「梯川」で、逆巻く水流は橋梁を洗わんかのごとき勢いである。 座乗していた特急サンダーバードは当然ながら徐行運転となり、そのおかげで刻々と増水が進んでいるさまを窓越しにじっくりと観察する機会を得た。しかしその夜には富山で大きな宴会が控えており、なんとしてでも帰り着く必要があったので、凄惨の度を増さぬことだけを念じて祈りをささげながらの道中となった。 堤防を破らんかとする水量に、家の中より増していく水嵩を見ながらすごす気持ちとはいかがなものであるか。築いてきたものが流されてしまうかもしれないことへの恐怖心と、自分の生命家族の生命をふくめて自然の前に投げ出されてしまっていることへの畏怖感と。 「五月雨を集めてはやし最上川」 松尾芭蕉の秀句であり、最上川の轟々たる流れを髣髴とさせる。けれども水流が集まって逆巻きながら流れてくる日本海側の河川がもつ凶暴さは、 「五月雨や大河を前に家二軒」 のほうが余程にひとの「畏れ」を表現しているような気がする。べつに司馬遼太郎さんの解釈を待つまでもなく、ね。 さいわいにしてこの日雨師はこれ以上越前加賀越中に雨陣をしくことなく、いったんは陣を巻くことにしてくれたらしい。なんとか30分の遅れでサンダーバードは富山に到着した。いきものとしてあの車軸を流さんばかりの雨に興奮したのかその夜の宴会はえらいことになってしまったのだけど。