駅弁とマンガと本があれば。

富山を起点に西へ東へと出稼ぎの日々は続く。「乗り鉄」の気配濃厚だから私は毎週だって構わないけどね。食事時間をはさんでの移動になった時は富山出発なら駅売店で「源」の「幕の内」か「立山弁当」を購入してから乗り込む。あとマンガ週刊誌とお茶と。「ビッグコミックオリジナル」は大学時代から読んでるから、もう35年くらい購読していることになる。きっと還暦過ぎても読んでいるんだろうなあ。


「立山弁当」のメインおかずは鮭の昆布巻きで、昆布偏執偏愛の富山ケンミンならではの一品。揚げ物の類が少ないので私なぞ中高年には有り難い。


マンガと弁当がウォーミングアップで、富山駅からざっと40分の金沢に到着する頃にはともに滞りなく終了する。小松あたりから持ち込んだ本を開いて読書タイムに突入。池内紀の「カント先生の散歩」はドイツ観念論の創始者イマニエル・カントの評伝で、学問的側面ではなく人間的側面からカントの人生をなぞっている。

実は私の卒論が「カントの弁証論におけるアンチノミー」で、大学生活4年間ずーっと「純粋理性批判」には悩まされ続けた。難解さを翻訳者のせいにして、といって原文に挑戦することもなく。良くあの程度の理解度で卒業させてくれたもんだと、同志社大学文学部には感謝するほかない。


その大学時代に「さらば国分寺書店のオババ」「哀愁の街に霧が降るのだ」で、同人誌とかの薄暗くて自慰くさい文学フィールドからでなく、底抜けに明るくまったくブンガクと違うエリアから出てきたのが椎名誠だった。正しい勤労と汗のニオイがしてだからといってプロレタリア文学の貧乏くささがなくて。

しかし大学生だった私がもはや53歳。来年にはテレビ上の磯野波平と同い年になるのである。作家のほうだって歳をとるさ。ここ2年くらい書くものがどんどん後ろ向きになり厭世的になり小言爺みたいになってきている。人間は歳月と万有引力に勝てない。そう思って本を閉じるころに新大阪へ到着。


磯野波平が54歳と知ったのはこの「家族写真」中の一編による。帰路のサンダーバードで一読。今の時代に家庭を運営するのってホントに大変だよな。世の中が右肩上がりであれば、家族全体で我慢したり結束しながら将来に成果を得ることができた。あるいはそういう成功例をながめながら共同幻想を素に「あすなろの木」として頑張ることもできただろう。

今の時代に家族であることのキビシサを描いて、その家族すら持たない自分が置かれたさらに凌ぎがたき実情に愕然としてしまった。これはもう、まあなんとかなるさと自分をごまかしつつ生きていくしかないか。


富山に着いてまっすぐ家に帰られなかったのはいうまでもない。幾杯ものハイボールが喉を通り過ぎて現実の重さを流しさってゆく。下人の行方は誰も知らない。

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