おもしろいほど悲しくて、悲しいほどに真面目な日本人。吉村昭と土山しげると江上剛と。読書のごった煮は時間と金とスペースの無駄なのか。

今の日本からするとこんなバカな時代が本当にあったのかと思うのが昭和10年代の日本で、国際連盟脱退以降は他国との関係性に盲目となり、8月15日の敗戦にむかって猪突猛進をやっていた。その折に国民を言葉ひとつで高揚させようと乱発されたのが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「ぜいたくは敵だ」「進め一億火の玉だ」などのスローガンである。

今も新聞の論調をみるに、たまにDNAを感じさせる極端な表現が散見するけれど、冷静な論理的思考を失った国家がどうなったかわかっているんでしょうかねえ。


その昭和10年代に結核のため出征することもならず、病床でひたすら自分と向き合っていたのが吉村昭である。歴史小説のためにあらゆる手段で事実を収集する態度こそ「冷たい情熱」と云いたくなる。

小説への厳しさはともかく、日常生活においては含羞のある素敵な酒呑みであったようで、文壇酒徒番付で横綱ととなったこともあるけど、けして人に迷惑をかけない酒豪として知られた。食べ物にたいする態度も謙虚で、また純粋培養の東京下町の江戸っ子で、だから職人ぶるもの嫌いだし、
理屈や値段で食べることも嫌っていた。そんな呑み助になりたいもんだ。


土山しげるの「食マンガ」はどこまで行くのか。「闘飯」とは与えられたテーマ(料理)を空っぽの皿やどんぶりを相手に、さも最上級のそれが盛られているかのように食べる真似をし、その迫真さを競う競技のことと、この漫画では設定されている。そこに表流と裏流があり演者をめぐって巨額の掛け金も動いていく。この国において「食」はすでにファンタジーにまで昇華してしまっている。恐ろしいことだと思いませんか。


大阪ド根性敗戦焼け跡闇市復興小説とでも申しましょうか。復員した怪力男丑松が、「みんなに腹いっぱい飯食わしたるねん」と頑張る小説で、読んでいると間違いなく元気だけは沸いてきます。小説現代に連載中は欠かさず読んでいたから内容は分かっているのに文庫になったら買ってしまう。困ったもんです。本には金とスペースと時間がかかるということがまだわかっていないと見える。


これだっていずれ文庫になるのを待って買えばせめて金とスペースの倹約にだけはなるのに。どんどん「水滸外伝」に近付いて行くような。ただ講談では武松たちがドロップアウトしていくのに、北方外伝では岳飛が南へと流れて行っている。もう北方謙三のなかでは「なんでもあり」になっているような。そのある種「ヤケ」な気分が面白くて、鮮度の落ちないうちに読みたくて、バカな出費をしてしまうわけなんですね。


酒も飲まずに本にだけ没頭していると、「気がついたらえらい時間になってるやんけ」と「めちゃハラ減ったやんけ」が同時多発テロみたいに発生する。もうあり合わせしかないので自家製のニンニク醤油漬けを刻んで、固ゆでにしたソーメンと炒め、醤油と酒と刻みネギで調味して仕上げにゴマ油をタラリ。おもわず「いいちこ」のロックに手が出そうだけど、今宵は禁酒と決めているからね。


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