京都で鴨南蛮蕎麦。イノダのコーヒーにレモンパイ。変わらないのがあたりまえ。
北陸~関西~東京のトライアングルをハツカネズミみたいに回転していると、どこかでエスケープしないと自分の立ち位置がなくなってしまう、気がする。そういうときに京都はちょうど途中下車によく、また足かけ10年住んだ第二の故郷だけに、ちょっとした帰省感もあってよろしい。
とにかくはまず麩屋町御池の「晦日庵河道屋」へ。ここのたたずまいは3分の1世紀をさかのぼる、新入社員時代から変わらない。
一杯のお値段は、気分的には倍額になってしまったけれど、変わらずにいることのためにかかるコストと思えば気にならない。
蕎麦のあとはコーヒーで。これまた学生時代から全く変わらない、「イノダコーヒ」の三条支店へ行く。あらかじめミルクと砂糖が入れられているのを、ゆっくりとかき混ぜる。半端じゃないほど濃く淹れられているから、眠気が吹っ飛ぶこと必定。「はんなり」と「こってり」が平然と混在するのが京都の魅力なんである。
このコーヒーに「あう」ものとして、特製の「レモンパイ」に敷くものはない。レモン味のババロアにメレンゲがのせられて、表面がさっとカラメリーゼされている。見た目と違ってなんともあっさりとした、オトナの男が食するに足るケーキである。
京都の帰途には駅の伊勢丹に寄る。地下の食品売り場にしか用事はない。「豆藤」の「鯖生姜煮」と「五条つけもん屋」の「千枚漬け」に「仁助」の「薄揚げ」を購入した。こういうものは京都じゃ普通に手に入るのに、富山じゃ東奔西走しても入手できない。
河道也の蕎麦にしても、イノダのコーヒーにしても、あるいはサバや千枚漬けや薄揚げにしても、そんなに高いものじゃない。あるべき味が「守られている」だけのことなのだけど、そんなことを幾百年にわたって普通に引き継いでいる京都人というものは、いやまあある種恐ろしいもんだと思う。
とにかくはまず麩屋町御池の「晦日庵河道屋」へ。ここのたたずまいは3分の1世紀をさかのぼる、新入社員時代から変わらない。
一杯のお値段は、気分的には倍額になってしまったけれど、変わらずにいることのためにかかるコストと思えば気にならない。
蕎麦のあとはコーヒーで。これまた学生時代から全く変わらない、「イノダコーヒ」の三条支店へ行く。あらかじめミルクと砂糖が入れられているのを、ゆっくりとかき混ぜる。半端じゃないほど濃く淹れられているから、眠気が吹っ飛ぶこと必定。「はんなり」と「こってり」が平然と混在するのが京都の魅力なんである。
このコーヒーに「あう」ものとして、特製の「レモンパイ」に敷くものはない。レモン味のババロアにメレンゲがのせられて、表面がさっとカラメリーゼされている。見た目と違ってなんともあっさりとした、オトナの男が食するに足るケーキである。
京都の帰途には駅の伊勢丹に寄る。地下の食品売り場にしか用事はない。「豆藤」の「鯖生姜煮」と「五条つけもん屋」の「千枚漬け」に「仁助」の「薄揚げ」を購入した。こういうものは京都じゃ普通に手に入るのに、富山じゃ東奔西走しても入手できない。
河道也の蕎麦にしても、イノダのコーヒーにしても、あるいはサバや千枚漬けや薄揚げにしても、そんなに高いものじゃない。あるべき味が「守られている」だけのことなのだけど、そんなことを幾百年にわたって普通に引き継いでいる京都人というものは、いやまあある種恐ろしいもんだと思う。
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