アウトドアライフ in 越中
山深き越中の地は山菜王国でもある。ワラビ・スス竹・コゴミ・ヨシナ・タラの芽・コシアブラその他、有名無名の食用山野草が立山連峰の襞々に植生する。
山菜と茸採集に執念を燃やす自称「富山の熊楠」こと取引先OBの垂逸先輩と、現業の甘木先輩、さらに私の所属する会社を卒業後に居酒屋を経営する大物先輩に引率され、後輩の何樫君ともども昧爽午前6時半から出発した。
山菜と茸採集に執念を燃やす自称「富山の熊楠」こと取引先OBの垂逸先輩と、現業の甘木先輩、さらに私の所属する会社を卒業後に居酒屋を経営する大物先輩に引率され、後輩の何樫君ともども昧爽午前6時半から出発した。
富山市から日本海まで一望
早月川を遡り、細蔵山の中腹に至る。富山市内からクルマで40分かかった。粘土質の急斜面を草の根や笹の茎にしがみつきながら登攀する。体重64キロに各種装備を加えてざっと70キロの荷重が二本の細腕にかかってくる。ガキのころから、懸垂と逆上がりが大の苦手だっただけに息が切れる。その後やや平坦な登山道に入り、ワラビとスス竹が群生する一角に到着した。
ワラビはこのように叢の中にあくまでもさりげなく存在する。目線を低くして、しっかりと観察しないと見過ごしてしまう。おまけにこの連休が晴天続きであったことから、市内から相当に離れたほとんど秘境みたいなところでも、猟場に先客があったらしく、目につきやすいところはすでに採取されたあとであったからワラビを見つけるのはなかなかに大変であった。
「緑の狩人」は、ブヨの攻撃から身を守るためにネット付きの帽子をかぶり、長袖長ズボンに加えて湿原を歩くことも多いのでゴム長靴を着用する。手にはゴム引きの軍手。この写真の主は賢明にも水筒を持参していたが、あさはかな私は水分の携行を忘れてしまい、休憩ポイントまで喉の乾きに苦しんだ。
気に寄り添って生えているのが山ウドである。瓜類とウドには食物アレルギーなので、私には無用の長物で、これが大木になろうがキンピラになろうが縁がない。
キスゲの類とみられる可憐な花がそこここに咲いている。花鳥風月歌舞音曲に疎いため、そのうちにwikiあたりで調べて更新しておきます。
ポイントを移動して、一行はさらにウドとワラビを探索する。scouting の意味がよくわかる。ボーイスカウトとは「少年斥候隊」であって、狩猟民族ならではの発想なんだなあと、変に納得した。我々は深山を分け入って森の宝石を獲物のごとく探し求めるのである。
さて残念ながら山中のことで、トイレなどはもちろん存在しない。男性であることに感謝する。しゃがみこんだら、人体でもやわらかい部類の皮膚が露出するため、ヤブ蚊ブヨの襲撃目標になってしまう。山林ではよく単独行の婆さんをみかけるが、どう処理しているのかしら。
これまた何かキスゲ類の群生である。花の名前を知らないとこういう時に困る。博覧強記のようでいて、人として知っていたほうが温かみが増すようなことに疎いのである。役に立つことしか教えようとしなかった受験教育の弊害であると、とりあえず国家権力のせいにしておこう。
今度は狩場を大きく移動。剣岳の山塊を迂回して立山町へ。この川は山の鉱物が溶け込んでエメラルド色をしている。砂防ダムから瀑布のごとく流れおちる。タラの木が幾本もあるけれど、手の届く範囲は採りつくされていた。無念。
中央奥が剣岳。昨年、映画「点の記」がヒットしたせいか観光客がいつもより多いらしい。ピーカンの天気がかえって災いして、えらい逆光だったので霞んで写ってしまった。
車道からちょっと山の中にはいろうとすると、かような看板がしばしば掲出されている。もちろんクマは多く棲息しているけれど、温厚な月の輪クマなのでこちらがクマよけの鈴をつけたりラジオを大音響でかけながら歩いている限り、冬眠前とか子連れとかでなければクマの方がヒトから逃げ出す。
これらの看板は、むしろ山林にとって一番の害獣である人間を立ち入らせないためのものである、と引率の垂逸先輩が教えてくれた。意識の低いハイカーが投げ捨てたタバコの吸殻が原因で何ヘクタールもの広葉樹林が焼け落ちることもある。放置したビニールごみを誤飲してライチョウが死ぬ。ジュースやコーヒーの空き缶も散見する。悲しい。
ふたたび、お口直しに立山連峰。こんなものが晴天でさえあれば市内からでも遠望できるのは富山市民のシアワセである。この絶景を観望しながら、手許によく冷えたビールの一缶でもあればその幸福度はいかばかりであったろうか。
林道沿いに突然出現する、水芭蕉の群生。このへんの標高がだいたい800mほど。まだ路肩に残雪がある。気温が10度前後か。おかげでスス竹の発育が遅く、直径が指輪なら9号くらいしかない。大物先輩は「季節がこんなに遅れたのはここ二十年ないがちゃ」と言った。
一行の中でもっとも狩人指数が高い甘木先輩が「これ旨そうですね」と手を出しかけると、越中の熊楠こと垂逸先輩から「バショウ類は有毒やが」と指摘されて手を引っ込めた。食用にならない限り甘木先輩は採取しようとしない。モラルが高いのか詩情に欠けるのか。ひょっとしてこの駄文が目に止まると面倒なのでここでは伏せておこう。
これは誰にも教えたくない秘密のポイントに幾株も生えていたコシアブラ。天ぷらにした味は、タラの芽をしのぎ、山菜の女王と言われている。こいつのために、翌日サラダ油天ぷら粉その他用具用品一式を購入することになる。自炊はしても揚げものは避けていたので。
帰途、常願寺川沿いの某所にあるクレソンの密集地に立ち寄った。取り放題状態だったので、袋に一杯詰め込んで帰った。周富徳さんに教わった中華風クレソンのスープを作るためである。近所の大阪屋スーパーでは、ほんのひとつまみが128円で売られていたから、採集した量は末端価格で3万円相当となる。
次回の深山行は秋の茸狩りとなる予定である。たった半日のあいだ山歩きをしただけで、相当に足腰に響いたから、秋に向けていささかの鍛錬が必要であろう。
三人の偉大なる先輩方、ありがとうございました。何樫君、おつかれさま。
次回のキノコ狩りに馳せ参じたいでございます。
返信削除金曜あたりに出張入れられるように仕事を作るであります!