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ヨムヨム日記

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こと室内は、春の日向のように暖かい朝だったさ。ソファに寝そべってエアコンかけて、窓外の凄まじい雪を見ながら文明の利器をエンジョイしていたつもりやった。 それにしてもあったか過ぎる。このほのぼのとしたぬくもりはなんやねんと、一抹の疑問を持って壁面にあるパネルを視認してのけぞりました。床暖房が入りっぱなしになっていて。一体いつからスイッチはいってんねん。来月のガス代がおそろしい。 瀬尾まいこが好きなんで、買いました。戸村飯店青春百連発の原型になる短編が収録されていて、そんだけでもファンとしては有難い本。生霊死霊がとびかう平山瑞穂の「会ったことがない女」。いまの学校ってホントに怖いのね「瞬間、金色」は豊島ミホ。こんな猟奇的会話を交わす夫婦がおるわけないやん中島京子の「コワリョーフの鼻」、どれも「出発と再生を決断できるのは自分自身だけ」がテーマになってる。伊坂幸太郎は、この本に関してだけは私の思惑違いやった。 フェイスブックが次のSNSを担うとか、映画「ソーシャルネットワーク」じゃないけどアメリカ人はほとんどがフェイスブックに登録しているとか。しかし入門書と言えこの装丁はないでしょう。中身は一時間もあれば読めるほど平易だけど。なんかネット社会のもつある種の底の浅さが悲しい本。 毎日新聞。日曜日は「毎日かあさん」と「書評」を読むために、嵐であろうと雪が降ろうとコンビニまで買いに出掛けるがです。さすがに外報の毎日ですな。 まあしかたないけど、地元北日本新聞。除雪費はほんまにエライことになってます。天気予報が朝から晩までずっと雪ってのもねえ。2月2日にかろうじて半日だけの晴れマーク。会社を半休して、久しぶりに洗濯物の天日干しでもしようかしら。 富山県は、タウン誌が県民規模の割に発達しております。ごらんの「TJ」以外に「Takt」なんてのもございます。このカレー特集は、カレーフリークの私にはgoogle map のごとくありがたい。県内激辛スポットをチェックするのに必須のアイテムになりそう。「ビストとネギ」も掲載されてるし。 先週読んでいちばんおもしろかった本。やっぱり南北戦争すげえ。62万人が戦死して、4年近くかかって。奴隷解放は成功したけど、人種差別は残った。また、北軍の物量を支えた産業資本家たちは、軍需物資生産で

悲しい歌やねん

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滝廉太郎といえば「荒城の月」。舞台は大分県竹田市とか言われているけど、この悲しい曲調がインスパイアされたのは、富山市であったみたい。官僚の子弟だった廉太郎は、親の転勤の都合で、幼時に富山で生活している。富山県尋常師範学校小学校で、1年から3年まで。学校は当時荒れ城のまま放置されていた富山城の敷地にあったので、その記憶があのメロディのもとなんだって。 今朝8時。雪で視界不明 「雪」  作曲 滝廉太郎  作詞 東くめ 雪や こんこ  あられや こんこ 降っては降っては ずんずん 積もる 山も野原も 綿帽子かぶり 枯れ木 残らず 花が咲く 雪や こんこ  あられや こんこ 降っても降っても まだ 降りやまず 犬はよろこび 庭かけまわり 猫は こたつで 丸くなる ご年配の向きにはおなじみの唱歌ながら、はて最近の学童どもは知っておるのかねえ。1901年に幼稚園唱歌になり、1911年に尋常小学校唱歌に制定されたんやから、冬のオフィシャルソングになって、ちょうど1世紀がたったわけや。 富山駅前の惨状 歌詞ちゅうの「ゆきやこんこ」の「こんこ」は、「来む来む(こむこむ)」の「来む」が現代語で言うところの「来い」であって、「雪よ降れ降れ」の気持ちをあらわしたのだろう、とされている。あるいは「来む此(此処へ来い=此処へ降れ)」とも解釈されておる。 しかしねえ。毎日こうも積雪が続くと、その辺の解釈はホンマかいなと思えてしまう。借問す。富山市内の小学校を視察して回ってごらんなさいな。雪だるまつくってる学校なんて有り得へんし、雪合戦の痕跡も認められない。 あったりまえで、ここ越中の国では、雪は迷惑なものであり、厄介千万な冬の怪物なんだもん。屋根からの雪下ろしで転落死する人のニュースは、まあ毎朝のごとく地元紙の紙面に載っている。富山市では道路の除雪費が底を尽いてしまって、来年度の公共事業を圧迫しそうだし。 家のガレージから車を出すために、子供たちも早朝から雪かきの手伝いに動員されてるし。 だから私には「雪やこんこ」は、雪を期待する歌には聞こえんがです。「来ん」はすなわち、「来ない」ほうの意味ではないかと。「こんこ=来んこと」であって、ああ雪よ降ってくれるな、と聞こえてくるのですね。 で、私なりの現代語訳。 山や野原が綿帽子かぶって、枯れ木に雪の花が

買い物ブギ

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今夜から大寒波襲来と、天気予報が不安を掻き立てるので、小雪降るなか買い物に出た。食糧備蓄ですな。まずは大和百貨店へ。6階催事場の「全国駅弁とうまいもの大会」は黙殺。家族がいて、みんなでワイワイいいながらつつき合うならええけれど。ひとりもんが黙々とリビングのテーブルで駅弁を食うのは、あまりにわびしい風情やん。 今朝の富山市内 大和百貨店では、八尾の竹島豆腐がつくってるミニ豆腐と薄揚げを買う。富山県産のエンレイ大豆をつかっているので、ケンミンとしては外せんところや。あと何にでもつかえるから、豚肉。黒部名水ポークはグラム330円。ブルジョアの気分や。中央通りアーケードへと回って、農協がやっている「地場もん屋」へ。野菜はここに限る。鮮度品質申し分なし。 OH MY GOD あららまあなんてこと。ねらっていた白菜も葱も全滅じゃあ~りませんか。農家の皆さんも大変なんだなあ。そういえば大和の地下で売ってた氷見ブリも、今日は値段が高かった。時化で定置網まで出られてへんのかな。一次産業はお天道様次第だもんね。 粒立ちのいい「あきひめいちご」が売っていたので、まよわずゲット。パックの上からも香気がのぼってきている。くだものはイチゴとブドウにしか食指が動かんのです。メロンも嫌いじゃないけど、アレルギーが出るので自主規制。ただし、静岡産の3000円以上する高級品なら不思議と症状が出ないんです。贈って下さるなら大歓迎。 つづいて西町のスーパー「ピアゴ」へ。白ネギ二束(埼玉産)、白菜(群馬産)、モヤシ、納豆、キムチに卵。エノキダケ、うどん玉、叉焼にメンマ。オレンジゼリー。七味は消費量が伊達じゃないので補給を忘れない。フルーツヨーグルトを一週間分。それと激辛チゲ鍋スープは叙々苑のものが、高いけど一番のお気に入り。けっこう重いんで、寒いし、市電で帰ることにした。 荒町の電停よこにある「井上飴店」は、井上ビルの一階にある。たぶんビルのオーナーなんだな。お婆さん稼ぎましたね。ほれ、ポキン、金太郎。お婆さんその飴の作り方、僕の母親から盗んだのでしょう、ってこのくだりはつげ義春の「ねじ式」を読んどらんとわからんわな。 じつは目覚めてから、クシャミと鼻水、なみだ目がとまらない。ゆうべはロロブリジータ似の妖艶なる女性の店で、午前4時まで呑んどったから

勤勉と忍耐

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雪国に雪の降り積む。何の不思議もないけれど。表日本はたいした上天気だという。朝のニュースショーで東京のスタジオから送られてくる映像を一瞥すれば、なるほどそっちには雲ひとつないワイと知る。てめえら、誰のおかげでお日様を享受できてるか知っとるんかい。 先月のお写真。いまは雪雲の中。 それはもう、北・中央・南とつらなる日本アルプスの峰々のおかげなんであります。大陸から流れてくる、湿気たっぷりの低気圧を受け止めて、水分だけを裏日本に「雪」とか「氷雨」のかたちで振り落とすんだもん。裏側に落とすほどに表側はカラカラになるって寸法で。 今朝なんか7時半でこんな暗さだもんなあ。自宅裏から、いちばん近いコンビニへと向かう道なのだけど。羽毛のごとき新雪ゆえに歩きやすいことはまあええねんけど。昼間にいったん降りやんで、また夜からしんしんと積もるらしい。こんな天気が2月1日まで続くんだってさ。 こうなると、クルマを出すのも一苦労となりまっし。ウチの社員なぞこんな天気になった日にゃ朝5時に起きて、発掘作業に除雪作業。普段は20分ほどで快走できる道を、1時間半もかけて渋滞を抜けて出社されます。ご苦労千万や。公共交通機関のない地方都市の悲しさで、郊外の住宅地に住むと本当にクルマしか出社手段がなくなってしまうのよ。 かつて田中角栄は、「中央アルプスをダイナマイトで吹き飛ばし、新潟の雪を東京に持って行ってしまおう。吹き飛ばした土で新潟沖を埋め立てれば、田んぼは倍になる。所得も倍になる。おまけに東京まで新幹線をひいて、1時間半で上野に出られる」と、言ったとか。言わなかったとか。 おそろしいことに、関西出身者である私がたじろぐほどの積雪の中、経済活動は普通に進行するんですね。勤勉と忍耐。雪国で暮らすには、勤勉と忍耐。知人が聞いたら失笑するほど、私には似合わない言葉だけど。

大阪LOVER 恋しくて憎らしい

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しごとで大阪へゆく。横断歩道ではひとびとが、歩行者信号が青にかわるまえから歩き始めている。点滅している時点で足踏みしている人間もいる。ああ、帰ってきたんやなあとおもう。クルマさえ来なければ、信号無視はあたりまえ。がらんとした道路を前に、ぼーっと青信号を待っていたりしたら、白昼にばけものを見たかのように驚かれること必定。 定宿が満室だったので、天満界隈の安宿に泊まった。朝飯は散歩を兼ねて十八番へ行くことに決まっている。中華料理屋なのに、午前五時から十時までは朝食タイムなのだわ。具だくさんの味噌汁、丼入りの豚汁、貝汁(冬はかす汁)と、これまた大盛のご飯。選べるおかずは十数種あります。シャケや目刺し、卵に納豆。コロッケやウィンナもある。 私は豚汁に小ライスと納豆に。見たまえ、この充実を。完食するのはたいへんやで。粗挽きの赤唐辛子を真っ赤になるほど汁に振りかけて、はあはあいいながら朝食をしたためるのさ。かす汁にウィンナで、瓶ビールをやっているお爺さんもいる。ええなあ。 店内放送はいつもABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」なんだけど、この番組ってたぶん三十年以上続いているはず。道上アナの寿命と心中する気か、朝日放送。 終戦直後の堂島界隈 大阪市内は堂島界隈へ出社。朝9時から会議を招集してくれるありがたい後輩にめぐまれ、颯颯と市内を歩くのです。天上を仰げばなにが尊いかって、親の恩はちょっと置いといて、なんとも青空が広がってるのですね。年明け以来、富山ではほとんど全く見かけない天象なり。 越中でも「晴れ間」くらいは三日に一回くらいのぞくんやけど。あとは、曇天と雪でんねん。毎朝、雪やら氷やらで、スムージーみたいになった路面にくろうしながら、こけんように歩いてます。乾いた道路で通勤できるなんて、それだけでなんぼほど恵まれていることか。 「ヘコアユ株式会社」のイケメンと打ち合わせしている甘木君を、強引に誘って昼飯へ。堂島アバンザの地下にある「ロシア料理・鶴のす」は、正午前に行かんと満員になる。朝の豚汁が消化されきってないけど、大阪に来たときしか喰えんものは、詰め込んで帰るしかあらへん。 ここのヤキメシには、ウスターソースをかけまわして、のどの奥に突っ込むように掻きこんでいく。米食民族のシアワセを実感するひととき。動けんほど満

ロシアより愛をこめて

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スパイとか間諜とかって、北の国じゃないと似合わないのね。007「ロシアより愛をこめて」って、内容はほとんど覚えておらんのですけど、雰囲気でなんとなく感じるじゃないですか。冷たい北の国から、重い使命を持ってやってくる潜入者。 ショーン・コネリーの敵役 土曜日は、午前中いっぱいまでお仕事して(ボーッと立ってただけやんけ)、お昼には楽しみにしていた総曲輪グランドプラザの「ラーメン博」へ。テレビなどで有名らしい、全国ブランドのラーメン店がサテライトをずらりと出している。私は、激辛もええけど、煮干しダシのすっきりしたラーメンも好きなんでね。青森は津軽ラーメンの行列に並びました。 ま、オペレーションの悪いことと言ったら。テントの中には3人もいるのに、仕事が全然連携できてないし。行列している客が見ているにも関わらず、知人の分だけ先につくって裏から渡しているし。ええ加減にせえよ、と憤激しているうちにようやく順番が来る。 タテのものがヨコになる世の中でございます。お許しを。なにしろ、湯切りが全然なってなくて。麺がもっちゃり。スープはぬるいし。雪が散る中、屋根付きとはいえ屋外で食べさせるんだったらせめて熱々を出すのが礼儀とちゃうんかい。憤激の度をさらに増して、半ばで放棄し、隣の大和百貨店で鰻弁当を仕入れて帰ったのでした。こんちくしょう。 そのまんま、サンダーバードで京都へ向かう、つもりが指定席自由席グリーン車とすべて超満員だったので、米原経由で京都へと。旧跡の賤ヶ岳あたり。NHK連ドラ「江」のお姫さまたちは、ここの戦を境にまたエライ運命となるんですね。権六勝家みたいなファイト一本やりの困ったちゃん経営者って、いるもんな。相変わらず。 10年近く住んだのでした。京都市。南座をちょいと北上して、四条川端の鴨東ビル6階へまいりますと、私が学生のころから営業しているロシアレストラン「キエフ」がございます。およそ4半世紀ぶりに訪問いたしました。北の国のお料理のお供には、寒い国の美女を。おほほ。 ウズベク遺跡の出土品ではございませぬ。スターリンもご愛用だった、グルジア銘醸「ムクザニ」ワインのデキャンタなのです。過日の開店30周年で使ったのだとか。ギリシャ赤絵の影響が見られますな。 キエフカツ。鶏の胸肉をバターを芯にして巻いて、コ

激辛修験道

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「ビストとネギ」、なんのことでしょう。おわかりになったら大したものと思うがです。どこかの国の童話のタイトルみたいでもありますし。 富山市上飯野にあるインド料理屋さんだったんですねえ。ビストさんがシェフ、ネギさんがホール担当で。いずれも北インドご出身なんです。ここに先日、わが営業所が誇る怪物胃袋のもちぬし、I青年が行ってきて、「うまい。特にナンがうまい」と感嘆していたのにインスパイアされまして。これは行かなあかんと。 仕事には重い腰が、こういうことになると羽毛のごとく軽くなるの。クルーザーが突如ディンギーに変身いたします。近くのカーディーラーに仕事で顔を出す用事があったことを強制的に思い出して、営業ついでと自己欺瞞をはかりつつ風のごとく軽快に出撃。 薄手に焼き上げられたナンは、表面にバターオイルが塗られていて、カリリとした部分としっとりとした部分の対称性がおもしろい。二種類選択ができるカレーは、チキンとポーク。インド人が運営しているだけあって、当然ビーフカレーはありまへん。ナンの上にごろんと乗っかっているのはタンドリーチキンで、これほどたちのいいヤツには富山で初めて遭遇いたしました。 ギーとヨーグルトで煮込まれたカレーは、かなり旨い。ちょっと重いけど。ナンとの相性がよくって特撰レベルの90点。このセットにお好みで選べるドリンクがついて800円はお値打ちじゃありませんこと、奥様。 いちおう「激辛」で頼んだのだけど、ネギさんからは「大丈夫ですか」と言われたんで、辛さに期待をしていたんですが、辛味の方はまだお昼寝中のレベルでした。 卓上のカイエンペッパーをバサバサ振りこんでいたら、ネギさんが丸い眼をさらに丸くして「足りなかったデスカ」と寄ってきた。「足らん足らん」とこたえると「今日のは辛さ4倍ネ。初めてきてこれを平気で食べたのアナタ初めて。デモ大丈夫。ウチ、言われれば12倍までツクルヨ」 次回はとりあえず8倍に挑戦することを約して店を出たのでした。 そうそう、日曜日には自宅で担担麺を作っていたのでしたっけ。インスタントの醤油ラーメンに、自家製の麻婆ひき肉をのっけて。更に芝麻醤・豆板醤をたっぷり。桃屋の「食べる辣油」を大匙一杯。花椒・粗挽き胡椒。さらに石垣島の赤唐辛子。いやまあ辛いの辛くないのって、越中の冬でも汗かきました。食

ご隠居適齢期

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江戸時代、平均寿命は37歳くらいであったとか。乳幼児の死亡率が半端じゃなかったんで、元服まで生存することができれば、おおむね60くらいまで生きていたらしい。まあ還暦が寿命だったわけだな。定年退職なんてない時代だけど、50歳までには家督を譲って隠居生活、ってのが中流クラスの市民にとってあらまほしき老後だったようですな。 ご隠居と言えば「剣客商売」の秋山小兵衛ですね。小粋で達者で。私もそういう老人になりたいけど、残念ながら剣の達人にあらず。太平の世ゆえに、すすんで刀剣を帯びることもございませんが、包丁などは朝に晩に扱っております。 多忙な年明けには珍しいことに、19時前には帰宅。足元が悪い(溶けかけのグジュ雪)ので買い物をして帰る気力はありまへん。備蓄食糧でごまかすことに。モヤシひと袋に白菜キャベツをきざんで、薄揚げと赤巻き蒲鉾をちらし、ザクとする。お肉は冷凍してあった豚バラ肉。あと、突き出しがわりに富山名物昆布巻き蒲鉾をスライスして。 粉末の鶏ガラスープを湯に溶かす。多少の調味をしたのちに、肉野菜を放り込んで食う、そんだけのお気楽な小鍋立てであります。中華のタンメンの、具だけ食べてる感じ。でもけっこうウマいのですよ。安価にして栄養豊富。しかも低カロリーだもん。 残った汁は野菜のダシがでているので、翌朝に雑炊とする。文字通り「ウマイ汁を吸って」おりまして冬の朝にはこたえられまへん。 お食事と晩酌の友は、「ナショジオTV」で。出し物は「地球外生命体の住める星」。とりあえず銀河系のなかで、生命が発生・進化できそうな星があるかどうか。あるとすればどんな環境でどんな生命体が存在し得るのか。水の惑星とか、ダイヤでできた星とか。2時間がすぐにたってしまう。 お片付けの後、iPadのアプリ「金沢将棋」でコンピューター相手に対局する。ガキの頃に父親とよくやったもんだけど、定石を知らないし、知ろうと努力もしないのでちっとも上達せず。ゴルフと一緒やな。このソフトでは腕前が100段階に分かれており、現在はレベル6で、2勝1敗のペースなり。 犠牲を問わず積極果敢に火の出るように攻め立てると、コンピューターが「そんな無茶あらへんやん」とばかりに困っているのが、面白くあり可愛くもある。 ほどよくお酒も回ってきたら、寝所にまわって読書タイム。漫

American Civil War 南北戦争って

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断続的に到来する低気圧を相手にしているもんで、どうしてもひきこもりがちになってしまう。それはそれで悪いことでもない。普段見ないテレビもせっせと視聴するし、読書量も増える。でもじっとして喰ってばかりなんで体重も増えるのが、裏日本の宿阿だな。 ゲティスバーグの戦い スカパーの「ヒストリーチャンネル」で南北戦争の特集を見た。これってペリーさんが浦賀に来たころ(1853年)にやっていた、アメリカの内戦くらいにしか認識してなかったね、いままでは。 そうそう、奴隷制度を固守しようとする悪い南部の農場主たちが、奴隷解放なるヒューマニズムに目覚めたエブラハム・リンカーンひきいる北部に造反して、戦争を仕掛けたんだったっけ。 まあピューリタンたちが作った理想高き国が、20世紀も近いっちゅうのに奴隷によるプランテーション経済を続けてるってのは体面悪いわなあ。 印象としてはちょっとした内戦くらいに思ってたんだけど、なんとこの戦役による戦死者は62万人にのぼるんだって。これは第二次世界大戦(約40万人)をしのいで、アメリカが今日までに体験した戦争史上最大の犠牲者数なのです。戦役は1861年から1865年まで。足かけ5年も国内戦争やってたんですね。 偉大なるエイブ・リンカーン。もともとは奴隷解放に熱心なヒューマニストであったわけではなさそうで。妻が奴隷を所有していたくらいだもの。辣腕の弁護士であったと言われる。どっかの国の先日までの官房長官もそうだったんだがなあ。 従軍体験は少なかったものの、戦略眼が素晴らしかったようで。戦争のために鉄道網を引いて、兵士と兵站の高速輸送を可能にしたんだな。それと、鉄道に並行して電信柱をおっ立てて、電信網を設置した。これによって、各地の戦況がリアルタイムでホワイトハウスの作戦室に報告される。 大陸横断、ユニオンパシフィック鉄道 また、イギリスへの綿花輸出を主要産業にしている南部の糧道を断つために、主要港の海上封鎖も徹底した。 ロジスティックスとコミュニケーションの革命に、海上封鎖。これって、太平洋戦争と一緒じゃん。物量作戦を可能にする、大輸送力。通信網と暗号解読。機雷による海上封鎖。アメリカの戦争ノウハウにおけるDNAがここで確立したんですね。 ところで目立つ顎髭は、選挙戦中に14歳の少女にすすめられて伸ばし始めたのだとか。