古都の春陽
冬長き越中にもようやく春はやってきたのだが、文字の霊に取りつかれたかのごとく椿事がつづく。まずは週末の大阪出張の帰路。早朝に高岡駅で発生した人身事故、魚津~直江津間・草津~彦根間の強風による列車運休に、近江今津近辺での強風による徐行運転が重なった。
往年の485系列「雷鳥」編成
私が搭乗する予定であった「サンダーバード」はトラブルによる車両やりくりの関係で、急遽旧型の485系「雷鳥」編成となった。多分就役してから四半世紀は経過したと思われる老嬢で、かつては喫煙フリーであったことを車内の臭気が示していた。いわゆる昔の国鉄特急のニオイでである。
福井駅「番匠」製幕の内
この日は金沢に仕事があったので、列車の終着駅が富山から金沢になっても問題なかったし、近江今津での徐行運転もわずか20分ほどの遅延で事がすんだ。東京から来たスタッフと合流してまあ仕事は順調に終わったのだけれど、東京組2名を襲った運命はなかなかに熾烈であったようだ。
まず往路。ほくほく線が運休となり越後湯沢での乗り換えができずに長岡回りに。さらに前述した強風のあおりを食らって、新潟~金沢間の特急「北越」が1時間の遅延に。おまけに富山泊まりを予定せず敢えて日帰りを試みた1名は、越後湯沢経由・長岡経由もままならず米原・名古屋経由の帰郷ルートを選択せざるを得なくなった。
金沢駅構内の居酒屋「黒百合」
富山組は、駅構内の名店「黒百合」で金沢おでんを堪能しつつ早めの夕食をとった。どうせダイヤは混乱しているんだし、世間が落ち着くまで静観する事にしたのだ。無謀にも首都帰還をこころみた垂逸常務こそ悲惨であって、米原に辿りついても新幹線は終電のあと。結局早朝に深夜というか暁闇のなか名古屋に到着して仮眠、早朝の「のぞみ」で帰京することになった。
我々とともにおでんをはじめとして、山菜の天ぷら・野三つ葉胡麻和え・薄揚げ焼きなんぞを堪能して富山に泊まって朝一便の飛行機で帰ればよかったのに。越中越後の不安定な気候を読み違えるとビジネスにも大きな支障を来たす。赤壁の賦いらい、気象を謀るものが勝利を得るのである。
我々とともにおでんをはじめとして、山菜の天ぷら・野三つ葉胡麻和え・薄揚げ焼きなんぞを堪能して富山に泊まって朝一便の飛行機で帰ればよかったのに。越中越後の不安定な気候を読み違えるとビジネスにも大きな支障を来たす。赤壁の賦いらい、気象を謀るものが勝利を得るのである。
JR粟津駅
天然自然だけがトラブルを呼ぶわけではない。自分が呆けていて間違いをしでかすことも、当然いくつも発生する。クルマでJR北陸本線芦原温泉駅へ行くつもりだったのに、ドライバーへの指示をまちがえて粟津駅へ行ってしまった。芦原温泉駅からは、福井方面に向かって武生へ赴き、名物の辛味大根を使ったおろし蕎麦を堪能する予定だったのである。
芦原温泉駅からは武生行の特急が1時間に2本くらい発車しているが、粟津駅は各駅停車が1時間に1本しか出ていない。どうみても武生に到着するのが15時をまわってしまう。あまり遅い昼食も嫌なので今回は食欲をペンディングにして、金沢経由で富山に帰ることにした。
「兼六園」から石川門を望む
転んでもただで起きるべからず。金沢ついでに兼六園を散歩することにした。さすがに加賀百万石の名園である。新緑が沸き立つようで、身体に染みついた冬の匂いが揮発していくようであった。
勢いを駆って、21世紀美術館も歴訪した。モダンアートの牙城である。アンティークが嫌いなわけではないけれど、美術としてのモダニズムは好きだ。直線でスパッと切り取られたような造形は、20世紀以降のせわしない世の中でしか生まれようのない、逃げ道のないアートだとおもう。そんな美術館のなかでどういうわけかグライダーの展示があり、これが妙に宮崎駿めいた恰好をしていた。
エンジンも積んでいないのに意味のないエアインテークや、横操縦の困難を予測させる不可思議な無尾翼構造で構成されながら、この奇妙な飛行体が空を漂う姿はきっと美しかろうと思われる。
結局この日も「黒百合」でおでんと薄揚げをもって、「穂の香・花伝」「萬歳楽」などの金沢銘酒を傾けることになってしまった。車麩のおでんなどこの地以外で見かけたことがないけれど、心なしか薄めで甘みのやや勝っただしで煮込んであって、敬服に値する味である。
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