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8月31日といえば 読書感想文の思い出

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宿題嫌いの私は、小中高と12年の長きにわたって提出物をきちんと出すことが苦手であった。 高校時代、地理Bの教師が希代の阿呆で、生徒全員に毎週日曜日の21時から放送されるNHK教育テレビ「地理B」を視聴し、翌朝に放送内容をノート2頁以上にまとめて提出させることに生き甲斐を感じていた。 なにしろ中間テスト期末テストで100点を取っても、この番組視聴レポート提出が5回以上欠落すると問答無用で落第になるのである。高等学校は学力涵養をするためのものであり、堅忍不抜の精神を鍛えるところではない。 おまけにこの教師はおめでたいことにルイセンコ学説の信奉者であり、「植物は鍛えれば強くなる」などと獲得形質が遺伝形質となるトンデモ科学を授業で真剣に説いていた。スターリンの御用学者の楽天的植物学が、北の大地を沃野へ転換すると信じていたらしい。 そのような馬鹿でも教師が務まったのだから、昭和の御代は平和であったと言えよう。おかげで私は危うく進級し損ねるところであったが。 そして読書感想文である。丸谷才一は「子供に読書感想文を書かすな」「子供に詩を書かすな」と著作中で主張している。まったく同感である。読書感想文とはまさに文芸批評にほかならず、対象となった本はもちろんのこと、時代背景、著作者の思想まで把握したうえで述べられてしかるべきものだろう。年端もいかぬ教養なきガキは、単に「おもしろかった」「たいくつした」ぐらいしか、普通言えないはずである。 「おーい水島、いっしょに日本へ帰ろう」の「ビルマの竪琴」。小学5年の折に、これを題材に読書感想文を書いて、毎日新聞の小学校読書感想文コンクールに入賞した。あたりまえの話で、当時有楽町にあった某新聞社の政治記者をやっていた父親が、何を書いているのかわからぬ私の悪文に手を入れて換骨奪胎したものを提出したのだから。賞状などは散逸してしまったが、どうにも毎日新聞から詐取したような罪悪感が抜けず、いまだに中央紙では毎日を贔屓としている。 白戸家のお父さんこと北大路欣也が、ドラマで主人公の広田弘毅を演じていた。東京裁判において、軍人以外ではただ一人絞首刑なった外交官出身の首相の物語である。大正から昭和へ、太平洋戦争へと転がっていく日本を、文官政治家の苦闘(軍部・統帥権との闘争)を描いた大作。中学2年の8月31日、読書感想文

華麗なる課題を世界的規模で解決

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金曜日のこと。大阪市北区堂島界隈にいて、遅い昼食をしたためんとしていた。富山から到着して間もないこともあり、身体が熱望していたのはもちろん「インデアンカレー」にきまっている。それもこの日はいかなる体調のつごうか、「カレースパゲティ」に一直線であった。心の内なるラテンの血が、故郷の土を踏んで騒ぎだしたのか。 甘いようでいて、食するうちに汗がにじんでくる独特の味が、ゆであげられてのちにしばし放置されて、油で炒めなおされた極太のスパゲティに絡んでくる。こころもち、のどに引っかかる食感がまた得も言われぬ快感である。 夜は西新地のバーで始めて、北新地のスナックへと転戦した。富山の繁華街、桜木町は今や私のホームタウンとなっている。通って飽きない店もあり、愉しい女性陣もステキではあるけれど、やっぱり新地はええのう、とおもってしまう。 深更、連れが「腹が減った」と訴えるので、北新地名物は「香川」のカレーうどんを制覇することにした。ここは24時を過ぎると半端でない行列ができるので、我々が侵入した23時半という時間帯はギリギリ待たずに着席が可能な微妙なタイミング。 ここは明け方までやっているので、数年前、色々とややこしいことで煩悶していたころは、午前3時ころ前後不覚にに酔っぱらって来店したことが幾度となくあった。半分がた喰いかけたまんまカウンターにもたれかかって爆睡してしまい、店員に起こされたこともあったっけ。人生の陰陽をうつした、甘くて辛くて切ない味加減なのである。 この酒豪がなにゆえに、23時半に酒席を切り上げたかというと、要するに翌土曜日がゴルフだったんですね。場所は超名門ABCゴルフ倶楽部。マイナビABCカップで、石川遼が18番ホールのなぎさバンカーから水切りショットを放って優勝した、あのゴルフ場なのだ。 インスタートだったので、18番をあがってから昼食となった。ちなみにそのホールでは3オンを果敢に狙って、池に2度も放り込み、11打でホールアウトした。トータル116、いやはや。気温38℃で朦朧としていたというよりも、相変わらず自らの実力も知らずに、無謀な挑戦を繰り返す阿呆なゴルファーであることを再確認した次第。 こちらの名物は、各種海鮮たっぷりのカレーラーメン。2代目か3代目の料理長が、神戸中華街の中華風カレーを参考にして創案したもの

秋刀魚の歌

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秋刀魚が高値を呼んでいる。温暖化のせいだとか、中国の陰謀とか、ロシアによる漁獲が原因だとかいわれているが、たぶんどれも的外れであろう。何でもかんでも温暖化に寄せて考える風潮を私はよしとしない。青魚は定期的に豊漁・不漁を繰り返す性質があり、例えば今年は長らく不漁続きだったマイワシが大量続きで、値段も下がっている。 まあ、漁師に言わせれば「イワシは海の米」であって、毎日食っても飽きないのはイワシだけだと、獅子文六のエッセイにもある。私もイワシの塩焼きは無二の好物だから全く同感である。 しかしそろそろ9月の声も聞こえて来ようかともなれば、あのスラリとした青銀色にかがやく魚体がやはり恋しくもなってくる。ベランダに七輪でも出して、モーモーと煙を上げながら塩焼きにしてみたいところだ。炊きたての新米を添えて。 「秋刀魚の歌」で知られる佐藤春夫は、谷崎潤一郎との確執のすえに、彼の妻であった石川千代をもらいうける。夫妻の離婚成立を受けて、3人連名の挨拶状を知人に送った。有名な「細君譲渡事件」である。 年譜風にしてみると、 大正4年 谷崎潤一郎 石川千代と結婚 大正6年 谷崎、千代と疎遠に。佐藤春夫は千代の心情を惻隠するうちに恋愛感情に発展。 大正9年 春夫、米谷香代子と離婚。このころ、谷崎は千代と復縁 昭和5年 谷崎、千代と離婚。 春夫、千代と結婚 昭和6年 谷崎、古川丁末子と結婚 昭和10年 谷崎、丁末子と離婚。 根津(森田)松子と結婚 この間、谷崎と春夫は絶交宣言を出してみたり、ひっこめてみたり。谷崎は春夫以外の男性にも千代の譲渡を仄めかしたこともあるようで、いやあ、昔のひとはエネルギッシュだったんですねえ。 妻に裏切られ、離婚し、恋しく思う人は再び夫の元へ戻って行っていた、どうしようもなく孤独であった頃を題材に、周知の名作「秋刀魚の歌」は書かれている。 「秋刀魚の歌」 佐藤春夫 あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ ――男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食(くら)ひて 思ひにふける と。 さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑

遅まきながら「永遠の0(ゼロ)」

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タイガース3連敗もなんのその。ゲーム終了後、大和百貨店7階の紀伊国屋書店へ赴いて、この本を購入した。帰宅し、夕食の準備も忘れて没入。6時半ころから読み始め、午後9時半に読了したのである。久しぶりのパワー全開イッキ読み。 百田尚樹「永遠の0(ゼロ)」は、ゼロ戦版剣豪小説であり、家族小説であり、強烈な反戦小説でもある。主人公?の宮部久蔵は宮本武蔵のモジリかもしれない。武蔵の撃剣術と空中戦の秘技の比較も作中に出てくるし。まあネタバレさせるのが惜しいほど面白い小説なので、ぜひご一読をおすすめします。何ともいえんフクザツな読後感を共有させてもらいたいところ。 この小説はまた、ゼロ戦をめぐる青春小説でもあり、日華事変でデビューした12型、真珠湾で開戦劈頭に大活躍した21型、昭和18年以降、アメリカが繰り出す新機材に苦心惨憺した52型が描かれている。本来は艦隊制空任務のために開発されたゼロ戦が、地上からの長距離作戦機に、さらに邀撃任務に、最後には爆装して特攻任務につく。爆装については事実なら人道上許し難いエピソードが記述されていた。用兵者の無定見無能ぶりが淡々と且つ辛辣に記述されている。 太平洋戦争を引き起こしたものは何か。天皇でもなく、軍部でもなく、狂信的右翼でもない。普通に我々の祖父・曾祖父たちである。ポーツマス講和条締結を弱腰外交と批判したのは、市民の思想レベルを代表する当時の新聞社であり在野の言論人であった。驚くべきことに、中には今も続く新聞社もある。 数万人の市民が決起した、明治38年9月5日の日比谷焼き打ち事件こそは、日露戦争で奇跡といっていいほどの軍事的勝利をえた日本が、夜郎自大となって対外進出をはじめるきっかけである。昭和20年8月の悲劇は、まさしくこの日にプログラムされたのである。                     日比谷焼き打ちの惨状。 ジャーナリズムがコトの本質を客観的に分析せず、市民の「空気」に迎合してさらにその気分を煽りたて、軍人と官僚はその「空気」を隠れ蓑にして権力の拡大にせっせといそしんだ。たぶん、選り抜きのエリートであった彼らは、頭のなかでは対米戦争に勝てるなどと思ってもいなかったに相違ないだろう。だが、えもいわれぬ「空気」に支配されている世の中で、冷静なことを述べたって「臆病者」と批判され、立場

美味しいカレーの作り方

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近日某夜、一人ぽつねんとカレーを煮ながら想い出したこと。 入学者のほとんどが4年できちんと卒業していた、30年前のハッピーな大学生活を思い出した。一般教養のテストで、出席したこともなければ教授の顔も知らないけれど、出題内容次第ではなんとかなるかもしれない「経済学」「商学」などで、どうしても太刀打ちできない課題が出された場合とか、よく使われた方法である。少なくとも京都の某私学では。 課題例 「プレトン・ウッズ体制下における通貨供給量規制措置が、マーシャル・プラン達成に関して及ぼした影響を、両陣営それぞれの立場に則して述べよ」 回答者(私の場合) 「なーにを問われておるのか、さーっぱりわからん。果たしてこれは日本語で構成された文章なりや?しゃあないから一般教養科目における不変の法則にのっとって、例の回答を書き込んでおくか・・」 コトの真偽は知らないが、一般教養試験における採点基準については様々な学内伝説が流布されていた。いわく、解答用紙を壁一面に貼って、文字数の多いものから加点していくらしい。いわく、きちんと構成された料理レシピで論理構築力さえ発揮すれば「可」だけはくれるらしい。いわく、採点は助手任せなんで、女子大とのコンパの連絡先を記しておけば大丈夫らしい。いわく・・・ 文字数を稼ぐことだけは、内容はともかく昔から何の苦痛にもならない。あとは内容である。残念ながらスーパーモテない君だったので、併設されている女子大含めて女性コネクションはなく、やむなく「美味しいカレーの作り方」でごまかしたのである。 その試験結果は、国家機密に匹敵する個人情報に帰属するので公表を差し控えます。 まあ、美味しいカレーの代表格といえば、堂島地下街の「インデアンカレー」でありますが、愚作もなかなかのレベルと自負している。カレーとすき焼きと卵かけごはんの味付けだけは、誰もみな人に譲れぬものがあるはずで、私もその独断の顰に倣っているに過ぎないが。 20代30代の頃は、スパイスにやたらに凝った。明治屋なんぞで、原形のまま購入してきて自宅の乳鉢で擂り潰して自家製ガラムマサラを作ったりした。鶏がらスープを取ってみたりもした。 40代を迎えたころ、どんだけ素人が頑張ってもハウス・S&B・グリコには勝てないことを自覚した。 いまはせいぜい、サフ

鮎と蕎麦

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お盆期間中は毎日富山競輪場へ(仕事で)日参していた。帰省もせず、行楽もせず。それじゃあまるで伊集院静のごとき、ギャンブラーの生活みたいだったので、ちょいと近所に出掛けることにした。JR北陸本線でざっと20分、富山県第二の街、高岡市まで。                    目的は川魚料理屋の「川瀬」。高岡の駅からクルマで5分。県内を流れる清流「庄川」の天然鮎を提供する店である。帰省ラッシュのさなか、久しぶりに顔を合わせたらしい親戚連れや同級生の集いらしき団体で、店内は満杯状態。メニューも少なければ、店員のサービスも実質本位でごくあっさりとしたものだけれど、まあいいのだ。焼きたての鮎の塩焼きを次から次へと平らげて、その合間に名酒立山と地酒三笑楽で舌を洗うことができるのなら。 北陸では天然鮎と言うと「庄川」となるらしい。岐阜県の山岳地帯を源として、白川郷・砺波市と流れわたり、新湊で日本海にそそぎこむ。太平洋側の鮎と異なって、せいぜい手のひらサイズまでしか成長しないのだとか。「川瀬」では、鯉の洗い、鯉コク、岩魚のから揚げなどとセットにしたメニューもあったけれど、ひたすら塩焼きを貪ることにした。 とはいうものの先付けはセットになっていて、煮付けである。いささか味が濃いので、ビールが合った。鮎とキリンと。名優二人の競演なり。なにしろ昼間は競輪場で厳しい直射日光にさらされていたので、ジョッキ2杯がたちどころに干されてしまう。 塩焼きのお姿。大きいもので6インチくらい。日本のゴルフ場の悪習、6インチプレースほどの長さかな。小さいものは4インチ・ざっと12センチほどか。当然アタマからバリバリと食べる。骨を噛み砕くブキブキ感と、しっとりほっくりとした身、香ばしく焦げた皮の取り合わせがたまりません。 鮎はこの特製別注の炉で、炭火で焼き上げられる。養殖物が一尾350円。天然物は600円。まあこの際値段のことは考えずにガンガン焼きあがるはしから、かじり付くことにした。といっても咀嚼で顎が疲れるので、まあ10尾くらいが限界でした。日本酒が2合。別注した大根の漬物(たぶん麹漬)が、鉈で割ったような大根を豪快に漬け込んだような野趣あふれる味わい。電車の時間さえ気にならなければ、こいつを肴にあと2本くらい呑みたかった。 翌日(というか昨日)の昼食は千石町の

My working style.

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尊敬する実業人、故安藤百福さんのお言葉に「仕事を戯れ化せよ」というのがあった。その真意はともかくとして、都合よく解釈するのが私のいいところである。楽観主義なのか楽天主義なのか。 で、富山競輪場である。世間はお盆休みながら、この鉄火場がここ数日の仕事場なんである。年に一度の富山記念競輪で、S級のスター選手が多数この地へやってきている。できることなら、銘酒立山や満寿泉、氷見牛のステーキや甘エビ白海老で選手を慰労したいところだけれど。残念ながら競輪選手は4日間の試合の間、携帯電話すら持ち込むこともできずに宿舎に閉じ込められる。外部との接触を一切許さない。八百長防止のためながら、厳しいことである。 お仕事で現場に行っている私なんぞはお気楽なもので、富山競輪場に対する交際費だなどとうそぶきつつ、ひそかに車券を買ったりしている。午前の3レース、いずれも三連単で計15枚の車券を購入して、第3レースの1枚だけが的中した。投資3000円に対して回収1840円なり。 広い競輪場をうろつくのはいい運動になる。また、カンだけで車券はあたらず、細かい研究と判断がいるから良い頭の体操になる。いちにち遊んで、車券を100円単位で購入すれば、ざっと3000円もあれば楽しむことができる。座りっぱなしで、瞬時で一万円が飛ぶ、パチンコなぞより余程健全である。定年リタイア組の娯楽としてこれに勝るものは少ないのではないか。 歩き回るとハラが減る。とりわけ現場仕事の時はいつも以上に食欲が増進する。ここに来ての昼食はいつもこの「的中おむすび屋」を利用することにしている。場内で最もアクセスの遠いところに立地しているものの、なにしろ富山県なのはな農協の誇る銘柄米、「八丁米」の炊きたてを、注文ごとにおばちゃんが心をこめて握ってくれるのである。 本日のメニューはきつねそばと海苔佃煮のおむすび。いささかばかり固めに炊きあげられた米の味がたまらない。口をあんぐりと開けて、喉いっぱいに押し込んでやる。コメが喉をくぐっていく快感を確かめたのちに、ちょっと下品なほど雑節の旨みがきいたそば汁が追いかけていく。鉄火場ならではのせわなしなくも絶妙なる味のシンコペーションである。 メニューのネーミングも凝っている。本命汁・逃げうどん・捲りうどん・差しうどん・地脚そば・番手そば・自在そば と、いずれ

越中ないない噺

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安野モヨコの著作名じゃないけれど、「くいいじ」張ってるほうです。まいにち、あれも喰いたいこれも喰いたいと迷っている。新規開拓と称して、行ったことのない店に飛び込んでランチをしたためたりするも、期待外れに終わってしまうこと、あるでしょう。そんなときは、意に沿わないものを平らげることなく、とっとと店を出てしまう。そして、安心できる店でキツネうどん一杯でいいから喰い直すんですね。あと何年生きられるかわからないのに、つまらんもので胃をふさぎたくないのである。 面白いです。 越中富山に移転してはや11カ月が経過した。生活習慣の違いなど、ずいぶんと理解したつもりでも、いまだに驚くことがたまにある。とくに、食生活においては、あきらかに京阪神エリアと食文化が異なるので、「あってあたりまえ」のものがその片鱗すら存在せず、「みたことがない」ものが食卓や店のショーケースに並んでいたりする。                     富山の蒲鉾は板を使わない。だから居酒屋へ行っても「板ワサ」なるメニューは存在せず、単に「かまぼこ」と記載されているだけである。一本2000円の高級品も、大阪屋スーパーで99円でセールされている普及品もすべて真空パックになっている。なかでも昆布巻き蒲鉾はたぶん富山独特のものながら、もっと全国に販路が広がってもいい良品である。低カロリー高蛋白の蒲鉾に食物繊維の権化みたいな昆布なんで、美容と健康を気にする向きにもおすすめしたい。県内最大手の蒲鉾屋社長がアマチュア無線つながりなんでちょっとPR。                                 今度は富山にないもの。夏が旬の「キハダマグロ」が知る限りどこにもない。冬場の本マグロが上物は概ね築地に水揚げされるように、夏のキハダは那智勝浦漁港など関西に集荷される。ご覧のようにいわゆる「トロ」がまったくない、純粋の赤身で、食味もはなはだアッサリとしている。 どういうわけか、刺身というものにまったく食欲を感じない偏食者なんだけれど、夏のキハダはたまに食べたくなる。日本海側でも漁獲されているんだし、大和百貨店あたりで仕入れてくれないものかなあ。                                        それから、やはり夏の食べ物で言うと、「ハモ」が見受けられない。たま

閑中閑あり

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この暑中に、八日間でゴルフ3ラウンドなる暴挙に出たため、さすがのタフマンも疲れ果てたと見えて今日は自主的に夏休みとした。起き出すぶんには抵抗がなかったものの、どこかに疲れの芯を感じたので、とっとと休むことにしたのである。 昨夕に大阪出張から戻ってきたのだけれど、サンダーバードの車中にも帰省と思しき家族連れが多く、世間は徐々に盆休みへと突入しつつあるようだ。 部屋の片付けなどしなければならんことが結構あるにも拘らず、本日は休養が主眼なので床のホコリなどは看過する事にした。洗濯と食料品の買出しだけはかろうじて実施。あとは久世光彦と関川夏央をソファーにもちこんで、野球中継を聞きながら、だらだらと読み進むばかりである。 ところで、世間様はこの金曜から正式?に盆休みとなり、列島はトランスヒューマンスの渦となるのだが、私はずっと仕事である。周囲からは「怠け者の節句働き」といわれる。そのとおりだと思う。 台風4号の影響なのか、雲行きが不穏である。雨が降り出す前に買い物から帰ろうとしたのだけれど、しっかり降られてしまった。細かく強い雨に濡れながら、眼鏡の奥の眼をしばたかせつつ、よろよろと自転車を漕ぐ初老の男というのは、しかし絵になりませんねえ。貧困と落魄を感じさせるものがある。ここ越中にあっては、いかに近所の買い物といえどクルマに乗って出かけるのが定法である。いいトシこいて、ママチャリを漕ぐ男など、ホームレスと同様の生活レベルと判断される。 見栄っ張りの私は、こういう時に本気で免許を取ろうかと思う。50の手習いである。 近所の大阪やスーパーで見かけた摩訶不思議な物体「おしょうらい棒」。ちょいとライトな松明といった風情である。家に帰ってネットで調べたところ、お盆に先祖の霊を「招来」するために、夜、これに火をつけて川のほとりや田んぼのあぜ道を歩くのだとか。石川県東部から富山市にかけての風習だという。うちの近所のいたち川遊歩道でもやるんだろうか。 いたち川べりの遊歩道である。自宅前を流れる松川もそうであるけれど、川岸に手すりの類がなく、水面のすぐ近くまで寄っていくことが出来る。「キケン!」とか「水遊び禁止」などという野暮な看板も掲示されていない。水に落ちるも溺れるも自己責任である。過保護にすぎるわが国ではめずらしいと思う。英断である。

太陽がいっぱい

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    前略 きついっすよね。                                   昨日も朝から太陽がいっぱいの富山であった。午前9時27分。定時直前に会社の玄関からコカコーラの電照看板を見上げた。これは温度計も兼ねているので便利である。                                  そして、午前9時27分にも関わらず、気温はすでに36℃となっている。立山方向から叩きつけるように輝いてくる太陽光は、「もうどないにでも勝負したるやんけ」「出る所、どこでも出たろやんけ」とばかりに狂暴に照りつけてくる。                                     まさしく半年前、2月4日のほぼ同じ場所での映像である。この冬は、長く冷たくそして暗かった。ほどんと太陽を拝むことがなく、太平洋側出身の私はちょっぴりウツになっていた。 越中富山の太陽は、場末のスナックに来る客のごとく、めったに来ない日が続いたかと思うと、ふと態度を変えて連日居座ったりする。もうちょっと、年を通じて平均的に出現してはくれないものか。               デスク上の温度計は31℃。クールビズどころではない。おまけに私はクールビズがきらいである。 スーツ姿にネクタイがないと、故藤田まことが演じていた安原刑事みたいになってしまう。だから私は夏でもネクタイをはずさない。 こんな亜熱帯みたいに夏が暑い国なら、インドネシアのバテックやハワイのアロハみたいに、気候風土ににあった服をオフィシャルウェアにすべきだろう。本質をつかむことなく、周辺を手先でいじって誤魔化すのが、悲しいかな、国民性なのであろう。  この写真は6月に撮ったもの。 ちなみに昨日よりも厚い炎天下、本日は八尾カントリークラブでゴルフに興じていた。前半はともかく、後半は完全にバテた。あたまがモーローとするなかで、9ホール中OBを8発も数えてしまい、21世紀最多の打数になってしまった。まあ、熱中症で倒れることもなく、無事に完走できたことをもってよしとすべきなんでしょう。                 暑いときは熱いもの。冷たいペットボトル(ラウンド中に何と5本)を飲みすぎたので、今宵はこれより太郎丸の「赤鍋屋」を襲撃し、モツ鍋をもってしてスタ

imitation gold

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こんな時節に、暑い暑いなんていくら繰り返したって涼気がおとずれるわけじゃなし。言うだけ余計にツラいんだけど。 でもたまらんものはたまらん。本日の越中富山、36℃(正午12時現在、富山地鉄ビル前計測)です。私の平均体温が35℃だから、体温より一度高いやんけ。 あ~お昼は冷麺か。それともおろし蕎麦の大盛か。氷見うどんも悪くない。などと冷たいモノをいとしんでおられるのは、まだ気温が32℃くらいまでのこと。太陽光線が「もうどないにでも勝負したるわ」と言わんばかり白色光線で地表に襲いかかって、35℃を越えてしまったら、冷やすよりも過激に汗をかいた方がかえってすっきりする。 空っぽの胃袋で第五が響く。ジャジャジャジャーン。どっさりびっちょり汗をかく夏場の塩分補給に、富山県の誇るヘルシーフード「富山ブラック」をお送りいたしました。もれなく食後にペットボトル1本分のウーロン茶消費がついてまいります。 しかししかし、私がこの環境下でホントに食べたかったのは、富山ブラックラーメンではない。もっと根源的に発汗を催すあの麺類なのである。 はい。カレーうどんです。でもよくご覧いただきたい。この、富山スタンダードスタイルでは、かけうどんの上から、カレールーをドロリと落とすのである。かきまぜると、それなりスパイシーではあるけれど、大阪のカレーうどんとはその狂暴さにおいて大いなる落差があると言わざるを得ない。                                        あ・あ・あ イミテーションゴールド                    あ・あ・あ いのちそのまま                    あ・あ・あ イミテーションゴールド                    飲み干したけど 今年のひとよ                    くせがちがう 汗がちがう                    愛がちがう  きき腕ちがう  ごめんね                    去年のひとに まだしばられてる         往時よく、カウンター越しに眺めていたのだが、かの地では、カレー粉と片栗粉と、粉カツオをブレンドした怪しい粉末を猛烈な勢いでうどんつゆに溶きこんで、めんが持ち上がらないほどの粘性を加えるんですな。