愚者の楽園

たまには名文を読んで、自分の平仄をととのえ直そう。


晋の魏喩では石が「もの」を言ったという。民の怨嗟の声が石を仮りて発したのであろうと、ある賢者が解した。すでに衰微した周王室は更に二つに分かれて争っている。十に余る大国はそれぞれ相結び相闘って干戈の止む時が無い。斉侯の一人は臣下の妻に通じて夜毎その邸に忍んで来る中についにその夫に弑せられてしまう。楚では王族の一人が病臥中の王の頸をしめて位を奪う。




中島敦。文字が羅列されているだけなのに、その文字列の美しさがただごとではない。イスラム教徒がコーランを単なるカリグラフィーの域から視覚芸術にまでアウフヘーベンせるがごとし。漢字の字画がひとつひとつタブローとしてビシッと決まっている。すごいなあ。

民の怨嗟は石をすら語らしめる。

今朝新聞を見ておどろいた。権力にひたすら妄執する愚者の群れは、ついに最も手を携えてはならない者たちと合従してしまった。この12月7日は、向こう10年更に我が国が迷走を続けるきっかけとなった記念日として長く記憶されるに違いない。69年前の12月8日もそうであったように。

最高権力者は、地位保全のためには狂犬にさえ阿諛追従するつもりらしい。




義として周の粟を喰らわず。人の道に外れた国、周の天下で作られる作物は食べない。伯夷・叔斉の故事にならい、立山山麓に籠ってワラビとゼンマイだけを採食するのも、すがすがしくていいけれど。まだ世を捨てるまでもうひと廻りくらいは生きてみたい気もするし。

ところで、本日の越中は朝からずっと氷雨が降っている。気温摂氏5度なり。ついにコートを着用す。じつはゴルフコンペに参加の予定だったのが、主催者側の英断で中止になった。有り難きお達しなりけり。もし強行されていたら、確実に風邪をひいてしまっただろうね。





「かきくらし そぼ降る雪のつめたさに このわためして あたためぞする」

淀君相手に連夜の荒行で、腎虚ぎみの太閤秀吉にある人が「牡蠣・つめた貝・ナマコ」を献上した。いずれも当時は精力剤とされていたらしい。これを喜んだ秀吉に、お伽衆の曾呂利新左衛門が即興でこの狂歌をつくったとか。

猿と呼ばれることを気にする秀吉に、「殿が猿に似ておるなんてとんでもない。猿めが殿のまねをしているのでございます」といなしてみせたとも。つらい時代の生き方は昔も今も変わらない。

「泣くがいやさに 笑い候」





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