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そして神戸で雲竜型の大宴会。シメは山笠ラーメンで。ゴルフの教訓と「たこ梅」の傑作と。東横線のアオガエルがなぜ大阪駅に。

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そういえば神戸に行ってゴルフをしたんだった。ゴルフバッグが重かったので新大阪から新幹線で新神戸へ。12分で着くし。JR九州の誇る「さくら」だったのだけど、インテリア・エクステリアともにセンスありますね。 神戸では会社の宴会。なにしろ名だたる体育会系企業なので、ワインやウィスキーが滝のごとく飲み干されてます。雲竜型だの不知火型だのと、イッキ呑みにもいろいろと流儀がございまして。私のような古参兵は、それら阿鼻叫喚の図を「ワシらのころはもっと凄かった。救急車が店の前に列を作っておった」などとホラを吹きつつ静々と飲んでおりました。 しかしあまり食わずにいたせいか深夜にハラが減ってしまい、その昔神戸市中央区民出会ったころからご愛用の「山笠ラーメン」に出かけてしまいました。 トンコツなのに、あまり脂っこくなくてスルスルッと酔漢の胃にすべり込んでくる、なかなかの芸達者ぶりは、20数年の歳月を経て未だに健在で、こういう「変わらぬ味」ってやつが年をとると有難いんですねえ。 翌日は会社のゴルフコンペと言うわけで、前日に滋賀県の名門ジャパンエースでプレイをしての2日連続。54歳の年齢も恐れぬ挑戦は、さすがにいささかの無理もあったようで、身体が回り切らずに「ひっかけ」だの「チーピン」だのを連発し、えらいスコアとなりました。 有馬ロイヤルGCから大阪経由で富山へ戻ったのですが、サンダーバードの時間までいささか空いてしまったので、阪急ガード下の「たこ梅」へ。ミナミにあるここの本店は吉田健一・開高健ほかの文学作品にも出てくる名店中の名店だけど、このガード下は大いに気楽な雰囲気でかれこれ30年以上通っています。まあおでん屋にしてはいいお値段なので、気を許すと結構なことにはなりますけれど、ご先祖様の味は健在でこれまた年寄には嬉しい限り。 満席のサンダーバードも大阪始発なので自由席をしっかり確保し、窓の外を打ち見てみれば、昔の東急東横線を走っていたアオガエルがなぜ大阪駅に・・とびっくり。焦点の合わない目を凝らしてよく見てみればJR西日本のかつての快速電車117系が、団体列車用に塗り替えられた変わり果てた姿でございました。 単色塗装にしたのはたぶん経費節減のためなんでしょうが、あらゆる車両にトータルデザインをして、ひたすらに評価を上げる

ビッグデータの本質へ。キムチ鍋の本質へ。気にかかる検診結果と。至福のヤキメシと。

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統計と言うものは扱うデータの量が圧倒的になると、かなりの部分で普遍化してきて、原則性が出てくるようになる。日立の主任研究員が自らとスタッフにウェラブルセンサをとりつけて、「人間の腕の動きと、日常習慣・仕事量・幸福尺度」まで計測して見せた本です。ほんまかいなとも思いますが、ビッグデータとは要するにこういうことなんやな、と感じることもできます。 この分厚い本を一言で要約するのは乱暴だけど「よく手が動く人間は、よく仕事をし、人生を楽しみ、しばしば幸運も導き出す」ってことで、これははるか紀元前に孔子様がおっしゃった「博打でもいいから手を使え」という言葉にもなにやらつながっている気がしますねえ。ビッグデータがもたらすものは、「知識」「情報」でなく、いずれは「智恵」になるんじゃないかと見ました。 ビッグデータの真実などに思いを馳せつつ、11月も2週目に入ってくると最低気温が10℃を下回ってきて、立冬を身体で感じることができます。家に帰ってブルッときたので、冷蔵庫にあった豚バラ・豆腐・白菜・ネギ・ニラ・薄揚げにキムチをぶっこんでキムチ鍋といたしました。 味付けは和風出汁に、コチュジャンやらヤンニンジャンやら適当にやっちゃいます。自分の舌が満足すればOKですもの。どなたかドアをノックして下さる佳人がいれば別ですが。 キムチ鍋の本質・本願は翌朝にございます。残り汁に薄揚げ・ネギなど追加して、うどん(冷凍のうどんは本当に便利ですね)を入れてひと煮立ち。卵をポンとおとしてやれば、寒い朝もなんのその、芯からあったまります。この日は定例の検診で午前中は半休をいただいているので、主治医の先生にだけはちょっと香ばしい呼気でご面倒をおかけしたかもしれませぬ。 検診の結果は・・まあ年だからね~来週あたりちょっと精密検査を受けてみますか。まあ悪性の病気ではなさそうだし。昼が手製のおろし蕎麦一杯でハラが減っていたので、夜は近所の「大連飯店」にて「麻婆豆腐定食」780円なり。ふつうはこれにデフォルトでラーメンがつくのだけれど、とても食べられないから「同額でいいから」と断った。そしたら、鍋からあふれんばかりの麻婆豆腐が来襲した。生中2杯でなんとか制覇しましたけど。 桜木町(富山の飲み屋街)で、ダイニングバーの中華部門を担当していた青年が、家業のとんかつ

晩秋の竹生島へ。越中は晩秋ところかすでに冬。キムチ鍋と翌朝の真実と。

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32年前紅顔の美声年であった私は、社会人として初めての「イベント手伝い」を滋賀県長浜市で体験したのだった。「アイアンマンレースin琵琶湖」とかで、生憎の雨風の中、走路確保のための道路コーンを固定するために、ダンプカーの荷台に乗っけられて、土嚢を設置して回ったっけ。偉い会社に入ってしまったもんだと、思ったもんでした。 さて晩秋の長浜市に降り立った54歳の私は、夕暮れに来し方行く末などを想起しつつ、ちょっとおセンチになっていたのでした。まあいいシチュエーションでしたしね、ご覧のように。 滋賀県と言えば近江牛。昔話を語りながら、地元の銘酒「七本槍」をやりつついただいたスキヤキはなかなかのもんでした。また行きましょうね。夜中に降った雨もあがり、凱風快晴の中、人生初の竹生島へ。200段ちかい石段を昇降したため五十路の膝にはこたえました。 万城目学の傑作「偉大なるしゅららぼん」の舞台でもあり、お約束通りに水を飲んでかわらけを投げたのですが、往年の野球少年も年には勝てず、大きく的を外してしまいました。  市内に戻ってカレーうどんで昼食。写真がうまく撮れず。風情ある黒塀の町並みを散策して駅に戻る途中に、こんなレトロなお店が。まだ現役で営業されている様子で、次回長浜を訪問する際にはぜひ外さずに入店しようと決意しました。  これが富山に戻り(11月4日)、二日後には最低気温がついに一桁に。晩秋と言うより、もはや冬ですがな。寒くてやり切れないので、キムチ鍋で暖まることに。出汁にコチュジャンやら酒やらキムチやらを適当に放り込んで、豚バラ・白菜・ネギ・ニラ・豆腐・薄揚げを炊いていきます。結構いけます。焼酎の炭酸割りなぞ啜りながら。 鍋のいいところは、翌朝に思い切り手抜きができることで、残り汁にうどんをぶち込んで、ネギとうす揚げを足し、煮たったところに玉子の一つもポンと落とせば、いい感じでしょう。こんな朝飯をしたためた人間の近くで仕事をしなければならない同僚には申し訳ないけれど。

新橋なぞのカレー店「スマトラ」で。北陸上信越駅弁ベスト1とは。「漁港の肉子ちゃん」「ミュージック・ブレス・ユー」たおやめが支配する日本文学。

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好きで通うているわけやないのやけど。またまたお仕事で東京へ。糸魚川を過ぎるあたり、日本海はもうすっかり冬の波になってますね。あとひと月もすれば越後湯沢は文字通りの「雪国」になる。 腰掛けのつもりで2~3年だけ住むつもりだった越中富山で6度目の冬を迎えるとはねえ。 特急「はくたか」にほとんど飛び乗り状態だったので、富山駅「源」で好きな幕の内を買う時間もなく、やむなく越後湯沢駅で「ほくほく弁当」を購入、上越新幹線でモフモフと食しつつお江戸へ。 醤油ご飯はまあいい歯触りだけど、炊きこんである具がゼンマイで、おかずにもゼンマイの佃煮と野趣あふれるのはいいけれど、少し工夫もないものかねえ。見るからに冷凍のポテトフライもやめてほしいもの。 浜離宮を見下ろす某社オフィス36階でお仕事。絶景なのかもしれないけれど高所恐怖症の私にはまったく無用ノ助でございます。とにかく自身が来ないことを祈りつつ。 仕事の後は蕎麦屋で日本酒。さらに行きつけのBarをはしごして、新橋のホテルに着いたのはいったい何時のことやら。いつも通りの愚行の輪がつながっております。 それでも勤勉だから翌日も東京でお仕事。あまり楽しい作業じゃないんだけど、好き嫌いを言わずに四の五の言わずに、サバサバ片付けるのがプロと言うもの。お昼は新橋「スマトラカレー」で500円のカレーをいただく。なぞのスマトラ人?が店内のあちこちに微妙に表情を変えて点在していて、その総数とともに未だに謎なり。 カレーはちっとも辛くなくて、極限までスパイスを倹約したお味とでも申しましょうか。煮溶かしたジャガイモと思われるでんぷん質がトロミとなっています。お世辞にもおいしいと言えないけれど、昭和30年代の夕暮れを思わせるにこれ以上の物がいくつあるかしら。 カウンターの片隅に、モジャモジャ頭の妖しい巨漢がひとり。飲み込むようにいっきに食べきって、立ちあがってみれば手に2丁のバイオリンが提げられているじゃないですか。「情熱大陸」のテーマ曲で有名な○○瀬太郎先生に相違ない。こうやってフツーに芸能人?にぶつかるのも東京ならではの出来事か。 「スマトラカレー」は酔っ払いのサラリーマンのメッカとして知られる、新橋烏森口SL広場のすぐ近くにございます。昭和30年代も前半くらいの、夕陽を背負っ

秋の京都はメランコリックに。銀座は「はしご」とスケベニンゲン。金沢・片町の夜。そしてシメは関西風カレーうどん。

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まだ紅葉にはチト早いけれど、大阪出張からの帰途、またも途中下車で京都へ。あまり時間がなかったけれど、地下鉄で烏丸御池へ出向き、晦日庵河道屋でいつもの鴨南蛮を。32年前にここの近所にある事務所で社会人生活を始めたころと、見た目も味も変わらない。 京都へ行って驚くのは、30年以上昔の店が今も元気に繁盛していることでやはり「継続は力なり」を地で行く街は底力が違いますね。 ところで麩屋町御池にあった、社会人ご奉公を始めたビルが、あれれびっくり取り壊されて。わたしの青春が半分なくなってしまったような気がいたしました。残り半分を担当する同志社大学が地上から消滅しないことを切に願います。 大阪京都から富山に戻ったさらに翌日には、銀座で坦々麺。数寄屋橋近所に3分の1世紀以上も営業している「支那麺 はしご」にて。はじめてきたのは東芝ビルの地下にあった時分で、これまた25年以上は昔となります。こちらも来年は55歳。その当時なら定年を迎えていたわけで、あっというまにジジイになってしまったものですね。少年老い易く学成り難し。文字通りの人生でございます。 この店も古いんですけど。HPによると30数年前からやっているらしい。南イタリアの家庭料理の店が、なぜオランダの観光地「スケベニンゲン」を名乗っているのかは謎らしい。定年になる前に一度は入店して、スパゲティの唐揚げとでも言うべき「フリッタータ」を食してみたいもんだと思う。 東京から帰ったら週末は金沢で、金沢営業所の皆さんとゴルフをするために金曜夜に金沢入り。皆さんご公務で忙しいらしく、夕食は片町「権兵衛」でおろし蕎麦。結構な量があって満足しました。そのあと片町で日付変更線が変わるあたりまで、ハイボールをぐびりぐびり。 朱鷺の台CCでのゴルフは、どういうわけかひとり勝ちで、往復のサンダーバード運賃と駅弁代くらい稼いでしまい「もう金沢でゴルフしようって言ってもついてくる人いませんよ」などと言われる始末で、そうでしょうこの夏以来3連勝で、まったくもって申し訳ない。 ちょうど金沢迎賓館の前庭で「酒マルシェ金沢」なるイベントをやっており、石川の地酒を金沢の入道閣下とあれやこれやとお試ししました。北陸の酒はいいですねえ。そのあとは香林坊のバーでめったに飲めないようなウィスキーをいただき

麒麟の舌をもつ男・でーれーガールズ・ねこの秘密・大阪グルメ総選挙。10月前半のオモシロ本を。オロシ蕎麦など喰らいつつ。

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10月はエライ月だった。仕事のトラブルを抱えて(こいつは11月に入ってもちっとも解決せんが)、さらに下期開始とともに始まる行事やらなんやらで西へ東へとよう移動したもんだ。 東京3回 大阪3回 金沢3回 会合(ゴルフ)3回 セミナー2回 ほとんど会社にいなかったような気がしています。しかし移動中に幾冊か面白い本に出会うこともできたから、多忙もまた幸多きことなのかもしれませんね。 「麒麟の舌をもつ男」は、死に行く人間への「最後のひと皿」を請け負う凄腕料理人が、かつて満州で編纂された世界史上最高の料理本を求めて、それも絶対的味覚を持つ自分の舌だけを頼りにさぐっていく料理サスペンスです。まあ面白いのなんの。「あ、あの本で見た」みたいは引用が沢山あって、それを当てるのも料理小説ファンとしては楽しい限りでした。 原田マハ「でーれーガールズ」はまもなく映画になるらしい。東京から岡山に転向した主人公が女子高と言う特殊?社会の中で地方に溶け込んでいこうとする物語。泣かせの名人原田マハだけあって、ラストシーンでは目頭が熱くなり、サンダーバードの車中だったのでちょいと困りました。 作中に出ている「岡山大学にすんなり合格した兄」って、やはり原田宗彦のことなんでしょうか?この作品はかなり私小説ぽいところもあったので気になるところです。 私はネコが昼寝している姿を見ているだけでも幸せになるほどのネコ好きであるけれど、それを学問にしてしまうほどの凄い人物もいたもんですね。九州の孤島で島に生息するネコの模様とか体格をすべて記録して「ネコ遺伝学」を極めてみたり。もともとが俊英競い合う「京都大学霊長類研究所」のご出身だからかな、分析手法が今西錦司から石毛直道につながる、京大人文研とよく似ているように感じられる。ネコの不審行為のウラが分かって、ネコ好きはますますネコが可愛くなる本なので、充分に気を付けて読まないと、気づいたら自分の家にネコを飼っていてしまった、なんてことになりかねません。 旅には途中下車なる楽しみがあります。北陸本線には粟津温泉・加賀温泉などの温泉郷があり、また長浜のような風光明媚あり。越前市の「武生駅」は言わずと知れた「越前おろし蕎麦」の名所でありまして、市内に名店が軒を連ねています。 中に就いて、駅から近い「お清水の里」なる古