晩秋の竹生島へ。越中は晩秋ところかすでに冬。キムチ鍋と翌朝の真実と。
32年前紅顔の美声年であった私は、社会人として初めての「イベント手伝い」を滋賀県長浜市で体験したのだった。「アイアンマンレースin琵琶湖」とかで、生憎の雨風の中、走路確保のための道路コーンを固定するために、ダンプカーの荷台に乗っけられて、土嚢を設置して回ったっけ。偉い会社に入ってしまったもんだと、思ったもんでした。
さて晩秋の長浜市に降り立った54歳の私は、夕暮れに来し方行く末などを想起しつつ、ちょっとおセンチになっていたのでした。まあいいシチュエーションでしたしね、ご覧のように。
滋賀県と言えば近江牛。昔話を語りながら、地元の銘酒「七本槍」をやりつついただいたスキヤキはなかなかのもんでした。また行きましょうね。夜中に降った雨もあがり、凱風快晴の中、人生初の竹生島へ。200段ちかい石段を昇降したため五十路の膝にはこたえました。
万城目学の傑作「偉大なるしゅららぼん」の舞台でもあり、お約束通りに水を飲んでかわらけを投げたのですが、往年の野球少年も年には勝てず、大きく的を外してしまいました。
鍋のいいところは、翌朝に思い切り手抜きができることで、残り汁にうどんをぶち込んで、ネギとうす揚げを足し、煮たったところに玉子の一つもポンと落とせば、いい感じでしょう。こんな朝飯をしたためた人間の近くで仕事をしなければならない同僚には申し訳ないけれど。
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