飛騨は襞なり


富山市から国道41号線を南下していくとやがて県境を越え飛騨に至る。昨日は飛騨古川まで赴いてきたのである。神通川を遡上し神通峡に至る。第一ダム第二ダムにせき止められた湖水はすでに散り始めた紅葉黄葉を水面にうつし、これも佳き眺めに相違なくまた十二単の裾のごとく重なりあい縺れ合う山容と、はるかに望まれる上高地方向の雪を頂いた峯々は陽光を跳ね返して輝く。まずは観景・観渓にまこと相応しい昼下がり、バスは分水嶺をへて高山方面に向かっている。

まあ私の帰属するところの業界懇親会というやつで、おっさんばかりで遠足に行ったのである。ちなみにこの写真は出発前に富山市内で撮った立山で、飛騨ではありません。陳謝。


日ごろ業務に精進し、休日平日の区別無く富山県の繁栄盛名のためにかく刻苦勉励しているわけだから、たまの息抜きもあってよかろうと言う閻魔様の思し召しであって、見給え、冬場はその殆どが雲と霧と氷雨と雪に覆われる当地の天候が晴れ渡り澄み渡っているではないか。
もちろん、12月に有り得ぬ晴天、バス旅行より富山カントリーでゴルフでもやってるほうが気が利いているなんてバチあたりは申しませぬ。

とつこうつ。市内を出てざっと90分で飛騨古川へ到着する。有名な飛騨高山に何かと張り合うこの町は明治37年の大火でその殆どを消失したが、計画性のある復興のおかげで中々に見事な町割をなしている。

春の大祭では、起こし太鼓なる行列が碁盤の目のような町筋を練り歩く。1000人の提灯行列を先頭にして、大太鼓を載せた輿をはだかの男たちが担ぎ上げ、祭りの始まりを告げて得まわるのである。その後ろには小太鼓を乗せた棒を10人ほどのこれまたはだかの男が支え持ちながらざっと50組500名が先陣争いをする、勇壮なものである。


この蔵に収蔵されているのだけれど、写真技術の拙劣が内部の描写を拒否しているもようである。関心のある向きには飛騨古川の観光ページを検索されたい。




この疎水にはふだん鯉が放されておりその魚鱗がおりなす錦綾が見事であるそうだ。残念ながら、水温が下がってきて冬支度とかで鯉はみな引き上げられて養魚場に移されてしまったとのことでまことに遺憾なる事態というしかないが、止むを得ぬことはすなわち止むを得ない。

その後、「ああ野麦峠」のロケでも使われたと言う料亭旅館「八ッ三(やっさん)」で宴会となり、まあ飛騨牛はじめ名菜が並んだのであるけれど。私は結構な唐辛子味噌をつつき、更に結構というしかない地酒「蓬莱」の雪囲いなる貯蔵酒をいただいて微醺を帯び、しかしながらそこへ宿泊する訳ではなく。それにはそれ、昨今の日本経済が我々の行動に影響しているのかいないのか。午後8時には再びバスに乗り込んで富山市内へと戻っていったのでありました。

もちろん、帰富後に桜木町繁華街へ進出したかどうかは、それは個人情報機密法の範疇なのでここで詳らかには出来ませぬ。

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