正調麺喰男

と、かつて自称していたことがありました。麺類ならいくらでも食べられると。福島県喜多方市では2日がかりで12杯をたいらげて「裏磐梯のオドロキ」と言われ、鹿児島・熊本・博多と北上しながら3日間休む間もなく豚骨ラーメンを喰い続けて、「鹿児島本線の奇跡」と呼ばれたこともありました。30代前半のことですけど。ええ、ざっと20年ほど昔のお話ですけど。




新大阪駅にて。このとんがった鼻先がいかにもスピードランナーなJR500系新幹線。シルバーメタな塗装も含めて私のお気に入りでした。でも製作したのがJR西日本だったから、すぐに中央(東海道)から追いやられましてん。今やせっかくの快足をぶりを発揮することなく、山陽新幹線で「こだま」として早すぎる余生を送っております。いくら才能があったって、生まれた場所が悪いとこんなことになるんやねえ。人間と一緒やん。




岡山経由で高松まで。この鉄仮面は瀬戸大橋を連絡する「快速マリンライナー」の先頭車両。1号車の上部デッキがグリーン車で、眺望絶景。下部デッキは指定席。岡山の女子高生がはしたないほど短いスカートをはいているからって、変な視線で見上げたらあかんよ。もちろん私は追加料金を払ってグリーン車です。旅は車窓の風景こそ眼福なり。




ざっと15年ぶりに訪れた高松駅には「連絡船うどん」が。かつての宇高連絡船名物だったうどんをホームの端で継続している、らしい。2001年に駅舎が移動して以来はじめての高松訪問なので、ようわからんのです。駅前なんかどエライ都会になってるし。




しかし到着した夜は、高松営業所のK先輩とお会いすることにしていたので、とりあえずうどんは夜食に繰り上げて、まずは最近名物になっている骨付き焼き鳥の店に進撃したざんす。徳島~高松と養鶏が盛んなので、卵を産まなくなった廃鶏が食資源としてあり、その活用から始まったモノだとK先輩が教えてくれる。




手前がヒナ鶏で、後ろにあるのがヒネ鶏(つまり廃鶏)であります。こいつを朝鮮焼肉のゲタカルビよろしく、調理バサミで切り分けながら食べる。野趣あふれる美味ですねん。柔らかさのヒナか、歯ごたえのヒネか。ニンニクとコショウの効いた塩味がビールに焼酎に合うことといったら。10時過ぎまで談論風発しつつ盛り上がりました。

いったんホテルに帰るも、もう一杯くらい呑みたいしうどんも試してみたかったので、ふらりと夜の街へでたんやけど。日曜日の高松市街は富山なみのゴーストタウンで。偶然にも空いていたワインバーでしばし陶然とできたけれど、店を出るころにはうどん屋はすべて閉店の後でありました。残念至極。これがホンマの後の祭りじゃな。

正調麺喰男、本領の発揮は明日のココロだぁ~。

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