続・正調麺喰男 激闘高松うどん旅

(承前)
たとえ二日酔いでも旅先での朝は早起きするのです。勝手知らぬ街を、まだ寝起きのボーっとした頭でウロウロするのが好きなんで。蓬髪に無精髭、眼付の悪い男がピンクのセーターにピンクのスニーカーを履いて徘徊しているのは、風紀上いかがなものかとは思いますが。

でもこの日は単なる散歩ではなく、「早朝から空いているうどん屋をさがす」という大義名分もありまして、朝7時半から高松市内を蹌踉として歩き回ったのでした。




ホテルから歩くこと約20分で高松駅前へ。朝もハヨから飲食店が開いているとしたら、卸売市場か駅前ですね。私の定説では。こちら「味庄」は、何でも朝5時から営業しているのだとか。所謂セルフ店で、お愛想も何もない。客はJR関係者とおぼしき防寒ジャンパー姿の、おっさんばかり。




190円の「かけうどん・小」です。イリコだしが二日酔い気味の胃にやさしいの。しかし麺のぶっといことといったら、ちょっと奥さん聞いて頂戴。漱石夏目金之助が「二百十日」のなかで、阿蘇山のふもとで食べたうどんを「杉箸をまんま飲み込む様なうどんだ」と評しているけど、まさしくそんな感じ。うどんとは小麦粉を練って伸ばして切って茹でたもんだ、と実感する一杯でした。

製麺機の横で、粉にまみれたご主人?が作業着のまんまで床に倒れ伏して寝ていたのですが、常連客がそれを気にもしないところを見ると、この店では日常の風景なんでしょうね。




二軒目は同じく高松駅前の「めりけんや」へ。こちらはうってかわって清潔な店内にテーブルがずらりと。土産物なんかも売っていて、見るからに観光客向けのお店。なんかの球技で遠征に来たと思しき高校生の集団が、高松に来たんだから朝はうどんだ!という勢いで「釜たま」をすすりこんでおりました。



私はさっきが熱い「かけ」だったので、こんどは冷たい「ぶっかけ」を。さすがに本場だけあってこんな観光客向けのお店でも、うどんはそれなりにおいしいんです。たいしたもんだわ。でもレモンは余分やな。




これが朝から三軒目の「根っこ」で、市内中心部で高松高等裁判所の向かいにございます。オフィス街のまんまんなか。消化促進のために、さっきの店から一時間ばかり玉藻公園周辺を歩き回って、9時開店の当店へ。名物は「肉ぶっかけ」らしいのだけど、さすがに胃が小さく抗議してきたので「釜たま・小」をいただく。




デコラ貼りのテーブルがずらりと並ぶ店内は、いかにも昼時は地元サラリーマンの食欲の巷になるんやろな、と思わされます。広いキッチンでは、製麺担当・お握り担当・天ぷら担当がそれぞれ昼のラッシュにそなえてメガプロダクト中なり。うどんの味は?そりゃ地元民が並ぶ程のお店ですもの。おそるべし讃岐うどんの実力、でありまんな。




お昼はお客様をご案内して、屋島観光へ。快晴にそびえる屋島は、火山台地であることもあってハワイのダイヤモンドヘッドにそっくりだちゃ。この日の気温は20℃もあって、越中富山から来た人間にとってはまるでリゾート地やん。東洋のハワイと称号を進呈したい気分。




よもや御客様を「セルフうどん」にご案内する訳にもいかないんで、超有名店の「わら家」へ。我々が通された大広間は、つい先ほどまで団体さんがおられましたって風情。さすがに朝から4杯目は厳しいので、「生醤油うどん・小」でいく。民芸調のお店の雰囲気を味わいつつ。うどんは普通にウマイです。たぶん高松じゃどこの店に行っても他府県人が舌を巻くレベルなんでしょうね。

しかし午後の打ち合わせでは、喰いすぎのせいか下を向くのも苦しくて。胃薬なんか飲んだのは何年ぶりでしょうか。不滅の消化力を誇り、かつて朝三杯昼三杯夜宴会のあとシメに一杯と、一日に七杯のうどんを平らげ「讃州高松の恐怖」とまで呼ばれたのに。二十年の歳月は胃腸にも容赦ないわね。


瀬戸内の風景はやさしいのう


打ち合わせ後、岡山経由で大阪へ。夕方にはさすがに復調して、大阪の協力会社の方々と飲みに出ました。ハシゴのシメは、DJのマーキーさん(の奥さん)がやっている鉄板焼きのお店。泡盛のシークヮーサー割りなんぞ飲みながら、この晩は沖縄風の「塩焼そば」でジ・エンドといたしました。

ところで富山へ帰って2日がたち、今宵は千石町「まるぜん」にてメガ盛り蕎麦で食欲宴会なのです。
ああ五十路の「正調麺喰男」は、割り箸片手に今日もゆく。

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