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越中風邪

ついにと言うかやはりと言うか、富山に罷り越してまさに2ヶ月。とうとう風邪を引いてしまった。どうにも4日前くらいから腹筋背筋に痛みが激しく、空咳をすると腹筋の上部が引き攣れるが如くでこれは内臓系の疾患にやあらんかと、丁度痛点の裏には肝臓があり先週末の大阪出張では懐かしくも恋しくもあるような面々と随分と御酒が進んだなあと回顧した。 そのツケが回ったのか知らんと不安になり、蜆エキス・ウコン粒・ハイチオールなど服用するもむしろ痛点が背後かつ下部に回る気配で、腹筋痛はなくなったものの今度は腰痛。更に全身倦怠感とたまらんほどの眠気である。 まだかかりつけの医師もいないので、とりあえずネットで病状を調べるにこれは遠くて肝硬変、 近くて風邪の所期症状と判明した。風邪と言っても普通のヤツだけでなく最近洛陽を騒がす流行り病のいんふるえんざ、の潜伏症状には更に類似している。 インフル様に取り憑かれたとなると、会社の規定で強制自宅待機となる。単身にして独身の身にはこれはツライ。が、事態の悪化を想定することは何事においても重要であることは昨今しばしば繰り返される我が国の経済政策においても明らかであって逡巡は許されない。 何となく熱っぽくなってきたのが昨日の午後帯で、定時になるや会社を飛び出して帰宅。ふらつく頭で「とにかく食料と飲料を確保せんとあかん」と思い込み、スーパーへ赴いた。 ・豚肩ロース 400g ・玉子 半ダース ・ニンニク ・おろしショウガ 業務用大チューブ入り ・野菜 長ねぎ ワケギ 白菜 ニラ モヤシ ・薄揚げ 4枚 ・うどん 3玉 更に薬局で、薬業県富山の面目を立てて地元製薬会社製 ・「ベルゲン」カプセル 神戸のイタ飯屋に同名があるので薬っぽくないが。 ・ポカリスエットほかニアウォーター6本 かなりの買物である。しかしながら、一旦新型インフルエンザと目されるとざっと5日間の禁足となる定めである。何時の世も籠城には食料備蓄が肝要と言えよう。 「対感冒症スタミナ強化特別鍋」を創作した。まあ鍋仕立ての豚汁にニンニク・ショウガとコチュジャン・キムチとその汁を投入して電気鍋でことこと煮こんで七味を振って食うだけのことながら、こいつは暖まりました。随一の欠点は家中がキムチの酸っぱい匂いで充満すること。そうそう感染症にかかっている可能性もあるからもちろ

5日ぶりに帰富せり

連休と出張を絡めて、五日間も関西に行ってしまった。出発前から川上未映子の「そら頭はでかいです世界がすこんとはいります」なんか読んでいてこっちのアタマが完全に関西弁思考回路になっていたから、ええわええわそらええわとばかり毎日酒を呑んですごしていた。 やはり粉もんは大阪で、豚ぺい焼き・豚玉と間然とするところがない。焼き上がりがふうわりとしていて、ヘラの端のっけて熱々のところを口に運ぶと、ソース・紅生姜・それに澱粉がアルファ化して焦げたときに発生するメイラード臭がカツオと青海苔の芳香とともに鼻腔と口腔の二つ穴を同時に刺激する。旨い熱いでも旨いの連鎖をホップの効いた生ビールで鎮めてやる。至福である。 ここ10年ばかり生活していた天満界隈にもっぱら出没したかったのだけど、さまざまな個人事情もあって商店街の散策はあまりできなかった。しかしさすがに人口密度はすさまじくて、ひとの肩をよけながら歩かないといけない。46インチのドライバーを振り回しながら歩いても、おそらく誰の肩にもヒットしないであろう富山市内の某商店街とは、ビリケンさんのおつむと多聞天の怒髪くらいに密度が異なるのである。 あの商店街には、24時間営業で徹底した安売りをモットーとする「スーパー玉出」も出店しておりちょいと富山では入手できない大阪B級食品が棚を埋めている。まあそこで「ヒガシマルめんスープ(これは本当に便利。販路拡大をのぞむ)」などを購入したわけですね。 また、界隈は卸売り市場があるせいか異様に猫が出没するエリアで、猫好きの私としてはいつも道の隅・陰・軒下などに視線を走らせて、あの柔らかな小動物がヒトと共生できていることを歓びとしていた。 冬の厳しさゆえか、富山に来て街猫を見かけないことは街の責任ではないけれど寂しいかぎりであって、仕方がないから猫濃度が高いうサイトなどを拝見しては猫願望を満たしているのである。 http://syggnya.blog26.fc2.com/blog-entry-35.html しかし石垣島は本当に猫天国のようで、冬季賞与もままならぬ現状では遠出も厳しき状況なればこそ、まことに心から景気の回復を願うところである。 人間後ろばかり振り返っていてはしかたがないし、猫はいないが富山には大いなる自然がある。昨日、大先輩が経営する居酒屋「ちゃらんぽらん」におじゃ

周回遅れ

たった今現在のネット社会において、我がのブログにデジカメから圧縮した写真が載せられて喜んでいるのは多分はおそらく世間のブログ状況からは軽く10年くらいは遅れているだろうな。何しろインストールしたフリーの圧縮ソフトの作成年月が2001年やったもんなあ。 しかし画像処理ソフトと言うのは便利なもんで、圧縮編集自由自在ですね。 こんなインストールフリーのソフトが出回る以前、20世紀のころは皆さん自分でプログラミングされていたんでしょうねえ。 先人たちは相当に苦労してひと昔からデジカメ画像をホームページにに掲出していたんであって、なにしろコンピューターについてはコボルとかベーシックとかの機械語で操っていた年代だから、今頃の操作容易なパソコンなんかお茶の子なんであるようですね。 会社社会においても、業務システムの基本を作ったのは、すでに定年を過ぎた方々なんでおおもとからソフトを組み替えようとすると、すでに引退されている、孫の面倒を嬉々としてみているような、好々爺と思しき年代に指導を仰がないといけないこともしばしばあるそうな。 その後背の光はなんです! と仰ぎ見てしまいそうな風景ですね。 まあ私はこの世界では周回遅れでレースに参戦したようなもので、これからも牛歩の歩みながら、せっせと更新・改良に努めて行きたいと思っています。

over the rainbow

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冬を迎えんとする富山に、明確な晴空が存在し難いことは、居住一ヵ月半を経てようやく超越論的に理解できるようになった。経験値を積むことで知見のアーマークラスがアップグレードされて、経験的事象であるにもかかわらずそれは既視的体験かのごとく帰納され、あたかもトランツェンデンタルな、先験的事象としてカテゴライズされてしまったのである。 北陸自動車道を富山インターから米原まで。更に名神高速道路、京滋バイパス、さらに名神高速道路、近畿自動車道、一般国道、阪神高速道路と乗り継いで大阪へ帰ってきたのである。クルマと縁の無い富山県人として人格が疑われている免許非所得者の私だが、一昨日から友人が泊りがけで北陸の一鄙都に慰問をかねて遊びに来てくれていたので、帰途便乗させて頂いて故郷へ堂々と凱旋したわけですね。 きのうは、三人でゴルフをして遊んだ。奇跡的に夜半までは雨が降らず曇天と霧のなか、どうして止まっているボールを打つのにこんなに苦労するんだろうと、いつもと同じ疑問を繰り返しながら18ホールを歩きとおして完走することができた。プレイ終了後は寿司屋で懇親を深め、さらに桜木町のスナックで友情を再確認しあったけど、それはまあいいや。問題は、何とか雨が降らずにゴルフ場・寿司屋と持っていた空が、やはり21時を待たずにご開帳となり、猛然として雨陣を敷いてきたことであります。どうして24時間じっとしてられないかねえ。 で、本日のドライブに戻りますが、富山名産の海産物を購入したいと言われる皆さんを大和百貨店地下食料品売り場にご案内し、お買い物をお手伝いしました。ちょうど時分時にもなったのでお昼はラーメンにしましょうということにして、ゲスト2名をあそこにご案内したわけですね。そう、隔絶的塩分を誇る富山ブラックラーメン「大喜」のしかも西町本店へ。 さすがに本店は、塩辛麺類道を極めんとする求道者で満杯で、なかには「大盛」「特大」を頼んでいる修験者もいて驚愕してしまった。あの側頭部直撃血圧50ミリ上昇確約の、たぶん醤油を飲むより塩分濃度がきつそうなラーメンを、普通盛りの2.5倍である「大盛」とかさらにひと玉の麺が投入されている「特大」を頼んでしかも平気で平らげるのはいかなる体内イオンバランスの持ち主かと怖れ憚りながら尊顔を盗み見たのだけれど、結構普通のおじさんと兄ちゃんだったので、よけい空恐ろ

絶景かな

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今朝は久しぶりに雨が降っていなかった。幾日ぶりだろうか。雲がどんよりと天空を覆っているものの水滴が落ちてこないだけで上々である。天辺を真っ白に輝かせている立山連峰はまさに絶景であって、富山市民となったことを心から喜ぶことのできる瞬間といえよう。 まだデジカメとPCをつなげてないので、というかこの50前の男は画像の圧縮ソフトをオンラインでインストールする能力がないために、今朝撮影した見事な風景をここに披露できないことは本人にとってもかなり情けないことである。 後記) 何とか成功した模様だが、画像自体がショボイよね。もっときちんと撮らんかい。 ところでやはり幸せは長く続かないのが大人の常識というもので、見給え、激辛の坦坦麺で昼食をとり終えたあたりから連峰の上空をたゆたっていた雲は、その高度をじわりと下げてきて今や山ろくの中腹部に位置し、地上に向けて霧雨の無条件絨毯爆撃を開始したではないか。 西高東低の冬型気圧配置におよそ半世紀の間にわたり、慣らされきっていた太平洋ベルト地域出身の人間として、低い雲がまるで「インデペンデンス・デイ」の宇宙船を覆っていた雲のごとく地を圧して垂れ込める日常はいささか受け入れがたいものがある。冬といえばカーンと音がするほどに澄み切った青空が広がっている、ちゅう日常やからね。 もちろん赴任前に「冬」の悪天候・湿気・暗さなど聞かされておりましたけど。でもそれは「冬」の話であって、少なくとも11月中旬つうのは、あんたそれは「秋」やがな、と言いたいのである。何も悪いことをしていないのに、いきなり執行猶予処分を取り消されて実刑を宣告・留置された気がいたしますね。仮処分なしでいきなり強制執行といいますか。

不倶戴天の敵じゃなかったのか

一週間前の北日本新聞コラム「天地人」に椎名誠の小説「モヤシ」が紹介されていた。北日本新聞と言えば富山県の県紙であって県内シェア67%を誇っている。当地を代表する言論機関である。この新聞がその表紙にあの椎名誠を引用しているのである。 幾年前か忘れたが、週刊文春連載のエッセイ「新宿赤マント」で、何しろラーメン熱愛家で知られる椎名誠が、何かの折で訪ねた富山で食べたラーメンを「コノヤロ的にまずい」と書いて物議をかもしたことがあった。ラーメンおたくだけでなく、県民あげてのけっこうな騒ぎになったと記憶している。多分それ以来この麺類異常愛好家の作家にとって富山県は鬼門になっていた筈である。また県内においては「コノヤロ的にまずい」と言わせしめたラーメン屋はどこであるか、かなり積極的に捜査活動も行なわれたようだ。 私は富山ラーメンを卑下するものではない。金属バットで側頭部を殴られたかのごときショックをあたえる、まあ凄まじい塩分を誇る大喜のブラックラーメンも完食する勇気はまだ無いけれど決してまずいものとは思わない。あれはあれで、白飯を頬張りながらぐいぐいと食っていくと生きものとしての人間の野性を呼び起こす結構な食べ物である。たまには食べたくなる回帰性を持つ、いい過激性があって普遍には縁遠いがすぐれた特殊であるとおもう。 まあ自分の解釈はどうでもよろしい。 県を代表する言論機関が、幾年もの冷戦をすてて会社を代表するコラムで不倶戴天の敵を評価して、かなり好意的にその著作を紹介したのである。東西冷戦の終結というかボーダーレス社会の到来というか、ベルリンの壁はここに倒壊したのである。「さらば国分寺書店のオババ」以来、27年にわたる椎名誠ファンのひとりとしてこの融和を歓迎する。 ところで「モヤシ」は、尿酸値上昇に痛風を予感して食生活改善をはかる初老の作家の物語でいわゆる私小説であるから事実に近いものだろう。尿酸値に異常は無いが、この作家の食生活には興味があったので、さっそくアマゾンにコンタクトして入手してみたのである。 で、本を読んでから食べようとして一昨日に「アルプス名水モヤシ」も入手していたのではあるけれど、一昨日の日曜日は豚シャブを作っても八尾白菜を食べるので精一杯でモヤシまでアクセスできず、月曜日はモヤシと一緒に豚バラを炒めようと駅前のスーパーまで赴いたものの、実は

氷雨。これは鰤おこしか。

断続的にほとんど一日中雨が降っている。時おり突風とともに叩きつけてくるような雨である。昨日も雨で、それを押してゴルフを強行した。でもまあ、今日みたいに強風吹き荒れるわけでなく、気温が10度を割り込みそうなほど冷えるわけでもなく、単に重装備がうっとうしいだけだった。 週末の片方をゴルフ何ぞで優雅に使ってしまうと、残された一日に一週間分の家事が集中する。独身暮らしにも慣れたものなので、別に苦痛ではないけれど、掃除・洗濯・買い物・クリーニングの出し入れ・ゴミの整理などで細々と追われるうえに、三度の食事を支度しなければならない。 富山市の中心部はどうしてもオフィス街ということで、飲食店の多くが日曜休日となっている。開いていても、一人で気楽に行ける雰囲気の店は殆どない。せめてラーメン屋か「王将」「まいどおおきに食堂」くらいでもあれば、スポーツ新聞片手に気楽な食事でもできるのだけれど。 仕方がないので心得のある人間は、日曜日には台所に三回立つことになる。もちろん、コンビニはそこらに偏在するから、コンビニの弁当で一食をまかなえるタフな人間は別である。人生有限の食事だから、ナットクできないものは極力摂取したくないのである。とりわけ50年近くも生きてくると、あと15年くらいしか命数がないと考えて、せめて食欲が多少なりとも存在するうちには、さらに成人病などで食事制限がされて好きなものも食べられなくなってしまうまでは。 などと自分に言い訳しながら、朝は根深汁(要するに白葱だけの味噌汁)に出し巻き。昼はいつも作るパスタ。スパゲティ・プッタネスカ。夜はとにかく冷え込んできたので鍋。風の盆で有名な八尾でとれる、白菜と「しろな」のミックスみたいな菜っ葉が、中々に繊細な味でしかも火のとおりが早くて便利なのでそいつとモヤシをメインに富山の地物椎茸をあしらって、黒部純水ポークのシャブシャブを試みることにした。 今日の氷雨は雷も伴うと予報されていて、そうなるとこれが冬の到来を告げる「鰤おこし」なのかもしれない。一雨ごとに雨が雪に近づき、日本海を回遊する鰤が富山湾内にやってくる。氷見あたりで10キロ以上の鰤が珍しくなくなると、いよいよ厳しい季節の到来である。 背身のおおぶりな切り身が並ぶようになったら、流しの下に放置してしまっている出刃包丁を取り出し磨いて、「鰤しゃぶ」でもこさえてみますか。豆

うどん慕情

駆け足の大阪出張へ行ってきた。きのうの午後に富山を出て夜に大阪入りして久しぶりに北新地などを徘徊し深更までお酒を飲んだり唄を歌ったりした。夜で歩いている人間の多さに新地はヒマやと店の人間が言うていたけど、どこがヒマやねんと思った。当地富山の繁華街桜木町にライブカメラでも置いて見比べたら、ジャングルとサバンナくらいに違うんだけどな。 ああ体に悪いなあとおもいつつ、ホテルへの帰路、若い衆と「天下一品」へ。この超弩級こってりラーメンはもともと京都ではじまり、京大同志社立命館などの腹ペコ学生の空腹を満たしてきた。約四半世紀前に同志社の貧乏学生であった私も、今出川店・銀閣寺店・北白川本店などで、箸が立ちそうな濃厚スープに入れ放題の九条葱を野菜補給と称しててんこもりに投入し、学生にはサービスでついてくる丼飯に沢庵をつけて、ぺろりと平らげていたものである。まったくの蛇足ながら(このブログ自体がそうなんだけど)京都ならびに京都人の学生に対する甘やかしかたは、全国でも稀に見るものであるらしく東京の某最高学府出身の先輩に「だから京大同志社出身は酒の飲み方に加減や常識がないんだよ。町全体が放任するからだ」と言われてしまっている。 社会人になるころから、天下一品は京都を出て全国チェーンへと羽ばたいた。今は首都圏初め主要地方都市までかなりのカバレッジを誇っているはずである。ところがなぜか富山県には出店がない。国道41号線沿いにいっとき出ていたらしいが、ブラックラーメンなどという全国にもまれな狂暴かつ過激なラーメンを創出した県民も、あの破壊的スープは受容できなかったらしく、ほどなく撤退したらしい。何につけ京都由来のものだと尊重してくれる金沢にはまだ存続しているというのに。 食べられないとなると無性にほしくなるのが人間の性で、大阪にいたころはせいぜい3ヵ月に一回くらいしか赴かなかった天下一品が無性に懐かしく、ここのところ大阪出張のたびに恭しく訪問しているのである。いじらしい話ではないか。 大体あのスープは、鶏ガラを溶解するまで煮出してコラーゲンを絞りきり、野菜の煮出し汁とあわせたところへラードをぶち込んだ、栄養豊富ながらカロリーと油脂分も豊富なものなので、40歳をこえたあたりから、どうにも喫食した数時間後に大腸に異常をきたす、鬼門のスープであったのに。たぶん引越し以降、洋食中華揚げ物とあ

隣県複雑~幕藩体制の尻尾

越中富山から加賀百万石の城下金沢までざっと100キロ。北陸自動車道をちょいと気合を入れてすっとばすと、市内からおよそ1時間到着する。今日も勤め先の金沢営業所へとおもむく用事があり、出かけてきたのである。 富山県は戦国末期以来、強いて言えば加賀百万石の支藩であって、強引に定義すれば、加賀の大殿様と地元の小殿様に二重課税される、弱小な政治単位だったこともあり、米本位制の経済社会においては肥沃な米作地帯でありながら、領民はコメの飯にありつけない苛政極まる状態であったらしい。 禍福はあざなえる縄の如しで、そのために富山県人は現金収入の重要性に早くから気がつき、製薬および行商とその資金をまかなうための金融業、更に明治に入っては豊富な水力を使っての発電業をおこした。北陸銀行も北陸電力もそういうわけで本社を富山に置く。 まあ金沢の風流人たちが片町や犀川べりで歌舞音曲にうつつを抜かしているうちに、殖産興業にはげみ、水と電力を背景に金属精錬業、アルミ産業、化学工業を立ち上げていったのでありますね。優雅より率直。文化より経済。習い事より偏差値。人材育成に熱心な富山県人は全国有数(多分五指に入る)教育県へとも仕立てていった。 いつかは旧領主の、石川県を見返してやろうと燃えていたのですね。 隣接する文化教養の都と殖産商工業の街。関係性は京都と大阪に似てなくもないのですが、その話は面白すぎるアナロジーなので別の機会を待つこととして、その関係性にかつての搾取と被搾取がからむから、感情がややこしくなるのです。石川県人からするとそんなことは一世紀以上も昔の話で、話題だけでも迷惑千万。しかし富山県民にとっては・・なんだか国際関係にも似たようなことがあるような気がしますがどうしても思い出せないので省略。 金沢に残されているさまざまな文化遺産は考えようによっては歴史的な植民地支配というか搾取構造によって蓄積された資産であって、単純に美術品・骨董品・歴史的町並みとして鑑賞する気分にならないのではないか。エジプト人が大英博物館へ行ってロゼッタストーンを見るような感情があるのではないか、などと邪推もしてみるのである。 なにしろ、金沢の飲み屋で富山人ということが露見すると、どうも居心地が悪くなると聞くしさらに、その富山人が店を出るや店内で越中にたいする罵詈雑言がはじまるらしい。 いちどカンサイ人

立山は富山で

かつてワインに凝っていた頃、「ブルゴーニュはブルゴーニュで、ボルドーはボルドーで飲め」 なんていうウンチクに出会ったことがあった。酒を生み出すのは、土壌と空気と水に、それらで育った作物だから、故郷で飲むのが一番だと書いてあった。富山に引っ越してきてびっくりしているのは、清酒「立山」のウマさである。富山県を代表する銘酒だもの、関西在住中も幾度か食膳に上らせたことはあった。確かにのど越しのいい酒で、なかなか、と思いはしたけれどまあわざわざ取り寄せてまで、しかも常用にするほどのことはないやん、とたまの頂き物や出張の土産(なぜか富山へは幾度となく出張してきていたのだった。宿縁か)で入手したときだけ楽しんでいたのだが。 越中に参ってから、そうやはり1月が過ぎた頃からだろうか、和食をいただくときはどうしても立山が旨くて仕方なくなってきた。とにかく、身の回りに漂う空気感と矛盾しないのである。無理なくスイスイといけてしまう。多分体内の水分が一ヶ月の時を経て完全に淀川水系の水から、立山山麓からの伏流水に入替わり(富山市水道局の水がそうである)体内のイオン化濃度が富山の水に合一したうえに、そのイオン値が私の身体と喧嘩せずに受容されたからに相違ない。 何しろ人間の体重の60%は水なのだから、それが入替わるということは大したことなのだ。 転地したときに「水が合う・合わない」と言いますが、つまり、かかる出来事なんだと手を打って実感したしだいである。とりわけ先日とある寿司店で、小ぶりの寿司をつまみつつヒヤの立山を次々になぎ倒したときにそれは確信にすらなってしまった。なにしろ、地物の魚・米・水・空気と取り合わせて摂取しているうえ、体内の受け入れ態勢まで整ってしまっているのだから。

早仕舞いの町

自己中心的で相すまんことだけれども。 拙宅を核心とした半径約1キロのエリアは、夜型生活者にとってなかなか厳しいところでもある。桜木町・新富町の飲み屋街は店によって明け方まで開いているし、コンビニはいくら富山県だって、24時間営業をしている。 けれどもスーパーが恐ろしく早仕舞いなのである。最も近いアルビス(富山地鉄系食品スーパー)にしても、まあまあの品揃えがあるピアゴ(旧ユニー)にしても午後8時には閉店してしまうのである。 たとえば会社帰りに、今日は備蓄食料も少ないし、栄養のバランスも考えんといかんし、ひとつちゃんこ鍋でも作ろうかいなと思い立っても、退社時間が7時を回ってしまうと、ちょっと家に帰って自転車にまたがってお買い物にいこうなんぞとは考え難くなってしまう。 といって会社帰りや外回りの途中にスーツ姿で長ネギや白菜を求めて、エコバッグから葱の青いところ突き出しつつオフィスに持ち帰ることなんてお体裁屋の私にできるわけがない。ほぼ頭頂部まで抜け上がりそれなりに脂の乗った額を光らせて、さらに目つきの相当に悪い猫背の中年男が、ブラックスーツにピンクのネクタイをして買い物袋をさげてうろつくのは、教育県富山としては街の風紀上もあまりよろしくないでしょうし。 総曲輪にある大和百貨店も地下の食品売り場がなかなかに魅力的で、精肉・パン・豆腐関連については、瞠目すべき品ぞろえがありまして、ちょいと値ははるけれど外食することを思えばなんと言うことはない。チーズとハムソーセージの専門店もあって、休日の私の遊技場と化しているのだけれど、おお神よこの百貨店は午後7時に閉店するのである。 まあ、スーパーが午後11時、店によっては24時間営業でCO2の無駄な排出に余念がない大阪の流通事情もいかがとは思わざるえないが、それにしても、7時と8時ですよ。富山市内の過疎的ドーナツ化現象を森市長は嘆いておられるけれど、それなら市内中心部をもうあと2時間ばかり活性化させるように行政指導するべきですね。大和百貨店も、平日の昼間に来ているお金持ちのシニア層以外に顧客を求めるならせめて9時までは営業したほうがいいんじゃないでしょうか。 でもまあ相手がそのスタンスを変えなければ、自分が柔軟に対応するのがオトナの生活態度というべきなのかもしれませぬ。缶詰乾燥食品の活用法をもっとマスターいたしますか。

陶淵明によせて

「飲酒」 陶淵明 青木正児訳をアレンジ 衰栄無定在 彼此更共之 小生瓜田中 寧以東陵時 寒暑有代謝 人道毎如滋 達人解其会 逝将不復疑 忽与一觴酒 日夕歓相持 人生浮き沈みに法則なんてありゃしない 彼と我のかわるがわるなんて、たがいに偶然のもんさ まあ向かうところ敵無しなんて時分があったなんて、もう思い出せもしないよ 寒暑は交代するもの 人の道だっておんなじことだからね おれみたいに達人ってやつはその道理を知ってるんで そんなことがあったって、たぶん平気な面をさげていられるのさ でも、やりきれないこともあるから今日も一杯だけ呑んでおこうってことで 夕方になるとイソイソ酒のある場所に赴いていくってことなんだね 秋菊有佳色 育露綴其英 汎此忘憂物 遠我遺世情 一觴雖独進  杯尽壷自傾 日入蠢動息 帰鳥趨林鳴 哨倣東軒下 聊復得此生 秋になって菊がいい色で咲いている 露に濡れながらその花房をつんで この憂いを忘れさせてくれる霊薬をそう一杯の酒にその菊花を浮かべて 我が憂き世を忘れて、あるかなきかの人の情けに思いをいたして でも今夜も卓上の杯はひとつだけ、ひとり呑んでいるだけ だから呑めばボトルはかしいでいくばかり 日が沈んで夜も更けてあたりに動くものなんかありゃしない ねぐらに帰る鴉は低く長くその声をのばしながら山へ向かって飛んでいったし あけがたになって、軒先に夜明けをながめひとり唄などくちずさみ しがらみもない独り者になってしまったな、とちょいと正気にもどったりするのさ

連用形か未然形か

方言というものは私にとって心地よくも楽しいものである。とりわけ独特のリズム感で構成される富山弁には、シンコペーションの効いた楽曲を聴くがごとき快感がある。 「まいどはや、そくさいけ?」 「こちゃ外国語じゃない日本語ながやし」 「でもそんなながゆってもねえ」 「やるしかないがいちゃね」 「免許証見せられま。こっち来られんが。何しとんが」 富山市へ住んでひと月が過ぎ、人の口からだけではなく、街角にも富山方言に基づくコピーワークが頻出していることに気付くようになった。 来られ、見られ、食べられ、といった語尾に「られ」をつけるのも富山流なのだが、そのものを 名称にしてしまうものもある。 コラーレ:黒部市国際文化センター みらーれ:新川市ケーブルテレビ ちなみに国道359号線沿いにある、延べ面積12万平米を誇る巨大ショッピングモールは ファボーレ と名づけられているが、富山弁との関係性は確認されていない。ラテン語の「好き」から由来しているらしいが、担当者に音韻学の知識があったとしか思えぬ語感に対するセンスである。休日にはここを目指してくるクルマで渋滞が発生しているほどで、そのために中央通りの商店街は壊滅シャッター通りになってしまった。多分ご当地言語では「終わらーれ」ってとこかな。 で、この「られ」なのだが、「られる」を尊敬とするか受身とするかで言うと、多分慎み深い富山県人のことだから尊敬表現なのだが、連用形か未然形かが良くわからない。富山県の国語学会でも長年の謎であったに相違ない。しかし私は居住したばかりで、まだ冷静な第3者の視点を持つ男である(これを第3の男という)。新聞紙上に、街角に乱舞するこの名詞に反応してまった。 カターレ これはJ2のサッカーチームで公式名を「カターレ富山」と呼ぶ。たぶん、 勝たーれ から来てるんだろうな。でもこのチーム、ホームゲームでめっぽう弱くて県民の期待を裏切り続け、動員数を漸減的に下降させているのである。希望むなしく勝利未だ然らず。そう、未だあり得ない状況を表現しているから、富山県の「られ」は間違いなく未然形なのである。

いやな予感は的中する

昨夜は富山駅前・桜町の串焼き屋で、クルマ社会の富山ではあまりない「会社帰りに仲間と軽く一献」をやっていた。カウンターの眼前に小型の液晶テレビがあって、中継終了後の日本シリーズを日本テレビG+のケーブルだかスカパーだかの映像をうつしていた。日本ハム先発の藤井は打ち気に逸る巨人打線を手玉にとって、左投手ならではのクロスファイア気味のストレートと切れ味のいいスライダーを駆使してクレバーな投球を続けていた。巨人ファンと思しき店主は藤井がスコアボードにゼロを重ねるたびに無念の呟きをもらし、アンチ巨人の私といたしてましては、落ち込む巨人ファンを見るほど楽しいことはないので、同僚との仕事の話はちょいと受け流しつつ画面に集中していたのである。 藤井投手は一昨年までヤクルトスワローズにいて、プロ野球のピッチャーとしては小柄な公称175センチの身長ながら、意外なスタミナを持ち、コンスタントにローテーションで勝ち星を挙げるタイプではないけれど、年に数回、大仕事をやってのける「意外性の男」であったと記憶している。 小気味いいピッチングはイニングが更新されるほどに老獪の域を深めていく傾向にあり、ああ幾度わが阪神タイガースが手玉にとられたことか。彼のパ・リーグ移籍こそは古田元監督の功績であり、この人は自分より賢い選手に「あんた実はアホなんとちゃうか」みたいな視線で見られることを怖れてあえてこの頭脳的技巧派の、ヤクルトの伝統としてはすぐれて安田猛の衣鉢を継ぐミラクルサウスポーを放出したのではないかと邪推しつつも私は大いに喜んだことだった。ちなみに安田も藤井も早稲田出身である。 いやな予感が全身を走ったのは8回の表、90球を越した藤井に代打が送られたときである。梨田狂せりと思った。同時に原辰徳はこの瞬間に勝負の流れがこの日初めて巨人軍に来たことを感じて歓喜したことだろう。梨田は、ピッチングコーチと藤井の交代を相談する姿を祈るような目つきで覗き込んでいる原辰徳の視線を感じるべきだったとおもう。どうせ今年ふたたび藤井がマウンドに登ることはありえないのだから、ここは「たのむ、腕が折れても投げきってくれ」といくべきだったのではないかなあ。 9回の打順は、亀井・谷・阿部でこれは今年の阪神タイガースクリーンアップトリオを凌ぐ破壊力を持つ。まちがってもこの連中が打ち気満々気合充分のところへ、半端な

麺inブラック

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ラーメンである。 富山には他府県にない驚愕のラーメンがあって、人はそれを富山ブラックと呼ぶ。 スープはイカスミでも溶かし込んだがごとき漆黒の闇。太くて硬くて生茹でかとおぼしき丸麺。普通は薄くスライスするはずのチャーシューは、まったく不規則に乱切りにされ、ブロック状になって麺の上にころがっている。発注単位がまた変わっていて、小(並)→大となる。 ここで断っておかねばならないが、富山における麺の重量は少なくとも大阪とは異なる。 スーパーで購入するうどん玉の重量が、関西では概ね150グラムなのだが、こはいかに、こちらではなんと200グラムが標準となっている。 関西感覚でうどんにおにぎり・かやくご飯・いなり寿司などを追加しようものなら、普段と違う満腹感覚を経験することになります。 そういえば市役所の北側に滋賀県の名店とおなじ呼称で「鶴喜」なる蕎麦屋があって、先日 うかがったのだが、天ぷら蕎麦を注文した私に、 「あの、今年は蕎麦をしないんです」と店員が平然として言ったことだった。 店内の掲示板にいわく 「今年も気に入った蕎麦粉が入手できなかったので蕎麦の営業は見送らせて頂きます」 で、うどんにするのかUターンして帰るのかどっちよ、と問いかけんとする店員に、 まあ、ハラもへっていたからうどんでも結構ですといって天ぷらうどんを発注したのだけれども、それはそれは、半透明上にしてしかも非連続的にびらびらとした、イタリアで言えば手打ちのリングイネの如き格別の手打ち麺を頂いたのでした。 たっぷりの昆布に、うるめ節などが効いていると多分おぼしき、けっこう透き通った出汁も味わいたっぷりで、なんともコシがあってそう、かつて中国山西省で食べたことのある刀削麺とか撥魚児のごとき4000年の歴史を誇る伝統のの麺の歯ごたえととも言える様な、正に端倪せざるべからざるいい経験であったわけですけど。量の問題を隣に置けるのならば。 やかん一個が入りそうな格別のサイズの丼には、まあ、2玉分以上のうどんがからまりあっておりまして、中には愛を誓い合った麺条が合体したまま茹で上がって団子になってしかも中はまだ固形状で生茹で状態なんていうほほえましき風情もあったのですが、とても私ごときが完食できる相手ではなく、志半ばにして憤死してしまいました。 ええと、断り書きが長くなるのは性分だか

有限実行

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富山市松川べりの自宅から、富山地方鉄道富山駅まで徒歩10分。ちょっとJRの駅に寄り道して、 構内の「立山そば」で立ち食いのかき揚げそば390円。ごぼうとにんじんのかき揚げが香ばしい。 2階の書店で新田次郎「剣岳」を購入し、地方鉄道のホームへ向かう。普通電車なら立山まで一時間と少し。ケーブルで美女平まで7分。その辺の標高が970メートルだから、ダウンジャケットにブーツの軽装ではそこまでだな。美女平から高原バスに乗れば標高1600メートルの室堂へも行けるけれど、氷点下5度の表示にたじろいで本日は見送り。おまけに視野が500メートルしかないみたいだし。 立山駅で                                                      美女平で 11月3日の文化の日にまさか、雪の立山をこの目で見ることになるとは思いませんでした。 ただただ圧倒され、しかも17時前、市内に戻っても、ちょうど夕日を浴びた巨大な山塊がうっすらと ピンク色に染まり、なんとも色気のある風景に。わたしは思わず見晴らしのいい歩道で固まってしまい、ぼーっとしてこの生涯初体験に眺める眼前のパノラマを眼底と大脳皮質に固着させること。につとめていました。でも通り行く富山市民はだれも山に目線を向けないんだなあ。 そうしょっちゅうにお目にかかれる光景でもなさそうだけど。 とにかく、きちんとしたデジカメを購入しないといかんなあと実感。 今夜はどこで「立山」を摂取しようかな・・

朝の決意

立山が望見できる朝はとても気分がいい。3000メートル級の山々に囲まれた県庁所在地なんぞそうめったにあるもんじゃない。ただ、晴れた日にすべて立山が拝めるわけでもない。市外の東南に位置しているため、天気がよすぎると逆光になるし、暖かいとえてして山麓から靄が立ち上っていて、なんとなく輪郭だけがぼやっとうつっているみたいになる。 原住民によると、気温が低くて空気が澄んでいるときが最も全貌を現わしやすいそうな。おまけに湿度の関係か、天気が下降するするときになぜかより美しさが際立つとか。 けさは7時半ごろに起きたのだけれど、双眼鏡を片手にベランダに出て、昨夜の大荒れの天気から、まあ晴れ間のある曇り空になったことをよろこびつつ、山のほうを見てみれば。 天辺から裾野まで、白いじゃないの。 あわてて双眼鏡を構えて、ビルの谷間越しに山容をかくにんすれば、山麓が積雪でまぶしく反射しているさまがはっきりと見えるじゃないですか。 先日えらい目にあった大山カメリアカントリークラブの方向から、神通峡にかけての一帯は雪渓のようにも見受けられる。ここから10キロばかり南方なんだがな。まあゴルフ場は富山カントリー・ 大山カメリアの両コースともスキー場みたいになってるんだろうな。 昨日の天気予報では、山間部で15センチ平野部で3センチの積雪と言われていたけれど、八尾(おわら風の盆で有名な)、上市(雪ちゃんのたよりは麹味噌~の日本海味噌本社所在地)あたりはそれくらいは積もったんだろうな。 ということで今日の午後は富山地方鉄道に乗って、上市から立山駅くらいまで行ってみようと決意した。もとより山を登る覚悟などないので、駅舎周辺をぶらつく程度だけど。 寒い日に(外は4度くらいかな)ひきこもる癖をつけちゃうと、これからの長い冬に耐えられなさそうな気がして。

寒い日だってへっちゃらさ

今夜の富山は相当に冷え込みそうであります。夕方の気温が5度。突風のほどは先日の台風を思い起こさせるほどの勢いである。こんな日は風邪の予防によく、ダイエットによく、脳みその強化にもすぐれたしかも財布にやさしい「葱鍋」でも作るか・・ 葱鍋 ネギマ鍋ではない。随分、まだ森須次郎さんが生きておられて編集長を務めておられたころに「四季の味」で掲出されていた「名店のまかない」に出ていた料理である。材料は白葱と薄揚げだけ。 白葱 縦に一本、切れ目を入れてから斜めに削ぎ切りにする。これを料理用語では「笹打ちにする」というらしい。普通に削ぎ切りにするより熱のとおりが早くなる気がする。一人前で太目の白葱をまあ2本はご用意いただこう。青いところもしゃりしゃりしておいしいが、切り方にコツがいります。 薄揚げ なるべくしっかりしたもの。京揚げなどあればベスト。幅5ミリくらいに切りそろえる。あの、関西でいうところの刻みうどんの具くらい。これはひとり1枚半から2枚くらい。 出し汁 これが肝要である。昆布を「嘘!」と思うくらい使って、さらに混合削り節(カツオだけでとるよりも根性のすわった味が出る)もこれまた「やめて!」と言うほど使って出汁をとってください。材料が葱と揚げだけなんだもの。これくらい贅沢してもバチはあたらない。 味加減は寄せ鍋のつゆくらいの感じで。ヒガシマルの薄口醤油、酒とみりんでなるべく薄味に仕立てるのがポイントです。 食べ方 鍋に出汁をそそぎ、煮立ったところで葱と薄揚げを投入し、煮えた端から食べるだけ。ちょいと七味を振るのもいいですね。煮詰まってきたら酒や湯でのばしたり出汁を足したりご自由に。 鍋の後 濃い口醤油を適宜たらして、みりんをちょいと足して、ゆでたうどんを加えればこれはもうたまりませんぜ。自分ではやったことないけど、卵でとじるのもいいでしょう。 出しの引き方と葱の包丁かげんさえ間違わなければ、冬の夜にいいもんですよ。 私はこの鍋の場合、スターターに富山名物昆布巻き蒲鉾を板ワサにしてビールを楽しみ、鍋をアテ にしてやはり地元の銘酒「立山」を常温でいただきます。うどんにするのは概ね翌朝で、青葱をたっぷり刻み込んで、蒲鉾浮かべて楽しんでおります。

クルマ社会のはみだしっ子 ①

富山市は徹底したクルマ社会である。職場の某君宅などゴミ出しさえもご令室がクルマで出動すると言う。だいたい200メートル以上は歩こうともしない市民が多く、人口42万でそこそこの都市のはずなのに道行く人影がまばらである。市内中心部は次々と商店が店を閉じ、かつての繁華街であった総曲輪(そうがわ)あたりの商店街すらシャッターで閉じられた店が目立つ。 一方で街道筋にはいわゆるロードサイド店がならんでいて壮観である。巨大ショッピングセンターもあって駐車場町の車で休日は渋滞をおこしている。市内最大のショッピングモール、ファボーレまでは市内中心部から10キロ近く離れている。市民はクルマを持っていることが前提なので、富山駅からの富山地方鉄道バスは、そんな巨大モールまで1時間に1本のバスしか走らせていない。 営業車でファボーレの前を走ると、バス停で呆然とたたずむ老人を見かけることがある。 さて富山は立山から流れてくる地下水がおっそろしく豊富で、水よし米よしおまけに眼前の富山湾はリ・タイ・サバ・白エビ・ヒラメと水産資源に恵まれ(富山湾は別名をケンミンの生簀という)、いわずもがな寿司がウマイのであるけれど、回転寿司が半端ないレベルで競争している。ただし、富山の街中には一軒もなく、街道筋まで5キロくらい遠征しなければならない。だからこれもクルマを連ねて出かけることになる。この回転寿司はどの店に入ってもたいしたもんである。休日など、テーブル席で昼間っから宴会している市民も多く見かけられる。そんなとき、一団の中でどうもノリが悪く いささか仏頂面をしている人間が一人二人連座している。くじ引きか力関係ゆえに当日の運転担当になった不幸な市民である。まあ、他府県民からは想像もつかない当地回転寿司店の豊饒ぶりについてはまた改めてレポートしなければなるまい。 なにしろ街中のコンビにすら5台分以上の駐車場があることがアタリマエなんである。 で、これが問題なのだけど、僕はクルマの運転ができない。ゴルフ場のカートは、トーナメントの仕事をしていたこともあるので、まったく問題なく運転できるけれど、普通自動車免許はなんとなく機会を逸してしまい、取得していないんである。 まあ、成人後に住んだ場所が、京都市左京区・中央区、神戸市中央区、大阪市福島区・東淀川区・ 北区といったラインアップだったので、まあクル