うどん慕情

駆け足の大阪出張へ行ってきた。きのうの午後に富山を出て夜に大阪入りして久しぶりに北新地などを徘徊し深更までお酒を飲んだり唄を歌ったりした。夜で歩いている人間の多さに新地はヒマやと店の人間が言うていたけど、どこがヒマやねんと思った。当地富山の繁華街桜木町にライブカメラでも置いて見比べたら、ジャングルとサバンナくらいに違うんだけどな。
ああ体に悪いなあとおもいつつ、ホテルへの帰路、若い衆と「天下一品」へ。この超弩級こってりラーメンはもともと京都ではじまり、京大同志社立命館などの腹ペコ学生の空腹を満たしてきた。約四半世紀前に同志社の貧乏学生であった私も、今出川店・銀閣寺店・北白川本店などで、箸が立ちそうな濃厚スープに入れ放題の九条葱を野菜補給と称しててんこもりに投入し、学生にはサービスでついてくる丼飯に沢庵をつけて、ぺろりと平らげていたものである。まったくの蛇足ながら(このブログ自体がそうなんだけど)京都ならびに京都人の学生に対する甘やかしかたは、全国でも稀に見るものであるらしく東京の某最高学府出身の先輩に「だから京大同志社出身は酒の飲み方に加減や常識がないんだよ。町全体が放任するからだ」と言われてしまっている。
社会人になるころから、天下一品は京都を出て全国チェーンへと羽ばたいた。今は首都圏初め主要地方都市までかなりのカバレッジを誇っているはずである。ところがなぜか富山県には出店がない。国道41号線沿いにいっとき出ていたらしいが、ブラックラーメンなどという全国にもまれな狂暴かつ過激なラーメンを創出した県民も、あの破壊的スープは受容できなかったらしく、ほどなく撤退したらしい。何につけ京都由来のものだと尊重してくれる金沢にはまだ存続しているというのに。
食べられないとなると無性にほしくなるのが人間の性で、大阪にいたころはせいぜい3ヵ月に一回くらいしか赴かなかった天下一品が無性に懐かしく、ここのところ大阪出張のたびに恭しく訪問しているのである。いじらしい話ではないか。
大体あのスープは、鶏ガラを溶解するまで煮出してコラーゲンを絞りきり、野菜の煮出し汁とあわせたところへラードをぶち込んだ、栄養豊富ながらカロリーと油脂分も豊富なものなので、40歳をこえたあたりから、どうにも喫食した数時間後に大腸に異常をきたす、鬼門のスープであったのに。たぶん引越し以降、洋食中華揚げ物とあまり縁のない食生活をおくっていることで体内の脂肪バランスが変わったのか、ここ2回ばかりはしかも深夜に摂取しても下腹部からは何の音沙汰もないのである。かえって、きょうなんか朝から元気ハツラツ。会議やらミーティングやら平気の平左でこなして、それどころかついでになじみの洋服屋によって冬のスーツを採寸してもらったのだけど、肌ツヤがいいですねえと褒められる始末である。自分で頬をなでてみても新生児のごとくとまでは言わないけれど、その肌理といい弾力と言い、新宿三丁目はうろつかないほうが良さそうな加減ではある。
ただし、翌朝。はげしい悔恨を覚醒とともにおぼえることになった。
サンダーバードに乗車するときから決意していたやんけ。うどんを食わんとあかんと。
蕎麦は立山・利賀、隣県の長野からの逸品とレベル高く、ラーメンもかつて椎名誠が酷評したらしいがラーメン不毛地帯の大阪よりは卓越していると思っているけど、うどんがどうもむずかしいと感じていたんで。まあ、あのやわらかくも微妙なコシがあり、ほとびた麺に黄金色の出汁がからんでいくあの大阪うどんに匹敵するものが、まあ当然ながら富山にはないのでした、今のところ。
たとえ接待酒であっても、あの致酔性の飲料が吸収されてくると余程の事がない限りご機嫌になってしまう安直な性質なのだが、無念、酔い加減とレイノルズ相似をおこしてアタマのなかがいい加減になるらしく、そうやって食べなくちゃと思っていたものをしばしば忘れてしまうのである。まるで麻生太郎の大叔父、吉田健一のごとくではないかと、希代の名文家によせて
みずからを慰めるしかないのである。
結局ホテルに隣接する「阪急そば」で朝からきつねうどんにかやくご飯をいただいたのだけれど、まあ阪急電鉄(の一党)が経営する駅の立ち食いが路面に進出しているだけなので、それなりではあるものの、真髄にほど遠く余計に慕情が増しただけなのですね。いやはや。

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