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「カレーの王子様」金沢〜富山へ。衝動的カレー作り。

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「越中通信録」などと標榜しながら、二ヶ月ぶりの富山行き。ようよう57歳となった身体を預けるのは、ありがたいことに新型のサンダーバードで、乗り心地が旧型と明らかに違う。「ザクとは違うのだよ、ザクとは」などとひとりごちつつ北陸路を進んでいく。

金沢で途中下車。一仕事して主計町で夕食を済ませ、片町にある懐かしのバーへ。ただ富山でも顔を出したい店があり、金沢〜富山とハシゴ酒へ。「僕にはまだ帰れる場所がある。こんなに嬉しいことはない」なんて。やはりファーストガンダム世代ですな。


まだまだ回りたい店はたくさんあれど、次の日にヘビーな打ち合わせが入っていて、さすがに桜木町は二軒止まりにしてホテルへ戻った。桜木町から松川を越えれば、たった1年前まで住んでいたマンションがあり、なんとも複雑な気分ではあります。

打ち合わせ準備で午前が費やされ、回転寿司の「粋鮨」に行きたかったのだけれど、かつてのオフィスにほど近い「サンカレー」で、金沢風の濃いカレーを瞬速でかきこんだ。


カレーってどうしてこんなに尾をひくのでしょう。その土曜日、朝起き出した時から猛烈な「カレー作りたい」衝動に駆られてしまって。午前6時半からタマネギを炒め始め、合間に洗濯掃除をこなしながら、9時半には完成をみた。

飴色になるまで炒めたタマネギに、和風のだし汁(いつもまとめて鰹と昆布でとってある)を注ぎ込む。別鍋で人参と豚こま肉を炒め、カレー粉と小麦粉を振り込んでおき、それをだし汁に加えて、ざっと1時間。味の調整は、市販のカレールウをくずし入れながらトロミと洋風味を加減します。トマトペーストとかブランデーとかで細かい演出をしながらさらに1時間。

賞味期限ギリギリの卵が一つ余っていたので、薄焼きにしてご飯にトッピング。印洋和が混然となり、まあ本人はうまいうまいと言ってるんだからいいとしますか。


しかし自分でカレーを作った翌々日には、仕事のせいで時間がなかったからなどと数日前にほざいていた言葉を繰り返しつつ、ドーチカのインデアンカレーに詣でているんだものなあ。我ながら随分と年季の入った「カレーの王子様」ではありますね。


超弩級ラーメン天下一品も(記憶から)吹っ飛ぶ。銀座「はしご」も吹っ飛ぶ。アルコール性健忘症とは。

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別に脳梗塞を患ったことはないし、今年の人間ドックでも大脳CTは全く正常だった。なのに時折記憶にない画像が携帯のカメラに収められているというのはどういうことだ。それも妙齢の女子が肌もあらわに、などというトキメキに満ちたものではなく、概ねにおいて「食べた記憶のない麺類」というのは本当に困ったものではないか。

半月前、3月7日に撮影されていたのが、この「天下一品こってりラーメン」である。だいたい飲食の記録は手帳か写真に控えるので、この日の行動は(ここまでは)追跡できる。知人と北新地の寿司屋からラウンジへ行って、ご機嫌で家路に着いたはずである。なのに友人と別れて(多分午前1時を回ってますね)、あろうことか大学生じゃあるまいし。総カロリーが900とも言われる超弩級ラーメンを無意識にすすっていたとは。


かと思えば3月9日のことだ。この日は博多で仕事を終えて、博多明太子弁当などをつつきながら帰阪して、近所のショットバーに立ち寄って帰宅したはずなんである。近所の24時間営業立ち食いうどん店で、なにやら面妖な麺類を注文しているではないか。恐らくは「中華そば」に、何を思いけん、一味唐辛子・胡椒を思い切りぶちまけた上に天かすと温泉卵までトッピングしてしまったらしい。
私はひらがなまで忘れてしまうほどボケているつもりはないけれど、どうも記憶障害を時によって発症してしまうものと見える。


3月11日は日本人ならけして忘れてはならない鎮魂の日である。東京行きのヒコーキの中で、あの大災害を思い出し、天然自然に対して改めて謙虚であろうと決意。


だが同時に3月11日は、私の五十有余歳の誕生日でもあるのです。この歳になって「はぴばすで」なんて言われたくもないけど、銀座の令嬢がた(元令嬢がたというべきか)の中には覚えていてくださっている方もおられて、いつもよりほんのちょっぴりお酒をいただいてしまった。

するとね〜やっぱりカメラに残されているのは、もうこれは確信犯的に「支那麺・はしご」のだんだんめんでありますね。もうざっと33年くらい食べ続けて飽きない。というわけなんで。銀座新橋界隈にあって、理性を街角にうっちゃってしまうと、ここにいる自分を見つけるか、翌日の画像で、ネクタイのシミで、その行ないを検証してしまう訳なんです。


3月14日は、後輩君と一献したのちに天満周辺をパトロールし、ついてはバーの三軒くら…