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博多の朝はとんこつラーメンで始まる。

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博多の朝はとんこつラーメンで始まる。24時間営業のこちら「はかたや」へは定宿から徒歩10分ほどで、朝の軽い散歩にもなる。午前8時は中洲の深夜営業店から退勤途上のお水系レディス、出勤のサラリーマン、観光客など多彩な来客で意外なほどに賑わっていたりする。 290円のラーメンは薄い薄いチャーシューとネギだけが入っている。100円の煮卵と高菜をトッピングして、卓上のゴマと紅生姜をこれでもかとふりかける。 ところで、私の隣にアジア系の二人連れがいたのだけど、店員に身振り手振りで「ラーメンからチャーシューを外してくれ」と頼んでいる。単なるブタ嫌いなのか、はたまたイスラム教徒なのか。後者だとしたら、いくらチャーシューを外したところで、ベースが豚骨だったらどうしようもないと思うのだけれど。アラーの神は意外と寛容だから、事情のわからない他国の地でのことだからお見逃しくださるかもしれないが。 ランチタイム@博多であります。天ぷらの「だるま」では、水曜日が「天ぷらの日」となっており、800円の天ぷら定食に特大のエビ天がサービスで付く。ひとつひとつ揚がるたびに熱々を持ってくるのが嬉しい。塩気が異様に強い塩辛と高菜漬けが取り放題になっているけど、こいつを小皿に残してしまうと、親切にして獰猛なるアマゾンに叱られるからご用心のほどを。 特に会食とか入っていない夜は、中洲は多聞通りの「みんみん(文字が出ない)」で餃子をいただくことが多い。博多の餃子はひとくちサイズなので、ビールとともにやるのに持って来いなんだな。 さて大阪へ戻る。仕事の性質上、実は仕出しの弁当とか出前で昼夜の食事を済ませることが多くて、弁当というやつはできる限り食べたくないんだけど。でも博多発20時の新幹線なんてことになると、どうしてもこういうことになってしまいますね。 以前ここで「博多駅の駅売り弁当にロクなもんがない」とディスったことがあるけれど、新幹線乗り場の近くに「プレミアム弁当コーナー」みたいなところに「柿安」を発見した。ここの牛肉弁当はちょっと贅沢だけどいいもんです。

アレルギーの原因は「ボケツッコミ」か。神田で鰻を。銀座で担々麺を。そして大阪では・・

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地元でちょっとゆっくりしたかと思うと、また水曜から東京へ。しかし朝早い時間といい昼の時分どきといい、帰りの最終前後といい、「のぞみ」がいつも混んでいるのには驚かされる。みんなよく働くよなあ。 そろそろ花粉の季節だし、アレルギー性結膜炎は大阪に帰任して以来の持病だし。こういう額面広告は気になりますね。ちなみに結膜炎の方は未だにアレルゲンが特定されてない。眼科医からも「時間かかりますよ〜」と言われている。富山時代にはあまり出会わなかった「ボケ・ツッコミ」あたりが病原じゃないかと私はにらんでいるけれど。 関ヶ原あたりにはまだ残雪が。7年間北陸に住んでいたし、北陸新幹線開通までは豪雪地帯を抜けて越後湯沢経由で東京へ行っており、5メートルとかの積雪を見慣れていたから、この程度の雪なんて。でも綺麗だな。 新入社員時代からざっと34年間、そのうち20年くらいは週に一度や二度は東京大阪を往復していたので、発車時間から逆算して自分がいまどの辺りを通過しているかは身体でわかるような気がする。富士山の見所だってね。 昼前に東京へ到着。午後からの仕事に備えてスタミナ補給、というか無類のうなぎ好きなので。とりわけ仕事場に近い神田の「うな正」は国産うなぎの丼が980円と、グッとお値打ちなんで機会を見つけては通っている。 仕事を済ませたらら、新橋の居酒屋で同僚と一献。さらに馴染みのBARで杯を重ねた。仕上げは銀座は「はしご」のノンバレイユ(絶品)担々麺で。麺もご飯もハーフにしてくれるから、中高年にはありがたい限り。 翌日にかなり厳しいことになるかもしれない、重い打ち合わせがあったので、ちゃんと地下鉄が動いている時間に小伝馬町のホテルにご帰還した。 ありがたいことに、重いはずの打ち合わせは前向きにまとまって、連日になるけど鰻丼で昼をしたためて大阪へ。戻ってさらに一仕事。さすがにぐったりしたので、夜は最近お気に入り「大阪トンテキ」で「とんたま定食にんにく付き」とした。疲れた体に豚肉とニンニクは、ド定番だけど効くのよねえ。 リキつけて、近所のBARで知り合いと合流し、まずは結構なお時間まで行ってしまいました。ボトル半分くらい飲んじゃったかも。そんな翌日には上方風のきつねうどんがよろしいですね。いちおう出汁は真昆布と鯖

博多〜東京〜大阪へ 揚げたて天ぷらは博多名物 睡眠障害の積極的解消法とは

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大阪で久しぶりに一息ついたかと思えば、またまた博多へ。翌朝が早いのでとにかくさっくりと夕食をしたため、ホテルに戻ってひと仕事して休むことに。歳をとると休養の取り方も大事です。塩味の焼きそばに小粒の餃子は中洲の「ミンミン」にて。 しっかり休んで朝からお仕事。区切りがついて時計を見ればすでに1時半で、腹ペコになってしまったスタッフ一同(男子2名女子2名)にて大名の天ぷら「だるま」へ。最近大阪でも流行りだした「揚げたて天ぷら定食」のハシリみたいな店。エビ天3本に野菜天が二つ付いた「エビ天スペシャル定食」1150円なり。熱々の天ぷらにヤボなほど濃い天つゆが、飯にあうのなんのって。後のことを考えなくていいなら絶対に飯は大盛りだな。 まあ結構深くまでお仕事して、夜は中洲の行きつけで一献。やっぱ博多はよかところやね〜などと言いつついい気分に。でも結構寒くて、九州ぽくないのね。翌朝はANAで東京へ。空港は所々に雪が積もっていて、風も厳しい。離陸間隔を開けたために、乗機してから1時間近く待たされた。 東京で担々麺かうなぎでも食べようかと意気込んでいたのだけど、立ち食いの寿司屋でパパッとつまんで終わり。食事時間わずかに5分。 東京での仕事を終わって最終便で大阪へ。元来なら翌日がゴルフだったのだけど、大寒波の訪れにビビってしまい、キャンセルしてしまった。 ゴルフだったら前日は禁酒することにしているんだけど、アテが外れたので、皿うどん食ってビールを飲んでから、畏友のM・知人のS・先輩のKなどを糾合して飲みに行ってしまった。何時に戻ったか記憶ははっきりしないけど、午前4時はまわっていたような。 昼頃に起き出して、掃除とか洗濯をする気力などもとより雲散霧消していて、翌週に着るべきワイシャツがなくなるとサラリーマンとしていががものか、ということになるので這うがごとくフラフラになりつつクリーニング店へ。 ついでに天五中崎の「うまい屋」にてたこ焼きを。あのえらい二日酔いでよくまあたこ焼きなんか食べられたもんだと、我ながらびっくり。側はカリカリ、中はしっとりで、相変わらずの絶品ぶり。 たこ焼き屋から、夢遊病者のごとく「う〜気持ち悪い」と言いながら帰宅。そのまま服を脱ぎ散らかしてパジャマに着替え、ベッドにリターンズ。次に目が覚めたら外はもう真っ暗。6〜7

豚肉とニンニク。バンカー大叩き。新地に出るオバケ。

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久しぶりに一週間大阪にいた。博多へも、東京へも行かず。ちょっとのんびりしたかもしれない。56歳の肉体に毎週の移動はさすがに応えるようで。 疲れた時は豚肉とニンニク、というのは古今東西の原則なので(私にとって)、近所の「大阪トンテキ」にて「とんたま定食」にて夕食をしたためる。身体がポカポカしてくるような気がするから、プラシーボ効果が抜群だな、我ながら。 2月4日、今年初めてのラウンドは好天に恵まれて、コンディションは最高だった。前半を49で折り返して、まあええ感じかと。しかし後半にバンカーで6発叩く大崩れとなり、そのまま沈没した。クヤシイ。 あまり悔しいので、翌日は「つるやゴルフ」へ走り、ドルフィンウェッジなるサンドウェッジを購入した。今のセットには専用のサンドウェッジをつけずに、セット物で対応していたのだけれど、やはりバンカー対策にはそれ用のモノが必要な気がする。ま、道具買っただけでスコアが上がるってもんじゃないのは身にしみて知ってはいるけどね。 ウェッジ買ってお金を使ったので、外飲みを自粛。自宅でセルバンテスを読みつつ晩酌。聖書に次ぐベストセラーと言われる「ドンキホーテ」をこの歳になって初めてひもとく。 読破することができれば、まだまだ読書体力があるってことなんでしょうけど、自信ないなあ。 豚肉だの、大盛りヤキメシだの、食生活が乱れていたので、知人のY氏と昼飯に行くことになって(彼は栄養が偏りがちな単身赴任者である)、堂島の「志賀」へ。野菜たっぷりのちゃんこを食べて体内pH値の是正を図った。 ところで、2月の2〜4日は北新地のお祭りで、女性たちが仮装をする。「オバケの日」ということになっている。お取引先様と、真冬のオバケ見物としゃれこみました。元々は祇園で始まった風習とか。節分の恵方巻きと一緒で、飲食店の2・8月枯れ対策なのでしょうね。