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深刻なる問題

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ブロガー殺すに刃物は要らない。PCが不調になれば更新は不能となる。
そうなんである。困ったことにマウスが動かなくなってしまっていたのだ。しかも旅先というか帰阪先のホテルの一室ではマニュアルもありはしない。せっかくモバイルノートを持ち歩いていても、これでは単なる「航海中不要」のデッドウェイトでしかないではないか。

もちろん、パッドで指先ドラッグの手段もあるのだけれど、寒空の下でのゴルフで指先がシモヤケになっていて、微妙な感覚が生かせないのである。そうだ、パッティングが乱れて3パットを連発したのもそのせいに相違ない。



こいつがホテルのテーブル上で動作不良を起こした光学式マウスである。大阪駅前第4ビルの地下にある激安ショップで525円にて一昨年に購入したもの。南森町で・旅先で・越中の新本拠でと軽やかにドラッグをしてくれていたのだ。

ネット社会のありがたさである。
「マウス不調」でググってみたのだである。なんと23万件もの相談がネット上でおこなわれていた。痛む指先で不器用に情報を収集したところ、「おしえてgoo」にいい回答が出ていた。

『光学式マウスを白色のテーブルなどで直接に使用すると、機能不調になることがあります』

文字通りのことをしていたわけで、ためしに手近にあった雑誌をしたに敷いたところ、これが見事に功を奏してわが税抜き500円の光学式マウスが完全復活したのだ。

諸君。夜明けの来ない夜はない。明日という日は明るい日と書くのである。

奇しくもあすは元旦正月。故郷北摂で新年を迎える私は、清和源氏ゆかりの多田神社に参詣し、自分のみならず、ここの雑文をご覧になったことのある方々すべての御多幸を祈願する所存である。みなさん、よいお年をお迎えください。

コドモの国

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不景気か?
不景気だ。
赤玉ポートワインを飲んでいるかネ?
飲んでない!
そうだろう。

出た オラガビール。 飲め オラガビール。

メディアとりわけ広告が元気でないと世間まで活力を失う。片岡敏郎の強いコピーワークは世紀をまたいでいまだにその活力を失わない。つまらん日常を送っていても、やるなこいつ元気だなと思わせる言葉があると、ひとつ頑張ってみるかと腰を上げる気分になる。

あらゆる場面でホンネが語られることが減少し、クレームを恐れて回りくどい表現や言い逃れを忍ばせながら、文脈を複雑化させる。自己責任を明確にせず、とにかく言質をとられることを異常に怖れる。嫌な風潮である。

献金問題における首相の答弁は、秘書関係者に罪を擦り付ける卑劣さは政治家に特有の責任回避なのかも知れないけれど、冗長な言い回しと論理を細かくすり替えながら基本的問題から逃避する態度に、幻滅を軽蔑を覚えずにいられなかった。

きっと子供の頃にいじめられっ子であったことがあるに相違なかろう。

誰にも嫌われたくなく、全方位にご機嫌を取るものは、やがて全方位から石もて追われるものである。そんなに人気者であることに固執するなら政治家をやめて宗教家にでもなるがいい。        





師走の富山市内

市内各所にこうやって塩引きの鮭とか鰤を干す風景か見受けられるようになった。いっぴきの鮭・鰤をあがなって、家族全員で余すことなく食べきってしまう正月。じつに豊かさを感じさせてくれる風景である。大振りの鮭がだいたい6500円。鰤は12000円。

本場に来ればおいしいものは正しく美味であるけれど、決してお安いものではない。でも、美味なるモノにはそれなりの対価があってしかるべきではないか。何でもかんでも気楽な値段で求められる社会は、実は商品をリレーしてきてくれる人々への報酬を値切って貧困を再生産する社会でもある。
モノに対してキチンとした値段があることがオトナの共生である。



Happy Christmas

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For weak and for strong


The rich and the poor ones

The road is so long

So happy Christmas

For black and for white

For yellow and red ones

Let's stop all the fight



A very merry Christmas

And a happy New Year

Let's hope it's a good one

Without any fear

来年は、ここ越中にも・日本にも・世界にもいい年になるといいですね。

私がこんなブログなんぞ始めたのは、ひとつには新天地である越中での暮らしを書き留めておこうとするためでした。そしてもうひとつ。エクセルの表計算ひとつできないPCオンチの中年男でも、なんとかソーシャルメディアに参加してみたいと思ったこと。インタラクティブメディアの世界では単にサイトからサイトへと漂っているだけでは、いつまでたっても傍観者でしかないから。
この年末も、来年も阿呆全開で世間をタテ・ヨコ・ナナメに捉えながら、このページを更新していきたいと思います。

偶然にもここへおいでの方々に。

神の御子様の誕生日に。

Merry  merry christmas  and happy new year.

鎧は白いのである。

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寝ぼけマナコを覚醒させるのに雪国の冬は最適かもしれない。昨日、暮色に雪の反映がきれいな富山市に帰ってきて、やっぱり北国の冬は見るに耐えるもんだと思った。コンビニの駐車場で、街灯に反射する掻き寄せられた雪の反映に、空から落ちてくるぼたん雪が照らされてこれもいいもんだと。



雪国の朝は静かなものである。真綿の切れ端を重ねたような、ふうわりとした結晶は音を吸い込むらしく、市街電車の鉄輪がきしむ毎朝の騒音が届いてこない。寝起きにベランダに立って撮影した松川沿いの風景である。いきなりこんなものを見せられれば誰しも覚醒するんじゃないか。

会社へ行くのに、矛盾する表現だけど短いゴム長を履いて路面を探りながら歩いた。車の轍をたどって歩くのが一番歩きやすいのだけど、後ろからクルマがやってくると道を譲らなければならない。それは掻き寄せられたために50センチ近くも盛り上がった、雪の壁を踏んでいくことになる。私のショートブーツはノリ面が20センチほどしかないので、すねの辺りまで足がのめりこんでしまう。

スラックスをゴム長にたくし込んで歩くのがどうしても視覚的・感覚的に許されなかったので、あたかも普通のクツを履いているかのように見える黒のショートブーツを買ったのである。それが旅の者が持ち勝ちなしょうもない見栄であることが判明した。

同じようにオフィス街を目指すサラリーマン同胞は、魚屋が履いているようなゴム長にスラックスの裾をたくしこんで、短靴を入れたスーパーの袋を持って歩いているではないか。所によっては膝丈までも積雪してしまったら、脛が濡れて冷えることを避けるためにも、その結果として冷たい雪片が靴の中に侵入してくることを防ぐためにも、ゴム長は必需品なのである。




白鎧々。ほんとは金偏でなくて白偏なんだけど、そんな響きがふさわしいような厳しい冷たさがあった。昼食を取りに出かけたとき、地鉄ビルのデジタル温度計は摂氏2度を表示していたのである。
やっぱりこれだけ積もるときはそれなりに寒いんやなあと、同僚を振り返るにあまりこの冷気に参っている気配もない。

「雪が降ったあとのほうが暖かいんですよ。昨日まで大阪にいたからじゃないですか」
こちらで寒いのは雪が振り出す前、霙加減の雨が強風とともに吹き付けてくるときらしい。摂氏での表示が同じ2℃でも体感温度が全く違うという。関西ならばむしろ、真っ青に晴れ渡った…

雪国

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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。かわたれどきの底が白くなった。
向側の座席から娘が立ってきて、島村の前のひび割れたガラス窓に目をやったあと、デッキに向かい、声を張り上げている。冷気が流れ込んでくるのも意に止めず、遠くに叫ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
LED製と思しき昔でいうカンテラを提げて、ゆっくりと雪を踏んで来た男は襟巻きで鼻の上まで包み、耳に帽子のフリース布地を垂れていた。娘は 顔見知りなのか、新雪に覆われたホームを男を目指して駆けてゆく。降り積もった雪の色と呼応するかのような、透き通った白い頬が心なしか上気している。島村は人の偶然の出会いがめずらしく、臨時停車が長引く間にホームを散策する振りをして、二人の会話を何気を装いつつ聞いていた。




「私の席の前で突然ガラスが割れてしまったんですよ。おかげで今庄に臨時停車できて。駅長さん、富山の管理局から、役職定年でこちらに来られたんですってね」
「ああ葉子さんじゃないけ。とうとう帰ってきたこられたながですか。今日は随分ときつうに寒いちゃね」
「弟が来年からJR西日本で働かせて貰うことになっていて。いきなり今庄駅で勤務だって。駅長さんの下につけるって、喜んでました。お世話をお掛けしますけど」
「こんなとこ、若いもんは今に寂しくって参るにきまっとるがいちゃ。」
「まだほんの子供なんです。駅長さんから世間というものを教えてやって下さいな」





・・・承前。本当に特急サンダーバード27号のガラスが割れたんである。今庄ではないけれど、おかげで敦賀の駅に15分ばかり強制半固定された。暖かい車中で半ば居眠りをしているうちに、ノーベル賞作家・川端康成の「雪国」の冒頭が頭をよぎった。

厳密に言うと、そのあまりに有名な出だしを山口瞳から東海林さだお、北杜夫に至るまで文体パスティーシュをした、和田誠の怪作「倫敦巴里」を思い出したのである。

この冬の第一寒波が北陸に到来した週末を、それなりに寒いけれど青空眩しき関西に逃れてやれ宴会だゴルフだと浮かれていた。いよいよ帰富するとなると、各種報道の伝える大雪ぶりに恐れをなし、気が滅入ってしかたなかったのは本音である。

でもいざ帰ってみると、街は融雪装置で舗装面や歩道に雪はなく、裏にきちんとトレッドが刻まれている靴をはく限りにおいて何の支障もなかった。(ただし、平底の靴で歩くことはお勧…

小人閑居して

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道楽まじりにこうやってブログなんぞ付けているものの、師走の風は越中でヒマこいている窓際サラリーマンにもせわしなく吹く。会議忘年会出張年末挨拶回りと駆り出されているうちにすっかり更新が途絶えてしまった。ブロガー殺すに刃物は要らぬ、ヒマを取り上げてしまえばよいのである。営利目的でやっておられる一部のプロをのぞいて、寂しさのつれづれに青い便箋を黒のインクであなたに手紙を綴るほどの濃い人間関係がないから、自分にあてた手紙をこっそり他人に見せて、自分自身にお芝居をして見せているのである。でもそれに欠かせないのが自分の時間で、一回更新するにまあ一時間くらいかかるから、ヒマを持っていないとマメに更新ができないのである。

いしいひさいちの「バイト君」シリーズに、なつかしの成田空港闘争を題に取ったものがあった。二十数年前に読んだ記憶なので剥落・取り違えはご勘弁。バイト君所属するところの学生運動セクト「安下宿闘争連盟」が成田までデモに出かけて機動隊相手に、本人たちは闘争のつもりで、しかし機動隊員からするとくだらないいたずらにすぎない。つまらん手間ばかりかかって、面倒な相手でしかないような騒乱をくりかえすのである。

ある時、当の千葉県警に本庁の超エリートが来て、「安下宿共闘連盟?ありゃあ何の思想的背景もない、ブームに乗って成田へ来ただけの見物客みたいなもんだ」と断定したうえで、「やつらの資産をつぶしてしまえばおしまいだ」といって、アジトの前に看板を立てることを指示する。

「機動隊員募集・日給高給保証」。極端に貧乏なメンバーたちはこぞって日給に引かれて入隊してしまう。「ああいうアホはヒマにしておくと面倒だから、最大の資産である時間を取り上げてしまえばいいのだよ」とエリートがつぶやく。

ああ人間は資本主義社会において、時間と人格を売り渡しながら生きていくのですね。



富山名物細工かまぼこ


これは慶事に欠かせぬもので、勤務先の広島営業所から忘年会の景品を求められたから謹呈したものである。勤勉にして冗談が時に通じないほどに日々真剣な富山県人が、お祝い事があるたびにかようなお笑い商品を取り交わすのである。贅六の分際ではこれが不思議でならない。

広島営業所長は私の不倶戴天の敵であって、ある種の敬意をはらわずにはいられない相手なのである。自前3000円を払ってでもその宴会に一助を果たさねば気が済まんのであ…

いざ見参、冬将軍。我に備えあり。

けさの北日本新聞お天気欄を見るに、14日月曜日から木曜日までが連続で「雨または雪」となっていて最低気温も水曜からは氷点下である。金曜日にいたっては零下2度で「雪」。とうとう越中の冬がやって来た。

先週半ばから職場でも「来週はついに雪ですよ。はじめての北陸の冬ですね~」と言われていた。昨日など道路の融雪装置が試験運転していて、なにかがせまってきている雰囲気充分である。

夜はアルコール変調が効いていることも多いので、20代の頃から朝シャワー派である。たまに思い立って就寝前に湯をためて入浴することもあるけれど、それでも出勤前にはシャワーを浴びる。まあ煩瑣にして楽しき私事の世界から、資本にこき使われ人間疎外になりながらも日々の糧を得るための就労へと、次元を切り替えるための「みそぎ」として、修験者の水垢離・滝打ちにも似た神聖な気分で毎朝お湯を浴びているわけではもちろんありません。

まずは前夜の酒気を払うため。なんか薄ぼんやりしたまま出かけるのってやだし、もしも酒臭かったりしたらそれはもっと面倒だし。連日のごとく深酒不良をかさねてた30代まではもっぱらその意味で朝シャワーであった。いまも酒気払いは大きな理由のひとつではあるけれど。

やはり不惑の年をこえたあたりから、自分でも気がつくんですよね。あの「加齢臭」というやつが。若い頃オヤジの集団が乗った後のエレベーターに乗って、そのなんとも言えぬ不精臭とヘアクリームだかポマードの油くさい匂いと、さらにピクリン酸のかもしだす腋臭に嘔吐しそうになったことがあり、その体験がトラウマになっているらしい。

おのれが中年老年といわれる歳になったら、せめて出勤前には身体を清潔にしておこうと、これはふだん明日から二日は酒を抜いてみようとか、今月からせめて少しは貯蓄に励もうとか言った二流どころの誓いでなく、以降20年以上も守り続けている超一流どころの誓いである。自分ではまた周囲の意見を総合しても、意志薄弱で何事も持続性のない甲斐性なしと定義づけされることが多いけれど、見給え。意志力強固な所もあるではないか。

ところで現在の居住環境である。ほとんどの部分に満足している。大阪天満ですんでいた築40年の老朽アパートとはエライ違いでさながら金殿玉楼といって差し支えない。ただ、脱衣場が寒い。毎朝震えながらシャワーあがりにグルーミングをしなければならない。

昨日…

黄ぃそば

年の瀬・忘年会シーズンともなるとなぜかに心騒ぎ、ついふらふらと桜木町界隈に出没することになる。職場規模の大忘年会など遠い昔の話になってしまったし、せめて後輩同僚を誘い出してこのひととせを振り返る程度であるが。

ただクルマ社会の越中国では、ちょいと思いついて「今日ちょっと行けへん?」などと提案しても無理である。数日前に調整しなければならない。大阪で無頼きわまる生活を送っていたから転勤当初はとまどったけれど、今はそれも慣れてきた。

さて楽しく飲酒をすると人間どうなりますか。たぶん歓楽の度合いが高いほどに翌日の反省が深くなる筈である。起きられないような二日酔いなるほどには深酒をしないように自制しているものの、
朝からパンとかご飯がすすまないこともしばしば発生する。

だいたいにアルコールは脱水性の高さで悪名高き飲み物なので、そこそこに摂取した翌日は身体が水分を要求する。また肝臓がアルコールを分解する過程である種のアミノ酸を使うらしく、アミノ酸でもとりわけイノシン酸を欲しがることになる、と聞いた覚えがある。

呑んだ帰りにラーメンを食べたくなるのはスープがトリガラとかとんこつでつくられていて、イノシン酸の含有率が高いからのことで、生理的欲求としてはしごく自然なことらしい。ただ齢半世紀を刻まんとする身では、深夜のラーメンはよりひどい副作用で消化不良やら、一旦増えたら中々減らない体重増など引き起こすのでめったに食べない。帰阪したおりに「天下一品」に参上する程度である。

暮夜中華そばに親しまぬかわりに、朝になるとどうしても麺類が欲しくなってしまうのである。起き抜けからとんこつラーメンを食べる過激性も、無いことはないけどまあ概ねはうどん・そばの類が朝餉を飾ることになる。

先週末に中華風の鍋物を企てて、シメに食おうと日清食品の鍋物用生中華麺を購入していた。ところが鍋をさらえた頃にはすっかり満腹しており、シメが登場するゆとりが無くそのまま冷蔵庫に残存していたのである。賞味期限は迫ってくるしどうしたもんかと思っていた。

しかるに昨夜、かねてからの予定通り同僚と桜木町に進軍することとなり、まあ午前1時ころにご機嫌で帰宅したわけで。気持ちいい夜だったので、二日酔いではなかったもののやはり麺類が欲しい体調ではあったのである。

起き抜けに思へらく。生中華麺にはスープが添付されていない。所蔵のインス…

飲酒拠出金 IRAの場合

汽車に乗って
あいるらんどのような田舎へ行こう
ひとびとが祭りの日傘をくるくる回し
日が照りながら雨の降る
あいるらんどのような田舎へ行こう
車窓に映った自分の顔を道連れにして
湖水をわたり隧道をくぐり
珍しい少女や牛の歩いている
あいるらんどのような田舎へ行こう

明治32年生まれの詩人丸山薫の「汽車に乗って」。
私はこれを原典で読んだ事はない。例によっての孫引きである。出典たる小田実の「何でも見てやろう」(ズーズー弁英語の国)で目にしたのは中学生のころだった。はあ日が照りながら雨の降るような田舎ってどんなところだろうかといぶかしんだものである。なんだか楽観主義者の集団みたいな国なんだろうなと、安保闘争や東大安田講堂占拠事件などでけっこう「闘争」が行なわれている極東の小国で、ガキの癖してあこがれたもんである。

長じてみるに、近代のアイルランドはいまや世界中どこでも他に紛争のネタはないんかいなと思われる宗教紛争と英国人にしてはまったく下手な植民政策がおこした不条理のもとに、たぶん先祖を同じくする2国民が無用と思えるほどの流血をもたらした悲劇の土地であったことを知った。

でも、こののびやかな韻文は心を捉えて離さず、人みな持つであろう平和への希求のごとく私にとって安穏を暗示する文言でありつづけてきた。そんな憧れの国へ行ったのはざっと15年ほども前のことである。「道」をテーマに世界各国で写真を撮り続けてきたカメラマンから、夏休みにロンドンへ遊びに行くんやったら一歩足を伸ばしてアイルランドへ来ぃへんか、と誘われたのだ。レフ板を持つ助手を雇う金もないし、道案内とドライバーはやったるさかい何月何日にゴールウェイの民宿まで来いや、などという破茶滅茶なことを平気で言うのである。

まあ人間なんとかなるもんで、気がついたら民宿(いわゆるB&Bと言うヤツですね)の暖炉の前で8月とは思えぬ寒気の中、司馬遼太郎に行方不明の双生児の片割れがいたらこのひとしか有り得ないとおぼしきカメラマン、北尾順三とアイリッシュウィスキーを飲んでいたのでした。

それからざっと一週間、「アランの男」でというかジョン・フォード監督の出身地としてあまりに知られたアラン島はじめイニシュモア諸島で、自然を守るために馬車しか走っていないようなカソリックの島で、日がな一日中雨を降らせようとする空と格闘していた。なにしろ先生は…

Women in black.

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再び富山ブラックラーメン「大喜」ネタで申し訳ない。この濃縮醤油系激震塩分ラーメンは妙な回帰性を発するものらしく、どうにも二週間に一度くらいは軒先を潜ってしまうのである。



最近は大喜に行っても周囲を観察するゆとりが出来てきた。県民および県外からの来訪者でも、既経験者は振舞が落ち着いているから何となくわかる。「小!」「大!」「玉子入り、最初から」などと符丁を巧みに使い分ける。吉野家で「並!」「特盛つゆだく!」「並赤身!」などと特殊用語でオーダーがなされるのと似ている。

大喜初級者の私も見習って、少しでも練達の地元常連に近く見られたくて「小・玉子最初から・ご飯もお願い」と発注している。「小」は普通の店で「並」と言われるもので、ごらんの写真のごとくである。太めの固麺が一玉入れられている。刻まれたチャーシューがどっさりと、何を思いけん塩抜きをするばかりかあえて塩辛く煮込んだシナチクが入っている。

まあその衝撃的なしょっぱさは前稿Men in blackをごらんください。ニーチェの超人思想もさながら、善悪の彼岸をきっぱりと峻別する、ワグナーの序曲のごとき破壊力はなんとも暗黒からの誘惑にも似ている。白黒・敵味方・保守革新を明確にとらえる厳しさがないと越えていけない大きな壁を感じさせる日本全国唯一無二のラーメンなのである。

さて昨日も二日酔い気味のアタマをはっきりさせるべく性懲りなく大喜に行ったのだけれど、まずは最初から生卵をスープに入れてもらってこれをかき回し、すこしでも塩気を緩めてからとりかからないと、その先に前進できなくなる。最近は、そうやってマイルドにしたスープと叉焼、さらにシナチクをおかずに炊き立ての白飯をかっ込んでいき、その合間におそるおそる麺を啜っている。脳天を直撃する極端なナトリウムイオン値は簡単に慣れるもんじゃない。

それでも、達人は居るもので昨日も私よりあとにカウンターへやってきた40歳がらみのおっさんは何のためらいも無く「大」を注文し、フクザツな食べ方で塩気と格闘する私を尻目にして、よりダイナミックに、よりスピーディーに麺の量が2.5玉をスープともども何事にかあらんとばかりに、いかにも普通に平らげて行ったのである。

一方で私の一席置いて右隣に位置したどうみても50代なかば以降のおじさんは、カウンターに堂々とデイパックを載せ、リコーのGR1とおぼしきデジカメでこのラーメ…

降水確率に関する解釈

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近畿圏に居住していた時代、降水確率というものはその日に幾許でも雨滴なり雪なりが天から降下してくることの確率だと認識していた。その一日・24時間の降水確率90%ならその間にアタマから水分を浴びる確率が90%であって、たとえ5分間であれそうやって「降られる」ことがあれば天気予報は当たったことになった。

だからゴルフに行くときなど、降水確率を気にして50%以上なら雨具を用意。70%以上だとああたぶんラウンド中のどこかで雨に当たるんやろうなあ、ぐらいの覚悟をしていた。それでも18ホールをラウンドするのに、最初から最後までずっと雨なんてことは年間50回近くラウンドしても年に一回あるか、ないか。

「弁当忘れても傘忘れるな」は越中人の常識であるらしい。会社の同僚が鞄の底にいつも折りたたみ傘を忍ばせているいるのを見て、まあ降水確率30%しかないのに取り越し苦労なことやな、と思っていたのである。この12月までは。

ちなみに本日12月6日の北日本新聞朝刊に記されていた数字は40%で、私が起床した午前8時ころは薄曇りであった。やがて薄日がさして来て、昨日部屋干しにしておいた洗濯物を外で乾かしきってしまおうかと思いつつ、スパゲティプッタネスカなる朝にしては少し過激な食事を用意した。

和名を娼婦風スパゲティというこの料理は、材料さえあれば用意ドンで20分ほどで完成する。叩き潰したニンニクをオリーブオイルで暖めて、香りがたったところへアンチョビを加え、アンチョビがオイルに溶け出したら唐辛子(一味でもホットチリでも鷹の爪でも)を入れ、さらに瓶詰めの粗ごしトマトを注ぎ込んで煮詰めていく。スライスした黒オリーブにケイパーを入れて更に煮詰めて塩胡椒にオレガノかバジルを散らす。その間にスパゲティを茹で上げて、加減を見て湯を切り、ソースが煮詰まりつつあるフライパンに放り込んでよく味をなじませれば完成である。こいつは本当に簡単でラブリーな味わいである。

そうやってパスタをこしらえてテーブルに着き、サンデーモーニングのスポーツコーナーで瓢軽なる老人二人が「喝!」とか「天晴れ!」とご機嫌にすごしている模様を見ていた。機嫌良さそうにしているお年寄りを拝見することはこちらもその気分が伝わってくるようで、中々良いものである。

日差しは入ってくるし、横峯さくらの優勝シーンは幾たび見ても気持ちいいし。これはいい休日の朝…

阮籍青眼 今にあれかし

猫に五徳ありと言う。
鼠を見てこれを捕らえようとせず。これ仁なり。
鼠が出てきて我が餌を食おうとしても平気の平左。これ義なり。
飼い主の所へ客人来たりて、馳走が並ぶや挨拶に飛び出さずにおれず。これ礼なり。
好物を隠し置いても巧みに探索して喰い漏らすことなし。これ智なり。
冬来たりなば主人を置いてでも炬燵に占有権を主張せり。これ信なり。
仁・義・礼・智・信・すべらかに備えうる。これ猫の五徳なり。

しかれども、人、優れたるは七徳をすでに有す。
何をかもって二徳をあげつらわんや。
戦の強きを図る武徳なりか。世に出ずることを図らんとする頌徳なりか。

プーヤオ・プーヤオ(不要・不要)
今の世に小才もって経綸を述べようにも些事に人みな物見高く
慷慨あれども猫のごとく自ずから頭を掻き
嚢中に収まりて錐先引下げるが良からん

在ることがあとうならば、猫の如くに。

飛騨は襞なり

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富山市から国道41号線を南下していくとやがて県境を越え飛騨に至る。昨日は飛騨古川まで赴いてきたのである。神通川を遡上し神通峡に至る。第一ダム第二ダムにせき止められた湖水はすでに散り始めた紅葉黄葉を水面にうつし、これも佳き眺めに相違なくまた十二単の裾のごとく重なりあい縺れ合う山容と、はるかに望まれる上高地方向の雪を頂いた峯々は陽光を跳ね返して輝く。まずは観景・観渓にまこと相応しい昼下がり、バスは分水嶺をへて高山方面に向かっている。

まあ私の帰属するところの業界懇親会というやつで、おっさんばかりで遠足に行ったのである。ちなみにこの写真は出発前に富山市内で撮った立山で、飛騨ではありません。陳謝。


日ごろ業務に精進し、休日平日の区別無く富山県の繁栄盛名のためにかく刻苦勉励しているわけだから、たまの息抜きもあってよかろうと言う閻魔様の思し召しであって、見給え、冬場はその殆どが雲と霧と氷雨と雪に覆われる当地の天候が晴れ渡り澄み渡っているではないか。
もちろん、12月に有り得ぬ晴天、バス旅行より富山カントリーでゴルフでもやってるほうが気が利いているなんてバチあたりは申しませぬ。

とつこうつ。市内を出てざっと90分で飛騨古川へ到着する。有名な飛騨高山に何かと張り合うこの町は明治37年の大火でその殆どを消失したが、計画性のある復興のおかげで中々に見事な町割をなしている。

春の大祭では、起こし太鼓なる行列が碁盤の目のような町筋を練り歩く。1000人の提灯行列を先頭にして、大太鼓を載せた輿をはだかの男たちが担ぎ上げ、祭りの始まりを告げて得まわるのである。その後ろには小太鼓を乗せた棒を10人ほどのこれまたはだかの男が支え持ちながらざっと50組500名が先陣争いをする、勇壮なものである。


この蔵に収蔵されているのだけれど、写真技術の拙劣が内部の描写を拒否しているもようである。関心のある向きには飛騨古川の観光ページを検索されたい。




この疎水にはふだん鯉が放されておりその魚鱗がおりなす錦綾が見事であるそうだ。残念ながら、水温が下がってきて冬支度とかで鯉はみな引き上げられて養魚場に移されてしまったとのことでまことに遺憾なる事態というしかないが、止むを得ぬことはすなわち止むを得ない。

その後、「ああ野麦峠」のロケでも使われたと言う料亭旅館「八ッ三(やっさん)」で宴会となり、まあ飛騨牛はじめ名菜が並んだの…

starlight in the city

星がきれいなので、夜の松川べりを歩く。市役所の南西角を左折して佐藤工業のモスクのようなビルを視野に入れながら川沿いに逍遥する。振り返ればオリオンの三連星が寒気を貫いて幾千光年の時をまたいで我が視野に届く。見上げれば、おおぐま座・こぐま座・白鳥座。48都道府県の県庁所在地で、しかもその繁華街に隣接した遊歩道で、これだけ冬の星座を目前にできる街がほかにあるんだろうか。

本当に「星がいっぱいだ」と思ったことが生涯に、二度。ひとたびは長崎沖の男女群島に磯釣りへと赴いたとき。持ち込んだランタン以外に何の明かりも無い孤島の岩礁にいて、ライフラインとなるザイルに体を支えてもらいながら不安定な身体で見上げた星のカーペット。
ふたたびは、ブータン王国へ行ったとき。ダショオ今岡の邸を辞して宿へと帰る道すがら、鼻をつままれてもわからない、生涯初めてであった真の暗黒をペンライトの光だけを頼りに、野生動物(夜になると獰猛なヤクなどが出没するので)におびえつつ当然未舗装の林道を歩いたとき。見上た空は、ヘイウッド・フロイド博士や、デイブ・ボーマン船長が、ヤペタスの眼を超えて覗くことができた銀河の乱舞のごときものであった。

そんな思いをしながら、静かな遊歩道を歩く。酔ってあてどもなく歩行するのは富山生まれの文筆家・堀田善衛の癖であったらしいが、こんなきれいな星空だったら僕だってあるく。

柵もない川べりの道はかすかに黄色い街灯が、何とか足元が見える程度に間隔をあけてぼんやりとともっている。照明がうるさすぎ、水際の転落防止柵が景観を台無しにしていることが多い日本の街で、この美意識は素敵である。この土地に来てよかったと実感するときだ。

越中風邪

ついにと言うかやはりと言うか、富山に罷り越してまさに2ヶ月。とうとう風邪を引いてしまった。どうにも4日前くらいから腹筋背筋に痛みが激しく、空咳をすると腹筋の上部が引き攣れるが如くでこれは内臓系の疾患にやあらんかと、丁度痛点の裏には肝臓があり先週末の大阪出張では懐かしくも恋しくもあるような面々と随分と御酒が進んだなあと回顧した。
そのツケが回ったのか知らんと不安になり、蜆エキス・ウコン粒・ハイチオールなど服用するもむしろ痛点が背後かつ下部に回る気配で、腹筋痛はなくなったものの今度は腰痛。更に全身倦怠感とたまらんほどの眠気である。

まだかかりつけの医師もいないので、とりあえずネットで病状を調べるにこれは遠くて肝硬変、
近くて風邪の所期症状と判明した。風邪と言っても普通のヤツだけでなく最近洛陽を騒がす流行り病のいんふるえんざ、の潜伏症状には更に類似している。

インフル様に取り憑かれたとなると、会社の規定で強制自宅待機となる。単身にして独身の身にはこれはツライ。が、事態の悪化を想定することは何事においても重要であることは昨今しばしば繰り返される我が国の経済政策においても明らかであって逡巡は許されない。

何となく熱っぽくなってきたのが昨日の午後帯で、定時になるや会社を飛び出して帰宅。ふらつく頭で「とにかく食料と飲料を確保せんとあかん」と思い込み、スーパーへ赴いた。
・豚肩ロース 400g ・玉子 半ダース
・ニンニク ・おろしショウガ 業務用大チューブ入り
・野菜 長ねぎ ワケギ 白菜 ニラ モヤシ
・薄揚げ 4枚
・うどん 3玉
更に薬局で、薬業県富山の面目を立てて地元製薬会社製
・「ベルゲン」カプセル 神戸のイタ飯屋に同名があるので薬っぽくないが。
・ポカリスエットほかニアウォーター6本
かなりの買物である。しかしながら、一旦新型インフルエンザと目されるとざっと5日間の禁足となる定めである。何時の世も籠城には食料備蓄が肝要と言えよう。

「対感冒症スタミナ強化特別鍋」を創作した。まあ鍋仕立ての豚汁にニンニク・ショウガとコチュジャン・キムチとその汁を投入して電気鍋でことこと煮こんで七味を振って食うだけのことながら、こいつは暖まりました。随一の欠点は家中がキムチの酸っぱい匂いで充満すること。そうそう感染症にかかっている可能性もあるからもちろん禁酒ね。

で、おとなしく床に就いた…

5日ぶりに帰富せり

連休と出張を絡めて、五日間も関西に行ってしまった。出発前から川上未映子の「そら頭はでかいです世界がすこんとはいります」なんか読んでいてこっちのアタマが完全に関西弁思考回路になっていたから、ええわええわそらええわとばかり毎日酒を呑んですごしていた。

やはり粉もんは大阪で、豚ぺい焼き・豚玉と間然とするところがない。焼き上がりがふうわりとしていて、ヘラの端のっけて熱々のところを口に運ぶと、ソース・紅生姜・それに澱粉がアルファ化して焦げたときに発生するメイラード臭がカツオと青海苔の芳香とともに鼻腔と口腔の二つ穴を同時に刺激する。旨い熱いでも旨いの連鎖をホップの効いた生ビールで鎮めてやる。至福である。

ここ10年ばかり生活していた天満界隈にもっぱら出没したかったのだけど、さまざまな個人事情もあって商店街の散策はあまりできなかった。しかしさすがに人口密度はすさまじくて、ひとの肩をよけながら歩かないといけない。46インチのドライバーを振り回しながら歩いても、おそらく誰の肩にもヒットしないであろう富山市内の某商店街とは、ビリケンさんのおつむと多聞天の怒髪くらいに密度が異なるのである。

あの商店街には、24時間営業で徹底した安売りをモットーとする「スーパー玉出」も出店しておりちょいと富山では入手できない大阪B級食品が棚を埋めている。まあそこで「ヒガシマルめんスープ(これは本当に便利。販路拡大をのぞむ)」などを購入したわけですね。

また、界隈は卸売り市場があるせいか異様に猫が出没するエリアで、猫好きの私としてはいつも道の隅・陰・軒下などに視線を走らせて、あの柔らかな小動物がヒトと共生できていることを歓びとしていた。

冬の厳しさゆえか、富山に来て街猫を見かけないことは街の責任ではないけれど寂しいかぎりであって、仕方がないから猫濃度が高いうサイトなどを拝見しては猫願望を満たしているのである。
http://syggnya.blog26.fc2.com/blog-entry-35.html
しかし石垣島は本当に猫天国のようで、冬季賞与もままならぬ現状では遠出も厳しき状況なればこそ、まことに心から景気の回復を願うところである。

人間後ろばかり振り返っていてはしかたがないし、猫はいないが富山には大いなる自然がある。昨日、大先輩が経営する居酒屋「ちゃらんぽらん」におじゃまして、この時期になぜか芽…

周回遅れ

たった今現在のネット社会において、我がのブログにデジカメから圧縮した写真が載せられて喜んでいるのは多分はおそらく世間のブログ状況からは軽く10年くらいは遅れているだろうな。何しろインストールしたフリーの圧縮ソフトの作成年月が2001年やったもんなあ。

しかし画像処理ソフトと言うのは便利なもんで、圧縮編集自由自在ですね。
こんなインストールフリーのソフトが出回る以前、20世紀のころは皆さん自分でプログラミングされていたんでしょうねえ。

先人たちは相当に苦労してひと昔からデジカメ画像をホームページにに掲出していたんであって、なにしろコンピューターについてはコボルとかベーシックとかの機械語で操っていた年代だから、今頃の操作容易なパソコンなんかお茶の子なんであるようですね。

会社社会においても、業務システムの基本を作ったのは、すでに定年を過ぎた方々なんでおおもとからソフトを組み替えようとすると、すでに引退されている、孫の面倒を嬉々としてみているような、好々爺と思しき年代に指導を仰がないといけないこともしばしばあるそうな。
その後背の光はなんです!

と仰ぎ見てしまいそうな風景ですね。
まあ私はこの世界では周回遅れでレースに参戦したようなもので、これからも牛歩の歩みながら、せっせと更新・改良に努めて行きたいと思っています。

over the rainbow

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冬を迎えんとする富山に、明確な晴空が存在し難いことは、居住一ヵ月半を経てようやく超越論的に理解できるようになった。経験値を積むことで知見のアーマークラスがアップグレードされて、経験的事象であるにもかかわらずそれは既視的体験かのごとく帰納され、あたかもトランツェンデンタルな、先験的事象としてカテゴライズされてしまったのである。

北陸自動車道を富山インターから米原まで。更に名神高速道路、京滋バイパス、さらに名神高速道路、近畿自動車道、一般国道、阪神高速道路と乗り継いで大阪へ帰ってきたのである。クルマと縁の無い富山県人として人格が疑われている免許非所得者の私だが、一昨日から友人が泊りがけで北陸の一鄙都に慰問をかねて遊びに来てくれていたので、帰途便乗させて頂いて故郷へ堂々と凱旋したわけですね。

きのうは、三人でゴルフをして遊んだ。奇跡的に夜半までは雨が降らず曇天と霧のなか、どうして止まっているボールを打つのにこんなに苦労するんだろうと、いつもと同じ疑問を繰り返しながら18ホールを歩きとおして完走することができた。プレイ終了後は寿司屋で懇親を深め、さらに桜木町のスナックで友情を再確認しあったけど、それはまあいいや。問題は、何とか雨が降らずにゴルフ場・寿司屋と持っていた空が、やはり21時を待たずにご開帳となり、猛然として雨陣を敷いてきたことであります。どうして24時間じっとしてられないかねえ。

で、本日のドライブに戻りますが、富山名産の海産物を購入したいと言われる皆さんを大和百貨店地下食料品売り場にご案内し、お買い物をお手伝いしました。ちょうど時分時にもなったのでお昼はラーメンにしましょうということにして、ゲスト2名をあそこにご案内したわけですね。そう、隔絶的塩分を誇る富山ブラックラーメン「大喜」のしかも西町本店へ。

さすがに本店は、塩辛麺類道を極めんとする求道者で満杯で、なかには「大盛」「特大」を頼んでいる修験者もいて驚愕してしまった。あの側頭部直撃血圧50ミリ上昇確約の、たぶん醤油を飲むより塩分濃度がきつそうなラーメンを、普通盛りの2.5倍である「大盛」とかさらにひと玉の麺が投入されている「特大」を頼んでしかも平気で平らげるのはいかなる体内イオンバランスの持ち主かと怖れ憚りながら尊顔を盗み見たのだけれど、結構普通のおじさんと兄ちゃんだったので、よけい空恐ろしかったりして。

絶景かな

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今朝は久しぶりに雨が降っていなかった。幾日ぶりだろうか。雲がどんよりと天空を覆っているものの水滴が落ちてこないだけで上々である。天辺を真っ白に輝かせている立山連峰はまさに絶景であって、富山市民となったことを心から喜ぶことのできる瞬間といえよう。
まだデジカメとPCをつなげてないので、というかこの50前の男は画像の圧縮ソフトをオンラインでインストールする能力がないために、今朝撮影した見事な風景をここに披露できないことは本人にとってもかなり情けないことである。

後記) 何とか成功した模様だが、画像自体がショボイよね。もっときちんと撮らんかい。

ところでやはり幸せは長く続かないのが大人の常識というもので、見給え、激辛の坦坦麺で昼食をとり終えたあたりから連峰の上空をたゆたっていた雲は、その高度をじわりと下げてきて今や山ろくの中腹部に位置し、地上に向けて霧雨の無条件絨毯爆撃を開始したではないか。

西高東低の冬型気圧配置におよそ半世紀の間にわたり、慣らされきっていた太平洋ベルト地域出身の人間として、低い雲がまるで「インデペンデンス・デイ」の宇宙船を覆っていた雲のごとく地を圧して垂れ込める日常はいささか受け入れがたいものがある。冬といえばカーンと音がするほどに澄み切った青空が広がっている、ちゅう日常やからね。
もちろん赴任前に「冬」の悪天候・湿気・暗さなど聞かされておりましたけど。でもそれは「冬」の話であって、少なくとも11月中旬つうのは、あんたそれは「秋」やがな、と言いたいのである。何も悪いことをしていないのに、いきなり執行猶予処分を取り消されて実刑を宣告・留置された気がいたしますね。仮処分なしでいきなり強制執行といいますか。

不倶戴天の敵じゃなかったのか

一週間前の北日本新聞コラム「天地人」に椎名誠の小説「モヤシ」が紹介されていた。北日本新聞と言えば富山県の県紙であって県内シェア67%を誇っている。当地を代表する言論機関である。この新聞がその表紙にあの椎名誠を引用しているのである。

幾年前か忘れたが、週刊文春連載のエッセイ「新宿赤マント」で、何しろラーメン熱愛家で知られる椎名誠が、何かの折で訪ねた富山で食べたラーメンを「コノヤロ的にまずい」と書いて物議をかもしたことがあった。ラーメンおたくだけでなく、県民あげてのけっこうな騒ぎになったと記憶している。多分それ以来この麺類異常愛好家の作家にとって富山県は鬼門になっていた筈である。また県内においては「コノヤロ的にまずい」と言わせしめたラーメン屋はどこであるか、かなり積極的に捜査活動も行なわれたようだ。

私は富山ラーメンを卑下するものではない。金属バットで側頭部を殴られたかのごときショックをあたえる、まあ凄まじい塩分を誇る大喜のブラックラーメンも完食する勇気はまだ無いけれど決してまずいものとは思わない。あれはあれで、白飯を頬張りながらぐいぐいと食っていくと生きものとしての人間の野性を呼び起こす結構な食べ物である。たまには食べたくなる回帰性を持つ、いい過激性があって普遍には縁遠いがすぐれた特殊であるとおもう。

まあ自分の解釈はどうでもよろしい。

県を代表する言論機関が、幾年もの冷戦をすてて会社を代表するコラムで不倶戴天の敵を評価して、かなり好意的にその著作を紹介したのである。東西冷戦の終結というかボーダーレス社会の到来というか、ベルリンの壁はここに倒壊したのである。「さらば国分寺書店のオババ」以来、27年にわたる椎名誠ファンのひとりとしてこの融和を歓迎する。
ところで「モヤシ」は、尿酸値上昇に痛風を予感して食生活改善をはかる初老の作家の物語でいわゆる私小説であるから事実に近いものだろう。尿酸値に異常は無いが、この作家の食生活には興味があったので、さっそくアマゾンにコンタクトして入手してみたのである。

で、本を読んでから食べようとして一昨日に「アルプス名水モヤシ」も入手していたのではあるけれど、一昨日の日曜日は豚シャブを作っても八尾白菜を食べるので精一杯でモヤシまでアクセスできず、月曜日はモヤシと一緒に豚バラを炒めようと駅前のスーパーまで赴いたものの、実は定休日であったらしく…

氷雨。これは鰤おこしか。

断続的にほとんど一日中雨が降っている。時おり突風とともに叩きつけてくるような雨である。昨日も雨で、それを押してゴルフを強行した。でもまあ、今日みたいに強風吹き荒れるわけでなく、気温が10度を割り込みそうなほど冷えるわけでもなく、単に重装備がうっとうしいだけだった。
週末の片方をゴルフ何ぞで優雅に使ってしまうと、残された一日に一週間分の家事が集中する。独身暮らしにも慣れたものなので、別に苦痛ではないけれど、掃除・洗濯・買い物・クリーニングの出し入れ・ゴミの整理などで細々と追われるうえに、三度の食事を支度しなければならない。
富山市の中心部はどうしてもオフィス街ということで、飲食店の多くが日曜休日となっている。開いていても、一人で気楽に行ける雰囲気の店は殆どない。せめてラーメン屋か「王将」「まいどおおきに食堂」くらいでもあれば、スポーツ新聞片手に気楽な食事でもできるのだけれど。
仕方がないので心得のある人間は、日曜日には台所に三回立つことになる。もちろん、コンビニはそこらに偏在するから、コンビニの弁当で一食をまかなえるタフな人間は別である。人生有限の食事だから、ナットクできないものは極力摂取したくないのである。とりわけ50年近くも生きてくると、あと15年くらいしか命数がないと考えて、せめて食欲が多少なりとも存在するうちには、さらに成人病などで食事制限がされて好きなものも食べられなくなってしまうまでは。
などと自分に言い訳しながら、朝は根深汁(要するに白葱だけの味噌汁)に出し巻き。昼はいつも作るパスタ。スパゲティ・プッタネスカ。夜はとにかく冷え込んできたので鍋。風の盆で有名な八尾でとれる、白菜と「しろな」のミックスみたいな菜っ葉が、中々に繊細な味でしかも火のとおりが早くて便利なのでそいつとモヤシをメインに富山の地物椎茸をあしらって、黒部純水ポークのシャブシャブを試みることにした。
今日の氷雨は雷も伴うと予報されていて、そうなるとこれが冬の到来を告げる「鰤おこし」なのかもしれない。一雨ごとに雨が雪に近づき、日本海を回遊する鰤が富山湾内にやってくる。氷見あたりで10キロ以上の鰤が珍しくなくなると、いよいよ厳しい季節の到来である。
背身のおおぶりな切り身が並ぶようになったら、流しの下に放置してしまっている出刃包丁を取り出し磨いて、「鰤しゃぶ」でもこさえてみますか。豆乳仕立てに…

うどん慕情

駆け足の大阪出張へ行ってきた。きのうの午後に富山を出て夜に大阪入りして久しぶりに北新地などを徘徊し深更までお酒を飲んだり唄を歌ったりした。夜で歩いている人間の多さに新地はヒマやと店の人間が言うていたけど、どこがヒマやねんと思った。当地富山の繁華街桜木町にライブカメラでも置いて見比べたら、ジャングルとサバンナくらいに違うんだけどな。
ああ体に悪いなあとおもいつつ、ホテルへの帰路、若い衆と「天下一品」へ。この超弩級こってりラーメンはもともと京都ではじまり、京大同志社立命館などの腹ペコ学生の空腹を満たしてきた。約四半世紀前に同志社の貧乏学生であった私も、今出川店・銀閣寺店・北白川本店などで、箸が立ちそうな濃厚スープに入れ放題の九条葱を野菜補給と称しててんこもりに投入し、学生にはサービスでついてくる丼飯に沢庵をつけて、ぺろりと平らげていたものである。まったくの蛇足ながら(このブログ自体がそうなんだけど)京都ならびに京都人の学生に対する甘やかしかたは、全国でも稀に見るものであるらしく東京の某最高学府出身の先輩に「だから京大同志社出身は酒の飲み方に加減や常識がないんだよ。町全体が放任するからだ」と言われてしまっている。
社会人になるころから、天下一品は京都を出て全国チェーンへと羽ばたいた。今は首都圏初め主要地方都市までかなりのカバレッジを誇っているはずである。ところがなぜか富山県には出店がない。国道41号線沿いにいっとき出ていたらしいが、ブラックラーメンなどという全国にもまれな狂暴かつ過激なラーメンを創出した県民も、あの破壊的スープは受容できなかったらしく、ほどなく撤退したらしい。何につけ京都由来のものだと尊重してくれる金沢にはまだ存続しているというのに。
食べられないとなると無性にほしくなるのが人間の性で、大阪にいたころはせいぜい3ヵ月に一回くらいしか赴かなかった天下一品が無性に懐かしく、ここのところ大阪出張のたびに恭しく訪問しているのである。いじらしい話ではないか。
大体あのスープは、鶏ガラを溶解するまで煮出してコラーゲンを絞りきり、野菜の煮出し汁とあわせたところへラードをぶち込んだ、栄養豊富ながらカロリーと油脂分も豊富なものなので、40歳をこえたあたりから、どうにも喫食した数時間後に大腸に異常をきたす、鬼門のスープであったのに。たぶん引越し以降、洋食中華揚げ物とあまり縁…

隣県複雑~幕藩体制の尻尾

越中富山から加賀百万石の城下金沢までざっと100キロ。北陸自動車道をちょいと気合を入れてすっとばすと、市内からおよそ1時間到着する。今日も勤め先の金沢営業所へとおもむく用事があり、出かけてきたのである。
富山県は戦国末期以来、強いて言えば加賀百万石の支藩であって、強引に定義すれば、加賀の大殿様と地元の小殿様に二重課税される、弱小な政治単位だったこともあり、米本位制の経済社会においては肥沃な米作地帯でありながら、領民はコメの飯にありつけない苛政極まる状態であったらしい。
禍福はあざなえる縄の如しで、そのために富山県人は現金収入の重要性に早くから気がつき、製薬および行商とその資金をまかなうための金融業、更に明治に入っては豊富な水力を使っての発電業をおこした。北陸銀行も北陸電力もそういうわけで本社を富山に置く。
まあ金沢の風流人たちが片町や犀川べりで歌舞音曲にうつつを抜かしているうちに、殖産興業にはげみ、水と電力を背景に金属精錬業、アルミ産業、化学工業を立ち上げていったのでありますね。優雅より率直。文化より経済。習い事より偏差値。人材育成に熱心な富山県人は全国有数(多分五指に入る)教育県へとも仕立てていった。
いつかは旧領主の、石川県を見返してやろうと燃えていたのですね。
隣接する文化教養の都と殖産商工業の街。関係性は京都と大阪に似てなくもないのですが、その話は面白すぎるアナロジーなので別の機会を待つこととして、その関係性にかつての搾取と被搾取がからむから、感情がややこしくなるのです。石川県人からするとそんなことは一世紀以上も昔の話で、話題だけでも迷惑千万。しかし富山県民にとっては・・なんだか国際関係にも似たようなことがあるような気がしますがどうしても思い出せないので省略。
金沢に残されているさまざまな文化遺産は考えようによっては歴史的な植民地支配というか搾取構造によって蓄積された資産であって、単純に美術品・骨董品・歴史的町並みとして鑑賞する気分にならないのではないか。エジプト人が大英博物館へ行ってロゼッタストーンを見るような感情があるのではないか、などと邪推もしてみるのである。
なにしろ、金沢の飲み屋で富山人ということが露見すると、どうも居心地が悪くなると聞くしさらに、その富山人が店を出るや店内で越中にたいする罵詈雑言がはじまるらしい。
いちどカンサイ人としてひとり片…

立山は富山で

かつてワインに凝っていた頃、「ブルゴーニュはブルゴーニュで、ボルドーはボルドーで飲め」
なんていうウンチクに出会ったことがあった。酒を生み出すのは、土壌と空気と水に、それらで育った作物だから、故郷で飲むのが一番だと書いてあった。富山に引っ越してきてびっくりしているのは、清酒「立山」のウマさである。富山県を代表する銘酒だもの、関西在住中も幾度か食膳に上らせたことはあった。確かにのど越しのいい酒で、なかなか、と思いはしたけれどまあわざわざ取り寄せてまで、しかも常用にするほどのことはないやん、とたまの頂き物や出張の土産(なぜか富山へは幾度となく出張してきていたのだった。宿縁か)で入手したときだけ楽しんでいたのだが。
越中に参ってから、そうやはり1月が過ぎた頃からだろうか、和食をいただくときはどうしても立山が旨くて仕方なくなってきた。とにかく、身の回りに漂う空気感と矛盾しないのである。無理なくスイスイといけてしまう。多分体内の水分が一ヶ月の時を経て完全に淀川水系の水から、立山山麓からの伏流水に入替わり(富山市水道局の水がそうである)体内のイオン化濃度が富山の水に合一したうえに、そのイオン値が私の身体と喧嘩せずに受容されたからに相違ない。
何しろ人間の体重の60%は水なのだから、それが入替わるということは大したことなのだ。
転地したときに「水が合う・合わない」と言いますが、つまり、かかる出来事なんだと手を打って実感したしだいである。とりわけ先日とある寿司店で、小ぶりの寿司をつまみつつヒヤの立山を次々になぎ倒したときにそれは確信にすらなってしまった。なにしろ、地物の魚・米・水・空気と取り合わせて摂取しているうえ、体内の受け入れ態勢まで整ってしまっているのだから。

早仕舞いの町

自己中心的で相すまんことだけれども。
拙宅を核心とした半径約1キロのエリアは、夜型生活者にとってなかなか厳しいところでもある。桜木町・新富町の飲み屋街は店によって明け方まで開いているし、コンビニはいくら富山県だって、24時間営業をしている。
けれどもスーパーが恐ろしく早仕舞いなのである。最も近いアルビス(富山地鉄系食品スーパー)にしても、まあまあの品揃えがあるピアゴ(旧ユニー)にしても午後8時には閉店してしまうのである。
たとえば会社帰りに、今日は備蓄食料も少ないし、栄養のバランスも考えんといかんし、ひとつちゃんこ鍋でも作ろうかいなと思い立っても、退社時間が7時を回ってしまうと、ちょっと家に帰って自転車にまたがってお買い物にいこうなんぞとは考え難くなってしまう。
といって会社帰りや外回りの途中にスーツ姿で長ネギや白菜を求めて、エコバッグから葱の青いところ突き出しつつオフィスに持ち帰ることなんてお体裁屋の私にできるわけがない。ほぼ頭頂部まで抜け上がりそれなりに脂の乗った額を光らせて、さらに目つきの相当に悪い猫背の中年男が、ブラックスーツにピンクのネクタイをして買い物袋をさげてうろつくのは、教育県富山としては街の風紀上もあまりよろしくないでしょうし。
総曲輪にある大和百貨店も地下の食品売り場がなかなかに魅力的で、精肉・パン・豆腐関連については、瞠目すべき品ぞろえがありまして、ちょいと値ははるけれど外食することを思えばなんと言うことはない。チーズとハムソーセージの専門店もあって、休日の私の遊技場と化しているのだけれど、おお神よこの百貨店は午後7時に閉店するのである。
まあ、スーパーが午後11時、店によっては24時間営業でCO2の無駄な排出に余念がない大阪の流通事情もいかがとは思わざるえないが、それにしても、7時と8時ですよ。富山市内の過疎的ドーナツ化現象を森市長は嘆いておられるけれど、それなら市内中心部をもうあと2時間ばかり活性化させるように行政指導するべきですね。大和百貨店も、平日の昼間に来ているお金持ちのシニア層以外に顧客を求めるならせめて9時までは営業したほうがいいんじゃないでしょうか。
でもまあ相手がそのスタンスを変えなければ、自分が柔軟に対応するのがオトナの生活態度というべきなのかもしれませぬ。缶詰乾燥食品の活用法をもっとマスターいたしますか。

陶淵明によせて

「飲酒」 陶淵明 青木正児訳をアレンジ

衰栄無定在 彼此更共之
小生瓜田中 寧以東陵時

寒暑有代謝 人道毎如滋
達人解其会 逝将不復疑
忽与一觴酒 日夕歓相持

人生浮き沈みに法則なんてありゃしない
彼と我のかわるがわるなんて、たがいに偶然のもんさ
まあ向かうところ敵無しなんて時分があったなんて、もう思い出せもしないよ

寒暑は交代するもの
人の道だっておんなじことだからね
おれみたいに達人ってやつはその道理を知ってるんで
そんなことがあったって、たぶん平気な面をさげていられるのさ
でも、やりきれないこともあるから今日も一杯だけ呑んでおこうってことで
夕方になるとイソイソ酒のある場所に赴いていくってことなんだね

秋菊有佳色 育露綴其英
汎此忘憂物 遠我遺世情
一觴雖独進  杯尽壷自傾

日入蠢動息 帰鳥趨林鳴
哨倣東軒下 聊復得此生

秋になって菊がいい色で咲いている
露に濡れながらその花房をつんで
この憂いを忘れさせてくれる霊薬をそう一杯の酒にその菊花を浮かべて
我が憂き世を忘れて、あるかなきかの人の情けに思いをいたして
でも今夜も卓上の杯はひとつだけ、ひとり呑んでいるだけ
だから呑めばボトルはかしいでいくばかり

日が沈んで夜も更けてあたりに動くものなんかありゃしない
ねぐらに帰る鴉は低く長くその声をのばしながら山へ向かって飛んでいったし
あけがたになって、軒先に夜明けをながめひとり唄などくちずさみ
しがらみもない独り者になってしまったな、とちょいと正気にもどったりするのさ

連用形か未然形か

方言というものは私にとって心地よくも楽しいものである。とりわけ独特のリズム感で構成される富山弁には、シンコペーションの効いた楽曲を聴くがごとき快感がある。
「まいどはや、そくさいけ?」
「こちゃ外国語じゃない日本語ながやし」
「でもそんなながゆってもねえ」
「やるしかないがいちゃね」
「免許証見せられま。こっち来られんが。何しとんが」

富山市へ住んでひと月が過ぎ、人の口からだけではなく、街角にも富山方言に基づくコピーワークが頻出していることに気付くようになった。
来られ、見られ、食べられ、といった語尾に「られ」をつけるのも富山流なのだが、そのものを
名称にしてしまうものもある。

コラーレ:黒部市国際文化センター

みらーれ:新川市ケーブルテレビ

ちなみに国道359号線沿いにある、延べ面積12万平米を誇る巨大ショッピングモールは

ファボーレ

と名づけられているが、富山弁との関係性は確認されていない。ラテン語の「好き」から由来しているらしいが、担当者に音韻学の知識があったとしか思えぬ語感に対するセンスである。休日にはここを目指してくるクルマで渋滞が発生しているほどで、そのために中央通りの商店街は壊滅シャッター通りになってしまった。多分ご当地言語では「終わらーれ」ってとこかな。

で、この「られ」なのだが、「られる」を尊敬とするか受身とするかで言うと、多分慎み深い富山県人のことだから尊敬表現なのだが、連用形か未然形かが良くわからない。富山県の国語学会でも長年の謎であったに相違ない。しかし私は居住したばかりで、まだ冷静な第3者の視点を持つ男である(これを第3の男という)。新聞紙上に、街角に乱舞するこの名詞に反応してまった。

カターレ

これはJ2のサッカーチームで公式名を「カターレ富山」と呼ぶ。たぶん、

勝たーれ

から来てるんだろうな。でもこのチーム、ホームゲームでめっぽう弱くて県民の期待を裏切り続け、動員数を漸減的に下降させているのである。希望むなしく勝利未だ然らず。そう、未だあり得ない状況を表現しているから、富山県の「られ」は間違いなく未然形なのである。

いやな予感は的中する

昨夜は富山駅前・桜町の串焼き屋で、クルマ社会の富山ではあまりない「会社帰りに仲間と軽く一献」をやっていた。カウンターの眼前に小型の液晶テレビがあって、中継終了後の日本シリーズを日本テレビG+のケーブルだかスカパーだかの映像をうつしていた。日本ハム先発の藤井は打ち気に逸る巨人打線を手玉にとって、左投手ならではのクロスファイア気味のストレートと切れ味のいいスライダーを駆使してクレバーな投球を続けていた。巨人ファンと思しき店主は藤井がスコアボードにゼロを重ねるたびに無念の呟きをもらし、アンチ巨人の私といたしてましては、落ち込む巨人ファンを見るほど楽しいことはないので、同僚との仕事の話はちょいと受け流しつつ画面に集中していたのである。

藤井投手は一昨年までヤクルトスワローズにいて、プロ野球のピッチャーとしては小柄な公称175センチの身長ながら、意外なスタミナを持ち、コンスタントにローテーションで勝ち星を挙げるタイプではないけれど、年に数回、大仕事をやってのける「意外性の男」であったと記憶している。
小気味いいピッチングはイニングが更新されるほどに老獪の域を深めていく傾向にあり、ああ幾度わが阪神タイガースが手玉にとられたことか。彼のパ・リーグ移籍こそは古田元監督の功績であり、この人は自分より賢い選手に「あんた実はアホなんとちゃうか」みたいな視線で見られることを怖れてあえてこの頭脳的技巧派の、ヤクルトの伝統としてはすぐれて安田猛の衣鉢を継ぐミラクルサウスポーを放出したのではないかと邪推しつつも私は大いに喜んだことだった。ちなみに安田も藤井も早稲田出身である。

いやな予感が全身を走ったのは8回の表、90球を越した藤井に代打が送られたときである。梨田狂せりと思った。同時に原辰徳はこの瞬間に勝負の流れがこの日初めて巨人軍に来たことを感じて歓喜したことだろう。梨田は、ピッチングコーチと藤井の交代を相談する姿を祈るような目つきで覗き込んでいる原辰徳の視線を感じるべきだったとおもう。どうせ今年ふたたび藤井がマウンドに登ることはありえないのだから、ここは「たのむ、腕が折れても投げきってくれ」といくべきだったのではないかなあ。

9回の打順は、亀井・谷・阿部でこれは今年の阪神タイガースクリーンアップトリオを凌ぐ破壊力を持つ。まちがってもこの連中が打ち気満々気合充分のところへ、半端なストレートを…

麺inブラック

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ラーメンである。
富山には他府県にない驚愕のラーメンがあって、人はそれを富山ブラックと呼ぶ。
スープはイカスミでも溶かし込んだがごとき漆黒の闇。太くて硬くて生茹でかとおぼしき丸麺。普通は薄くスライスするはずのチャーシューは、まったく不規則に乱切りにされ、ブロック状になって麺の上にころがっている。発注単位がまた変わっていて、小(並)→大となる。

ここで断っておかねばならないが、富山における麺の重量は少なくとも大阪とは異なる。
スーパーで購入するうどん玉の重量が、関西では概ね150グラムなのだが、こはいかに、こちらではなんと200グラムが標準となっている。
関西感覚でうどんにおにぎり・かやくご飯・いなり寿司などを追加しようものなら、普段と違う満腹感覚を経験することになります。
そういえば市役所の北側に滋賀県の名店とおなじ呼称で「鶴喜」なる蕎麦屋があって、先日
うかがったのだが、天ぷら蕎麦を注文した私に、
「あの、今年は蕎麦をしないんです」と店員が平然として言ったことだった。
店内の掲示板にいわく
「今年も気に入った蕎麦粉が入手できなかったので蕎麦の営業は見送らせて頂きます」
で、うどんにするのかUターンして帰るのかどっちよ、と問いかけんとする店員に、
まあ、ハラもへっていたからうどんでも結構ですといって天ぷらうどんを発注したのだけれども、それはそれは、半透明上にしてしかも非連続的にびらびらとした、イタリアで言えば手打ちのリングイネの如き格別の手打ち麺を頂いたのでした。
たっぷりの昆布に、うるめ節などが効いていると多分おぼしき、けっこう透き通った出汁も味わいたっぷりで、なんともコシがあってそう、かつて中国山西省で食べたことのある刀削麺とか撥魚児のごとき4000年の歴史を誇る伝統のの麺の歯ごたえととも言える様な、正に端倪せざるべからざるいい経験であったわけですけど。量の問題を隣に置けるのならば。
やかん一個が入りそうな格別のサイズの丼には、まあ、2玉分以上のうどんがからまりあっておりまして、中には愛を誓い合った麺条が合体したまま茹で上がって団子になってしかも中はまだ固形状で生茹で状態なんていうほほえましき風情もあったのですが、とても私ごときが完食できる相手ではなく、志半ばにして憤死してしまいました。
ええと、断り書きが長くなるのは性分だから仕方がないので、ご勘弁を。

で…

有限実行

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富山市松川べりの自宅から、富山地方鉄道富山駅まで徒歩10分。ちょっとJRの駅に寄り道して、
構内の「立山そば」で立ち食いのかき揚げそば390円。ごぼうとにんじんのかき揚げが香ばしい。
2階の書店で新田次郎「剣岳」を購入し、地方鉄道のホームへ向かう。普通電車なら立山まで一時間と少し。ケーブルで美女平まで7分。その辺の標高が970メートルだから、ダウンジャケットにブーツの軽装ではそこまでだな。美女平から高原バスに乗れば標高1600メートルの室堂へも行けるけれど、氷点下5度の表示にたじろいで本日は見送り。おまけに視野が500メートルしかないみたいだし。


立山駅で




                           美女平で

11月3日の文化の日にまさか、雪の立山をこの目で見ることになるとは思いませんでした。
ただただ圧倒され、しかも17時前、市内に戻っても、ちょうど夕日を浴びた巨大な山塊がうっすらと
ピンク色に染まり、なんとも色気のある風景に。わたしは思わず見晴らしのいい歩道で固まってしまい、ぼーっとしてこの生涯初体験に眺める眼前のパノラマを眼底と大脳皮質に固着させること。につとめていました。でも通り行く富山市民はだれも山に目線を向けないんだなあ。
そうしょっちゅうにお目にかかれる光景でもなさそうだけど。
とにかく、きちんとしたデジカメを購入しないといかんなあと実感。

今夜はどこで「立山」を摂取しようかな・・

朝の決意

立山が望見できる朝はとても気分がいい。3000メートル級の山々に囲まれた県庁所在地なんぞそうめったにあるもんじゃない。ただ、晴れた日にすべて立山が拝めるわけでもない。市外の東南に位置しているため、天気がよすぎると逆光になるし、暖かいとえてして山麓から靄が立ち上っていて、なんとなく輪郭だけがぼやっとうつっているみたいになる。
原住民によると、気温が低くて空気が澄んでいるときが最も全貌を現わしやすいそうな。おまけに湿度の関係か、天気が下降するするときになぜかより美しさが際立つとか。
けさは7時半ごろに起きたのだけれど、双眼鏡を片手にベランダに出て、昨夜の大荒れの天気から、まあ晴れ間のある曇り空になったことをよろこびつつ、山のほうを見てみれば。
天辺から裾野まで、白いじゃないの。
あわてて双眼鏡を構えて、ビルの谷間越しに山容をかくにんすれば、山麓が積雪でまぶしく反射しているさまがはっきりと見えるじゃないですか。
先日えらい目にあった大山カメリアカントリークラブの方向から、神通峡にかけての一帯は雪渓のようにも見受けられる。ここから10キロばかり南方なんだがな。まあゴルフ場は富山カントリー・
大山カメリアの両コースともスキー場みたいになってるんだろうな。
昨日の天気予報では、山間部で15センチ平野部で3センチの積雪と言われていたけれど、八尾(おわら風の盆で有名な)、上市(雪ちゃんのたよりは麹味噌~の日本海味噌本社所在地)あたりはそれくらいは積もったんだろうな。
ということで今日の午後は富山地方鉄道に乗って、上市から立山駅くらいまで行ってみようと決意した。もとより山を登る覚悟などないので、駅舎周辺をぶらつく程度だけど。
寒い日に(外は4度くらいかな)ひきこもる癖をつけちゃうと、これからの長い冬に耐えられなさそうな気がして。

寒い日だってへっちゃらさ

今夜の富山は相当に冷え込みそうであります。夕方の気温が5度。突風のほどは先日の台風を思い起こさせるほどの勢いである。こんな日は風邪の予防によく、ダイエットによく、脳みその強化にもすぐれたしかも財布にやさしい「葱鍋」でも作るか・・

葱鍋

ネギマ鍋ではない。随分、まだ森須次郎さんが生きておられて編集長を務めておられたころに「四季の味」で掲出されていた「名店のまかない」に出ていた料理である。材料は白葱と薄揚げだけ。

白葱
縦に一本、切れ目を入れてから斜めに削ぎ切りにする。これを料理用語では「笹打ちにする」というらしい。普通に削ぎ切りにするより熱のとおりが早くなる気がする。一人前で太目の白葱をまあ2本はご用意いただこう。青いところもしゃりしゃりしておいしいが、切り方にコツがいります。

薄揚げ
なるべくしっかりしたもの。京揚げなどあればベスト。幅5ミリくらいに切りそろえる。あの、関西でいうところの刻みうどんの具くらい。これはひとり1枚半から2枚くらい。

出し汁
これが肝要である。昆布を「嘘!」と思うくらい使って、さらに混合削り節(カツオだけでとるよりも根性のすわった味が出る)もこれまた「やめて!」と言うほど使って出汁をとってください。材料が葱と揚げだけなんだもの。これくらい贅沢してもバチはあたらない。
味加減は寄せ鍋のつゆくらいの感じで。ヒガシマルの薄口醤油、酒とみりんでなるべく薄味に仕立てるのがポイントです。

食べ方
鍋に出汁をそそぎ、煮立ったところで葱と薄揚げを投入し、煮えた端から食べるだけ。ちょいと七味を振るのもいいですね。煮詰まってきたら酒や湯でのばしたり出汁を足したりご自由に。

鍋の後
濃い口醤油を適宜たらして、みりんをちょいと足して、ゆでたうどんを加えればこれはもうたまりませんぜ。自分ではやったことないけど、卵でとじるのもいいでしょう。

出しの引き方と葱の包丁かげんさえ間違わなければ、冬の夜にいいもんですよ。
私はこの鍋の場合、スターターに富山名物昆布巻き蒲鉾を板ワサにしてビールを楽しみ、鍋をアテ
にしてやはり地元の銘酒「立山」を常温でいただきます。うどんにするのは概ね翌朝で、青葱をたっぷり刻み込んで、蒲鉾浮かべて楽しんでおります。

クルマ社会のはみだしっ子 ①

富山市は徹底したクルマ社会である。職場の某君宅などゴミ出しさえもご令室がクルマで出動すると言う。だいたい200メートル以上は歩こうともしない市民が多く、人口42万でそこそこの都市のはずなのに道行く人影がまばらである。市内中心部は次々と商店が店を閉じ、かつての繁華街であった総曲輪(そうがわ)あたりの商店街すらシャッターで閉じられた店が目立つ。
一方で街道筋にはいわゆるロードサイド店がならんでいて壮観である。巨大ショッピングセンターもあって駐車場町の車で休日は渋滞をおこしている。市内最大のショッピングモール、ファボーレまでは市内中心部から10キロ近く離れている。市民はクルマを持っていることが前提なので、富山駅からの富山地方鉄道バスは、そんな巨大モールまで1時間に1本のバスしか走らせていない。
営業車でファボーレの前を走ると、バス停で呆然とたたずむ老人を見かけることがある。
さて富山は立山から流れてくる地下水がおっそろしく豊富で、水よし米よしおまけに眼前の富山湾はリ・タイ・サバ・白エビ・ヒラメと水産資源に恵まれ(富山湾は別名をケンミンの生簀という)、いわずもがな寿司がウマイのであるけれど、回転寿司が半端ないレベルで競争している。ただし、富山の街中には一軒もなく、街道筋まで5キロくらい遠征しなければならない。だからこれもクルマを連ねて出かけることになる。この回転寿司はどの店に入ってもたいしたもんである。休日など、テーブル席で昼間っから宴会している市民も多く見かけられる。そんなとき、一団の中でどうもノリが悪く
いささか仏頂面をしている人間が一人二人連座している。くじ引きか力関係ゆえに当日の運転担当になった不幸な市民である。まあ、他府県民からは想像もつかない当地回転寿司店の豊饒ぶりについてはまた改めてレポートしなければなるまい。
なにしろ街中のコンビにすら5台分以上の駐車場があることがアタリマエなんである。

で、これが問題なのだけど、僕はクルマの運転ができない。ゴルフ場のカートは、トーナメントの仕事をしていたこともあるので、まったく問題なく運転できるけれど、普通自動車免許はなんとなく機会を逸してしまい、取得していないんである。
まあ、成人後に住んだ場所が、京都市左京区・中央区、神戸市中央区、大阪市福島区・東淀川区・
北区といったラインアップだったので、まあクルマはあれば便利と…

集中工事

某電力会社の系列会社が経営する富山のCATV局では、JSPORTS1・2ともに受信できないことが判明。野球シーズンには阪神タイガースが、オフシーズンには神戸製鋼スティーラーズが生きがいのかなりの部分を占めるカンサイ人としてはウツ病を発症しかねない状況なので、多少の投資には
なるものの、スカパーの導入を決定した。それにくわえて、引越し作業の中で放置していたフレッツ光のネット回線開設工事に、風呂場の窓が閉まらないままで、風紀上の問題もさることながら、これから訪れるであろう北国の冬に毎日露天風呂では堪らないので、これもサッシの交換工事と、
本日午前だけで三件の工事が集中している。立会いをしなければならないので自宅内に拘禁状態である。

帰富(きふう)?

大阪を訪れることを「来阪」大阪へ帰ることを「帰阪」という。さすれば富山へ戻ることはたぶん「帰富」(きふう)でいいのではないか。今日のサンダーバード7号はかなりの混雑振りであって、これで富山大阪の往復も4度目になるのだけれど隣に人が座ったのは初めてだった。
カツサンドの摂取と「午後の紅茶」と居眠りのあいだはずっと日経に読み入る、油ギッシュなおっさん、
でも多分自分より若いんやろなぁ推定42歳が大阪から富山までずっと隣にいた。ふつう金沢で殆ど
が降りてしまうのに、今日は如何なる事情か殆どのビジネスマンが富山まで在席していた。おのれのことは棚に上げてしまうが、ダークスーツ姿の不機嫌そうなしかもある程度以上に太めのオッサンが集団で車両を占拠していると、その一員としてますます自分が不機嫌になってしまうから人間とはナンギなものである。
JR大阪駅の9・10番線はおおむね長距離特急専用のホームなのだが、サンダーバード停車位置にある売店においてあるのはどういうわけか、その大半が神戸は淡路屋の駅弁なのである。しかも三宮・新神戸では売れ筋のはずの「神戸牛肉弁当」と「ひっぱりだこ飯」は見当たらないのである。コンビニなら398円で買えそうな貧相な包装の「二色弁当」を520円でぬけぬけと販売したりしているのである。出店権とひきかえに品揃えにおいて地元の水了軒に遠慮しているのであろうか。
帰宅というか宿に戻れば2時前ではないか。後6時間後にはサンダーバードなるお笑いネームのJR特急に乗って富山へ帰らねばならない。やっぱり自分のベッド、敷布、枕があるところが自宅になってしまうんやね。天満リエゾンからフロム天満のエミグランドになった気分やね。

10月26日

一通の辞令がやってきて、大阪市北区から富山県富山市に引っ越してきてようやく1ヵ月が経過した。
しかしながら今日は出張と言うことで大阪の本社に来ている。富山市民として大阪市内扇町のホテルに宿泊していることの不可思議さよ。
10年近くにわたって慣れ親しんだ天神橋筋商店街に足を踏み入れれば、まちに変わりはないものの自分の心象風景は以前と異なったものになってしまった。
この世に生を受けて49年、その9割9分までを大阪・京都・神戸ならびに近郊都市で過ごしてきた男として、今回の転勤はまごうことなきカルチャーショックであり、毎日が新発見の連続である。
多分あと3年は富山市民として生活することになりそうなので、見聞・仄聞したよしなしごとを、この部ログにとどめ置き、もって越中滞在の記録にしようと思う。
来訪者は期待しないが、ご関心のある向きにはバツ2独身中年男の阿呆な独り言をごらんいただき、
越中とはそんな所かいなと感じていただければさいわいであります。