降水確率に関する解釈

近畿圏に居住していた時代、降水確率というものはその日に幾許でも雨滴なり雪なりが天から降下してくることの確率だと認識していた。その一日・24時間の降水確率90%ならその間にアタマから水分を浴びる確率が90%であって、たとえ5分間であれそうやって「降られる」ことがあれば天気予報は当たったことになった。

だからゴルフに行くときなど、降水確率を気にして50%以上なら雨具を用意。70%以上だとああたぶんラウンド中のどこかで雨に当たるんやろうなあ、ぐらいの覚悟をしていた。それでも18ホールをラウンドするのに、最初から最後までずっと雨なんてことは年間50回近くラウンドしても年に一回あるか、ないか。

「弁当忘れても傘忘れるな」は越中人の常識であるらしい。会社の同僚が鞄の底にいつも折りたたみ傘を忍ばせているいるのを見て、まあ降水確率30%しかないのに取り越し苦労なことやな、と思っていたのである。この12月までは。

ちなみに本日12月6日の北日本新聞朝刊に記されていた数字は40%で、私が起床した午前8時ころは薄曇りであった。やがて薄日がさして来て、昨日部屋干しにしておいた洗濯物を外で乾かしきってしまおうかと思いつつ、スパゲティプッタネスカなる朝にしては少し過激な食事を用意した。

和名を娼婦風スパゲティというこの料理は、材料さえあれば用意ドンで20分ほどで完成する。叩き潰したニンニクをオリーブオイルで暖めて、香りがたったところへアンチョビを加え、アンチョビがオイルに溶け出したら唐辛子(一味でもホットチリでも鷹の爪でも)を入れ、さらに瓶詰めの粗ごしトマトを注ぎ込んで煮詰めていく。スライスした黒オリーブにケイパーを入れて更に煮詰めて塩胡椒にオレガノかバジルを散らす。その間にスパゲティを茹で上げて、加減を見て湯を切り、ソースが煮詰まりつつあるフライパンに放り込んでよく味をなじませれば完成である。こいつは本当に簡単でラブリーな味わいである。

そうやってパスタをこしらえてテーブルに着き、サンデーモーニングのスポーツコーナーで瓢軽なる老人二人が「喝!」とか「天晴れ!」とご機嫌にすごしている模様を見ていた。機嫌良さそうにしているお年寄りを拝見することはこちらもその気分が伝わってくるようで、中々良いものである。

日差しは入ってくるし、横峯さくらの優勝シーンは幾たび見ても気持ちいいし。これはいい休日の朝だと思い、午前中に洗濯物の始末をつけ昼食をはさんで大和百貨店に出撃し、今夜は湯豆腐で銘酒立山をやっつけようかなどと早くも晩酌に思いを馳せていた。

ところがやね。食器を片付けたあたりから雲の高度がずり下がってまいりましてね。市役所の屋上へあがったら雲に手が届くんとちゃうかと思うくらいに。で、大気が重苦しくなったと感じた直後、びゅうという風とともに横殴りの雨がまいりました。

はあ降水確率40%というても、さすが越中はちがう。概ね50%以下の予報であればまあ通り雨くらいなのが、西高東低冬型気圧配置の国のひとにとっての認識だけど、降る以上はきちんと雨が通過した痕跡を残しておかなければ気がすまない、まるで富山県人のごとくに律儀で勤勉な雨であることよ。でもまあ昼までにはあがるでしょうと後に後悔する判断をした。

洗濯問題は、一晩部屋干しをしても薬石功無くジャージやユニクロのフリースなんぞは気味悪くしけったまんまで、こいつらは夕食前に風呂場の乾燥機で一気に面倒を見てやることにした。少しでも長く部屋で水分を飛ばしてガス代を倹約しようとするケチな了見である。

まあそれで、目の前がヒマになったから、新潮社「ヨムヨム」第13号などをひろげて読書タイムにはいったのでした。万城目学が大阪弁小説どころか、中島敦のドッペルゲンガーみたいな文体で「三国志ゴシップ篇」みたいな文章書いてるし、阿川佐和子は上品で標準語を使う田辺聖子のごとき文体で更年期障害をユーモラスに且つ深刻に描いているし。我が国の文学界もちょっとずつ進化しておるのだなあと感心したり。

通り雨どころか雨師はあと数刻日本海側から前線を南下させるつもりらしく、雲の切れ目は随分と北方にある。朝飯がヘビーだったので昼は越前おろし蕎麦にすべく湯を沸かし、辛味大根をおろして、葱を刻む。めんつゆは「藪蕎麦のつゆ」なるものが冷蔵庫に転がっているのでそいつを適用。これはシンプルでいい昼食になったけど、もうひと束湯がくのは体重を考えて見送った。いがいと禁欲的で節制するんです。

天も我が態度をご高覧あったか、ようやく雨も上がり道行く人々も傘を持たずに歩いている。
いまこそ豆腐を購いに行く時だと霊感が走った。自転車にまたがり、大和百貨店へ直行。そういえば明日は雪の予報だったなと思い出し、白菜や葱なども買い足しておく。北国では備蓄が大事なのである。

ここで失礼をかまわず罵倒するなら、SOBとかKMAとか叫びたいほどなのである。買い物時間わずか30分にもかかわらず、店を出てみれば皮膚に当たっただけでもヒャッと言いたくなるようなつめたいつめたい雨が・・

かなり情けない有様で帰宅し、まあ着替えて水分を撤去した。あのさあ、せいぜい午前一杯の通り雨くらいとちゃうの、40%の降水確率なんて。一体にどんだけ振り続けたと思うねんとばかりに時間を計ってみるに、朝8時から14時まで6時間のうち確実に2時間半は路面に水滴が打ちつけられている、記憶が正しければ。帰宅後も降ったり止んだり。

近畿圏における降水確率は一日の内に果たして雨が降るか否かの確率であるけれど、越中においてはそれは、一日における降雨降雪時間を指し示すのではないか。この半月ばかりを思へらく、空から水分が落ちてくるのは毎日のことであり、夜が明けたり潮の干満があったり、国会で一国の首相がわかりきった脱税をしらばくれてしまうのと同じく日常のことなのである。降水確率40%は、24時間のうち10時間は降りますよ、ということなのである。

気象庁ならびに日本気象協会は、冬季限定で日本海側と太平洋側で言葉の定義とカテゴリーを再構築するべきである。同じ数字と同じ形容が全く違う事象を一次元的にカテゴライズするなど、およそ非現実である。イリュージョンである。

マルクス盟友エンゲルスも言っているではないか。「空想から科学へ」と。


昨日夕刻に発生した虹

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