雪国

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。かわたれどきの底が白くなった。
向側の座席から娘が立ってきて、島村の前のひび割れたガラス窓に目をやったあと、デッキに向かい、声を張り上げている。冷気が流れ込んでくるのも意に止めず、遠くに叫ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
LED製と思しき昔でいうカンテラを提げて、ゆっくりと雪を踏んで来た男は襟巻きで鼻の上まで包み、耳に帽子のフリース布地を垂れていた。娘は 顔見知りなのか、新雪に覆われたホームを男を目指して駆けてゆく。降り積もった雪の色と呼応するかのような、透き通った白い頬が心なしか上気している。島村は人の偶然の出会いがめずらしく、臨時停車が長引く間にホームを散策する振りをして、二人の会話を何気を装いつつ聞いていた。




「私の席の前で突然ガラスが割れてしまったんですよ。おかげで今庄に臨時停車できて。駅長さん、富山の管理局から、役職定年でこちらに来られたんですってね」
「ああ葉子さんじゃないけ。とうとう帰ってきたこられたながですか。今日は随分ときつうに寒いちゃね」
「弟が来年からJR西日本で働かせて貰うことになっていて。いきなり今庄駅で勤務だって。駅長さんの下につけるって、喜んでました。お世話をお掛けしますけど」
「こんなとこ、若いもんは今に寂しくって参るにきまっとるがいちゃ。」
「まだほんの子供なんです。駅長さんから世間というものを教えてやって下さいな」





・・・承前。本当に特急サンダーバード27号のガラスが割れたんである。今庄ではないけれど、おかげで敦賀の駅に15分ばかり強制半固定された。暖かい車中で半ば居眠りをしているうちに、ノーベル賞作家・川端康成の「雪国」の冒頭が頭をよぎった。

厳密に言うと、そのあまりに有名な出だしを山口瞳から東海林さだお、北杜夫に至るまで文体パスティーシュをした、和田誠の怪作「倫敦巴里」を思い出したのである。

この冬の第一寒波が北陸に到来した週末を、それなりに寒いけれど青空眩しき関西に逃れてやれ宴会だゴルフだと浮かれていた。いよいよ帰富するとなると、各種報道の伝える大雪ぶりに恐れをなし、気が滅入ってしかたなかったのは本音である。

でもいざ帰ってみると、街は融雪装置で舗装面や歩道に雪はなく、裏にきちんとトレッドが刻まれている靴をはく限りにおいて何の支障もなかった。(ただし、平底の靴で歩くことはお勧めしない)ましてや帰宅して長靴に履き替えてしまったら、雪を踏みしめて歩く快感を久しぶりに思い出し、総曲輪の大和百貨店まで歩いて行ってしまった。

雪に慣れない関西人は実はまだ雪がうれしいのである。歩道に転がっている雪塊を蹴飛ばして踏みつけて喜んでいるのである。いつかこの報いが来るに違いない。

ところで当たり前かもしれないけれど、近江今津あたりから本格的に積もっていたにも関わらず、沿線沿いの小学校らしい建物の校庭や、児童公園で、雪だるまとか雪合戦の痕跡を見つけることができなかった。一家総出で雪かきをしなければならない土地で、子供が稚気まるだしでの雪遊びは、それはまあ、しないんでしょうね。

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