飲酒拠出金 IRAの場合

汽車に乗って
あいるらんどのような田舎へ行こう
ひとびとが祭りの日傘をくるくる回し
日が照りながら雨の降る
あいるらんどのような田舎へ行こう
車窓に映った自分の顔を道連れにして
湖水をわたり隧道をくぐり
珍しい少女や牛の歩いている
あいるらんどのような田舎へ行こう

明治32年生まれの詩人丸山薫の「汽車に乗って」。
私はこれを原典で読んだ事はない。例によっての孫引きである。出典たる小田実の「何でも見てやろう」(ズーズー弁英語の国)で目にしたのは中学生のころだった。はあ日が照りながら雨の降るような田舎ってどんなところだろうかといぶかしんだものである。なんだか楽観主義者の集団みたいな国なんだろうなと、安保闘争や東大安田講堂占拠事件などでけっこう「闘争」が行なわれている極東の小国で、ガキの癖してあこがれたもんである。

長じてみるに、近代のアイルランドはいまや世界中どこでも他に紛争のネタはないんかいなと思われる宗教紛争と英国人にしてはまったく下手な植民政策がおこした不条理のもとに、たぶん先祖を同じくする2国民が無用と思えるほどの流血をもたらした悲劇の土地であったことを知った。

でも、こののびやかな韻文は心を捉えて離さず、人みな持つであろう平和への希求のごとく私にとって安穏を暗示する文言でありつづけてきた。そんな憧れの国へ行ったのはざっと15年ほども前のことである。「道」をテーマに世界各国で写真を撮り続けてきたカメラマンから、夏休みにロンドンへ遊びに行くんやったら一歩足を伸ばしてアイルランドへ来ぃへんか、と誘われたのだ。レフ板を持つ助手を雇う金もないし、道案内とドライバーはやったるさかい何月何日にゴールウェイの民宿まで来いや、などという破茶滅茶なことを平気で言うのである。

まあ人間なんとかなるもんで、気がついたら民宿(いわゆるB&Bと言うヤツですね)の暖炉の前で8月とは思えぬ寒気の中、司馬遼太郎に行方不明の双生児の片割れがいたらこのひとしか有り得ないとおぼしきカメラマン、北尾順三とアイリッシュウィスキーを飲んでいたのでした。

それからざっと一週間、「アランの男」でというかジョン・フォード監督の出身地としてあまりに知られたアラン島はじめイニシュモア諸島で、自然を守るために馬車しか走っていないようなカソリックの島で、日がな一日中雨を降らせようとする空と格闘していた。なにしろ先生は自然光での長時間露出が好きなんで、助手は結構大変なんである。

撮影が終わると首尾不首尾を問わず、アイリッシュパブで乾杯そして地元の料理で更に一杯って展開になる。アイルランドで飲むギネスのうまさはこれは大変なもので、地元の老人が、ワシらは毎日これをすくなくとも2パイント服用するから、この年になっても元気なんじゃと言われて、年寄りが年輪の中から体験的に抽出した真理には盲目的に服従するたちなんで、拳拳服膺して毎日愛用することにしていた。ビールと言うなかれこれはまさしく麦のジュースと定義づけすべき傑作であるけれども、たとえば清酒にして銘酒立山が県外に出るやその神通力を失うがごとく、海峡を渡ってリバプールに行ってさえその芳香は失われてしまうのである。

もちろん酒呑みの私がビールだけで満足できるわけもなく、ビールのあとはアイリッシュウィスキーを傾けるのだけれども、パブで逆さ吊りにされているご当地銘柄でとりわけ安くてキックのあるジョンパワーズスペシャルが気に入っていた。適度にスモーキーで安酒らしいつつましさがあって、日本で言うならサントリー角瓶かホワイトかってランキングの、お気楽だけれど毎日飲んで飽きない味わいが気に入っていた。

あれはどこのパブだったか覚えてはいないけれど、悦に入ってジョンパワーズの杯を重ねている私に、同じ酒を幾度となくお代わりしている、面長の顔・深い皺・赤銅色のかんばせがグラスを代えるほどに陰影を増す、まあ10年後のクリントイーストウッドのごとき土地の古老が話しかけてきた。

あんた、その酒、なんでわしらがをこいつせっせと毎晩飲んでいるか知っているかい、と。こいつはアイルランドの大衆酒でね、まあわしら庶民の生活上欠かせない鬱屈のやり場なんだがね。醸造所がじつはIRAの資金源なんじゃよ、と。きのうも、ほらダブリンで爆弾騒ぎがあったろう。あのプラスチック爆弾の起爆用乾電池代くらいは、はあ君らの呑みっぷりなら確実にカンパしたのと一緒だで。

あの頃はまだ、グーグルもヤフーもない時代でしょう。だからひねくれすぎて素直になってしまっていた私はその言葉をすっかり信じてしまって、日本に帰ってからもウィスキーバーでその酒を見かけるたびに、バーテンに一席こいてきたわけで。でも、今日になって丸山薫の詩を引用するついでにしらべてみたら、ジョンパワーズとIRAをつなぐコメントはいくら探しても出てこない。

アイルランド人は圧政に敷かれた年数が多かったので、日々のやるせなさを笑い飛ばすためにシニカルな冗談をよく飛ばすらしい。dead panと呼ばれるのだけど、アイリッシュ系のミュージシャン、ジョンレノンもその名手であったようで、ビートルズの歌詞にもそんな表現が多いのだと、これは三分の一世紀まえ、大学受験のときに買った「ビートルズで覚える英語」にでていたっけ。そのあたりの新たな孫引きはまたそのうちに。

まあ東洋の僻地から来た酒呑みが、歴戦のつわものにたいがいな年数にわたってひっかけられていたって話でありました。

そんなアイルランド紀行はまあ、蛇足みたいなもんでなにより、日が照りながら雨の降る不思議の土地は海の彼方だけにあるのではなく、ご名答、ご当地越中がまさか本当にそんな土地だったので、私の気持ちはas if まるでダブリンで生活しているようなものなのです。

ところで、平成26年までに新幹線が富山へさらに金沢へと延伸することは、県民こぞっての願いであるのだけれどここにひとつ。石川県民は新幹線が来るのを当然とばかり、ロンドンはヴィクトリア駅もかくやとばかりの大伽藍を金沢駅に建設したし、福井県民はその勢をかって必ずや鉄路はここまで来るに違いないと福井駅を高架化して駅前を不相応なほど整備した。北陸人民は五年後の新幹線がもたらす首都圏とのリンク強化を信じて疑わず、宴のさなかにあったのである。

ディスカバリー号のスーパーコンピューターHAL9000は「お楽しみの所を申し訳ないがAE35ユニットに問題が発生した」とデビッド・ボーマンに告げることで、有名なコンピューターの自己矛盾に基づく反乱を開始した。

引用が光年単位でずれているかもしれないけれど、新潟県知事は北陸3県が景気回復の唯一無二の絆と信じる新幹線建設に突如叛旗を翻し、工事非協力をもうしでたのである。まあ新幹線にいまどき景気回復をゆだねる20世紀的期待もどうしたものかと思うし、東京に繋がることがかえって地元の空洞化になることも理解せざるものではない。でもまあ、みんな楽しみにしとったんやからええやんかと部外者たる私なんぞはかんじるのである。どうせロクでもない特殊法人に流れる税金やったら、せめてみんなで使えるもののほうがええんちゃう、と。

泉田新潟県知事が宇宙世紀2001年のジオン公国のごとく振舞おうとするならば、よかろう、富山県人にも覚悟あり。県内に立山拠出金をつのり、だまされたIRA故事ではないが、県民が飲用する立山に特別県税をくわえ、新潟が支払わぬと聞く13億のはした金くらい県民こぞって呑み出してやろうではないか。

10月時点での県民人口109万5217名。こぞって立山を愛飲すれば、泉田知事の野望を粉砕することなど何ほどのことやあろうか。

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