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大阪地震・余震におびえつつ入梅イワシを堪能。おびえつつ博多出張へ。執念の豚骨ラーメンと思わぬ意趣返しと。

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大阪を襲った震度6から2日後、まだ余震におびえる日々ながら仕事も生活も続いていく。 ひいきにしている「堂島アバンザ・親方」で昼飯。梅雨の真っただ中だからイワシの最もおいしい時期でもある。産卵前でしっかり脂がのっていて、生姜煮でどんどん飯が進む。しかし3尾はちょっと多かったかな。

午後から博多へ出張。なんやら派手な塗装のANAに乗って。新幹線と時間は変わらないのだけどね。地震のあとはどうしても新幹線が怖いんですね。震度6プラスくらいで脱線したりしたら、相当に悲惨なことになるでしょうし。


博多では結構遅くまで(怖くて時間は書けません)お取引先様と見積もりをめぐるバトルロイヤルが。しかし折り合いがついて、たのしく居酒屋で夕食。そこで一同解散して、私はさらに中洲の行きつけへ。2月に改装されて以来で、それにもかかわらず「昨日も来ていたみたいな顔をして自然に入ってくるのね」などと言われつつ。こちらもハタチのころからこの道の修行をしておりますんで。


ホテルの近くで午前2時も回ろうかという時間に営業しているラーメン屋がここしかなかったので飛び込んでみたのだけど。博多で醤油とんこつってちょっと違う気がする。やたらにラードが効いていて、好きな人にはいいんでしょうけど。「普通の豚骨ラーメンが食べたい」という要求だけが残ってしまった。


翌日はホテルでチェックアウトぎりぎりまでPCのお相手。エクセル苦手なんだよなあ。おまけに伊丹便の飛行機が夕方までなくて、おそるおそる新幹線で帰ることに。乗車15分前にもかかわらず、食い意地に負けて駅構内の「博多一幸舎」へ。ごくあたりまえの博多ラーメンを堪能いたしました。


ありがたいことに「さくら」の指定席が空いていて、三浦しをんのかなりどぎついエッセイ集など読みながら鉄路つつがなく新大阪へ戻ったのでした。


戻ってすぐにまた仕事だったのですが、いたずら心をおこして「博多一幸舎」を検索してみたところ、大阪駅構内に出店上がることを発見。なんだかフクザツな気分になりつつも「まあブルゴーニュワインはブルゴーニュで飲んでこそ真骨頂がわかるって言うしなあ」
などと負け惜しみをつぶやくのでした。

震度6が破る平穏な朝。水屋を死守。備えあれば憂いなし。エレベーター難民にならないために。

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いやなんということのない普通の朝だったのだ。ご飯に味噌汁、卵焼きに大根おろしと、真っ当な伝統的朝食をいただいていたのである。トシのせいか5時半頃に目がさめるのでそのまま起きて、朝飯を作って、食べてしまう。6時半には一通り終わる。それからもう一回寝るのである。だいたい8時半頃まで寝る。二度寝は幸せである。


その、二度寝から醒めかけたころ、衝撃がやってきたのである。本当に、びっくりしたなあ、もう。機械的に突き上げられるような揺れがやってきた。半覚半醒の中、ダイニングルームの水屋に駆けつけて観音開きの扉を押さえ続け他のである。ここが突破されると、LDKじゅうがガラスと陶器の破片に埋められることになる。 実際に揺れていたのは20秒くらいだったと思うのだけど、長く感じられましたねえ。 私の家は大阪市北区天神橋で、下の地図を見るに、ほとんど震源地ではないか。

震災直後の書庫である。大惨状のようだけど、元々が散らかっているので、実のところ落下物はプラスチックのケースと、メガネ入れと、本が数冊だけだった。震度6としては奇跡的なほどの軽被害と言えるのではないか。 不思議なのは、落ちた本が全て「開高健全集」出会ったことで、同じように本棚の上に並べていた「山口瞳全集」「幸田露伴全集」「内田百間全集」はいずれも微動だにしなかったことで、やはり地元大阪出身の開高健が最も地震に驚愕したものと見える。

こちらが命を張って守った水屋である。足のところに防振ゲルを挟んでおいたのだけど、これもかなり有効であった。これから地震が襲来するかもしれない地域にお住いの皆さん、倒れたら困る家具には防振の備えをぜひ。

揺れが収まるや否や、バスタブに水を張った。断水前でもしばらくは水が出るので、できるだけ確保するのが肝要である。飲用でなく、トイレ用で。阪神淡路大震災のおり、神戸市中央区に居住していたので、被災ノウハウにはいささか通暁しているつもりである。


備蓄品の確認。水と麦茶が2リットル。カセットガスが5本。各種電池とLEDの懐中電灯にランタン。ラジオ。ファーストエイドキット(常備薬と小さな怪我対応)それに即席麺。まあ食い物飲み物はもっと冷蔵庫にあるから、2日くらいの籠城も大丈夫か。


取引先から色々と電話が入り、無事確認のメールやメッセージも多い。自宅のPCでそこそこ対応はできるけど、会社に置いてきた資料を見な…

社会的動物としてのゴルフ。至高の麻婆茄子。ヒミツの京都。

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会社のゴルフコンペで西宮高原ゴルフ倶楽部に行った。写真の主はなかなかの腕前を誇る同僚である。私はレフティなのでこの逆となる。左サイドが広いので例外的に左利きに優しいスタートホールだった。


コンペの詳細は、優勝でも準優勝でもなく、7位だった。賞品がBRIDGESTONEのキャディバッグだったのだけど、全員参加のジャンケンゲーム賞品に進呈した。デザインが意に染まないゴルフバッグを持ち歩く趣味は私にはない。ビギナーの若い人が喜んでもらってくれたから、何よりである。

ゴルフから戻って扇町の「東海園」へ。車を運転しない私はコースで散々ビールを飲んでいたから、いきなりハイボールである。ここのピータンはある種のクセがあって、私の好みなんだな。


メインディッシュは当店自慢の「麻婆茄子」で、茄子の揚げ加減がなんともソリッドでたまらない。茄子を拾い上げながらハイボールをお代わりし、残った「あん」をご飯にかけて仕上げとする。見た目はどうあれ、ゾッコンな食べ方なのです。


その翌日はヒミツの用事で京都へ。私が生息する南森町から京阪天満橋までわずかひと駅。そこで差額500円を投じて「京阪プライムカー」へ。これはいいもんです。新幹線のグリーン車や国内線のスーパーシートよりよく出来ていて。京阪三条まで至福の時間になります。後の京都における呆れた行状は、まあまたのご機会に。


脈路もなく出張しているのか。鯖とイカれた麻婆ラーメンと、最高の鰻丼に神のヤキメシ。

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全く脈路がわからない。5月の某日、東京へ出張したらしい。写真の順序がアトランダムに貼り付いてるいるのでようわからんのである。
これもその出張の前後に堂島アバンザビルB1Fの「親方」で鯖の煮付け定食を食べたに違いない映像である。普段は塩焼きばかり(それも週に三日!)食べているから、珍しく趣向を変えたものと見える。

これはその出張の翌日に肥後橋「徐園」で「麻婆ラーメン」を喫したものに違いない。会社の仲間5名ばかりで、「人数が入れて、出てくるのが早くて、量が多くて、タバコが吸える」のを満たす店などここくらいしかない。私は出てくるのが遅くても、量が少なくても全然構わない。おまけにタバコが吸えるなんて、全くのお断りである。しかし世の中には民主主義と多数決という逃げられない絶対則があり、強いものには妥協するタチなんだなあ。豆腐の中心部がまだ冷たいような麻婆豆腐もできればご遠慮したい。
つまるところ私も随分と社会的動物なんで、あるのですね。


アトランダム写真なので、東京でのランチがここで出てくる。神田の「うな正」が980円で出してくる国産鰻丼である。なんの文句も問題もございませぬ。ただただ素晴らしい。


どうやらこのヒコーキで帰阪したらしい。どうでもいいけど羽田の一等地には日本大学の広告看板が多いのですね。色々と面白くない話題に囲まれているんだから、看板をしばらく架け替えておく智慧はないもんかねえ。


大阪に戻って、同僚とトリスバーでハイボールを重ねた後に酔っ払った勢いで餃子の王将におもむいて、焼飯を頼んだらしい。べろんべろんでかっこむヤキメシって、コメを喉に押し込む感じがたまんないのである。米食民族に生まれてよかったなあ、とお米の神様に感謝したくなる。


初夏といえばカツオのタタキ。寝室の夏仕立。ゲマインシャフトの昼飯。純日本式晩酌もいいねえ。

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天満橋のニトリへ買い物に行った。すき腹で買い物をするといらないものを買いすぎてしまうから、まず昼飯を。目に青葉山ホトトギス初鰹のシーズンであるからして、かつおたたき定食をセレクトした。鮮度のいいカツオでいただくご飯はいいもんですね。見た目にはこだわらないから、薬味と刺身をぐちゃらぐちゃらとかき混ぜて、ポン酢をかけまわしてワシワシといただきます。
カツオのタタキ韓国起源説というのがあるらしいけど、なんとなく納得がいきますね。


ニトリで買ったのは、夏向けの寝具一式で、色調を寒色で揃えるだけで涼感がさして参りますから、視覚というものも大事ですね。


まあ毎日毎日鯖ばっかり食べていても私は全く構わないのだけど、社会的協調性という論点からは「同僚後輩と飯に行けない」という事態を引き起こす。たまに若手とランチに行けば、こんなハイカラなものもいただくのです。

洋食屋は堂島にありまして、旧社屋が絶賛取り壊し進行中でございました。私が京都支社に勤務していた頃に落成したから、ざっと35年感は使っていたことになる、こっちもそろそろ定年の声が近づいてきているけど、建屋の方は一足先にご卒業で、まあ感慨深いものはありますよね、

某日。特に親しき美人から滋賀県余呉の名店製「鯖寿司」をいただいた。余呉といえば越前若狭から京へつながる「鯖街道」の中継地点。くるんであった真昆布を酒と醤油と酢で炊いてオツマミの一品とした。こういう純日本式晩酌もいいもんですね。

アルミの文化鍋・やはりお昼は鯖・許せないラーメン屋・やっぱりおうちが一番か。

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アルミの文化鍋ってやつを買って見たのである。酸化アルミのペラペラだから熱伝導率は素晴らしい。しゃぶしゃぶなどに最適で、果ててのち、翌朝には残り汁にうどん・薄揚げ・ネギに卵で「鍋焼きうどん風」にする。これまた昭和な味わい。

相変わらず昼の主食は「鯖の塩焼き」です。アバンザ堂島B1の「親方」にて、「脂鯖塩焼き定食」八百円なり。毎日みたいに食べていても飽きないねえ。


某日。天満界隈でアホみたいに呑んだくれて、本当に珍しく深夜に腹が減ってラーメン屋へ。午前2時のとんこつラーメンはいかがなもんかと思います。
ところでこの店、店員同士が談笑に切れ目ない。従業員間のコミュニケーションに問題はないと見た。働きやすい店なのかもしれない。しかしね。出来上がったラーメンがカウンターの内側で放置されたまんまなんだよね。猫舌の吉田類さんでもいきなり啜れるんじゃないか、みたいなヌルさで、人肌の豚骨ラーメンは食えたもんじゃないですよね。
ふざけんな、と金だけ置いて出た。おかげで健康には良かったかもしれない。


早めに会社を出た日で、近所の「中村屋」でメンチカツが売れ残っていると、すかさずに買って帰ります。こいつにウスターソースをかけまわしてビールをあおりつつ阪神のナイター観戦など、たまりませぬ。いい感じで勝っていると、そのあとに夕食に出かけるのも面倒に鳴り、冷蔵庫の整理を兼ねてやっつけ料理をいたします。
ナスをぶつ切りにしてごま油で炒めて、鯖の水煮缶を投入し、チューブ入りのおろし生姜とおろしニンニクで風味をつけ、醤油で仕上げます。また、大根の残りと冷凍してあった豚肉をざっくり炒め煮に。こんなんで焼酎のソーダ割りを飲みつつ、阪神が勝ったりすると本当に幸せですね。


トマトとモツ煮込みで居酒屋を評価する。そして駅弁に亡父を偲ぶ夜。

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忙しいわけでもないけど、こういうものの更新って放っておくとどんどん疎遠になっていくものなのですね。何か似たようなことが男女関係にもあったような。まあざっと先月は5月10日ごろのことでございます。夕なずむ伊丹から東京へ。

新橋界隈の居酒屋へ入ってひとりで夕食&晩酌を。トマトでサッポロ黒ラベルを。さらに酎ハイでもつ煮込みを。だいたいこの2品で居酒屋のレベルって知れますね。ここはトマトの完熟度や温度感はよかったのだけど、「自家製」を誇る煮込みの方は、少なくとも私の舌にはぴったりとこず。


SL広場裏手には、おそらく4分の1世紀は通っているスナックバーがございまして、ありがたいことです。東京にいてもホッと息がつける場所があるということは、実はとんでもない幸福なのですね。

翌日の朝が早かったので、そこそこに切り上げて、夕食がトマトと煮込みだけじゃさすがに足らないのでちょいと。新橋駅周辺に何軒もある「蘭苑」のうち、まだ入ったことのない店に行ってみた。この上海風焼きそばが、推輓するに当たるお味でございました。


朝9時から13時頃までノンストップでお仕事して、夕方にはまた大阪で打ち合わせもあり、とっとと新幹線に。しかし「のぞみ」がどれもこれも満員状態なので「ひかり」に
変更した。大して時間も変わらないのに、「ひかり」は結構空いているんですね。


静岡駅で6分停車なんてことをしてくれたので、ホームに降りて遅い昼食を探索。子供の頃に親父が出張土産にぶら下げて帰って来ていた「鯛めし」を発見。懐かしくて即購入。

昨年の1月に逝去した親父は、出張先から同じ土産を持ち帰る習癖があり、神奈川方面からは「鯛めし」、会津福島郡山方面からは「薄皮饅頭」、東京方面からは某ホテルのフィナンシェと。この逸脱のない正確性は、親父の律儀さかと思っていたが、私も長ずるに及んで、一つのカモフラージュであったのではないかと推測するに至った。 生きているうちに、十三のおでん屋あたりで往年の悪事を白状させつつ一献やっておけばよかったなあ。後悔先に立たず。

大阪へ戻って一仕事して、そのまま自宅近所の王将へ。疲れた体に餃子とビールが沁みますねえ。こんな夜は静かなバーでハイボール傾けつつ、厳父の思い出に浸ることといたしますか。