震度6が破る平穏な朝。水屋を死守。備えあれば憂いなし。エレベーター難民にならないために。

いやなんということのない普通の朝だったのだ。ご飯に味噌汁、卵焼きに大根おろしと、真っ当な伝統的朝食をいただいていたのである。トシのせいか5時半頃に目がさめるのでそのまま起きて、朝飯を作って、食べてしまう。6時半には一通り終わる。それからもう一回寝るのである。だいたい8時半頃まで寝る。二度寝は幸せである。


その、二度寝から醒めかけたころ、衝撃がやってきたのである。本当に、びっくりしたなあ、もう。機械的に突き上げられるような揺れがやってきた。半覚半醒の中、ダイニングルームの水屋に駆けつけて観音開きの扉を押さえ続け他のである。ここが突破されると、LDKじゅうがガラスと陶器の破片に埋められることになる。
実際に揺れていたのは20秒くらいだったと思うのだけど、長く感じられましたねえ。
私の家は大阪市北区天神橋で、下の地図を見るに、ほとんど震源地ではないか。


震災直後の書庫である。大惨状のようだけど、元々が散らかっているので、実のところ落下物はプラスチックのケースと、メガネ入れと、本が数冊だけだった。震度6としては奇跡的なほどの軽被害と言えるのではないか。
不思議なのは、落ちた本が全て「開高健全集」出会ったことで、同じように本棚の上に並べていた「山口瞳全集」「幸田露伴全集」「内田百間全集」はいずれも微動だにしなかったことで、やはり地元大阪出身の開高健が最も地震に驚愕したものと見える。


こちらが命を張って守った水屋である。足のところに防振ゲルを挟んでおいたのだけど、これもかなり有効であった。これから地震が襲来するかもしれない地域にお住いの皆さん、倒れたら困る家具には防振の備えをぜひ。


揺れが収まるや否や、バスタブに水を張った。断水前でもしばらくは水が出るので、できるだけ確保するのが肝要である。飲用でなく、トイレ用で。阪神淡路大震災のおり、神戸市中央区に居住していたので、被災ノウハウにはいささか通暁しているつもりである。


備蓄品の確認。水と麦茶が2リットル。カセットガスが5本。各種電池とLEDの懐中電灯にランタン。ラジオ。ファーストエイドキット(常備薬と小さな怪我対応)それに即席麺。まあ食い物飲み物はもっと冷蔵庫にあるから、2日くらいの籠城も大丈夫か。


取引先から色々と電話が入り、無事確認のメールやメッセージも多い。自宅のPCでそこそこ対応はできるけど、会社に置いてきた資料を見ないとわからないことも多い。JR東西線は運休しているけど、自転車で行ったって10分ほどの距離でしかない。
留守中に大きな余震が来て、水屋が開くと面倒だから、扉の前にバリケードを築くことにした。流石に全共闘世代の尻尾なので、これくらいの妨害工作はなんでもない。椅子の足にも例の防振ゲルを噛ませている。


会社に行ったのはいいのだけれど。エレベーターが止まっておりましてねえ。オフィスのある19階まで非常階段を登らざるを得ない破目に。昨年秋の立山登山に匹敵する難行苦行で、途中幾人かのオヤジが階段で座り込んでへばっているのを追い越しつつ、しかし19階にたどり着いた時は気息奄々。会社は「出勤困難な社員は自身と家族の安全を第一に、特に出社には及ばず」という寛大な判断だったので、まあ勝手に出かけただけではあるのだけど。
教訓である。中高年はいつ起こるかわからない、かような災いに備えて、せめて身体を鍛えておくべきである。
あと、震災などの非常時なのにスーツに革靴で出社するのは全くの無駄である。私は綿パンにスニーカー、ポロシャツであったから、まだ階段も楽だったけど、ワイシャツ姿に革靴のお父さんたちは皆さん苦労されてましたからねえ。


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