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心優しき大男。

彼は日本に働きに来ているアメリカ人である。日本で働くのは二度目になる。ワールドカップの予選リーグでは、アメリカチームよりも日本代表を応援している。日本びいきなのである。 デンマーク戦を前にして、サッカーショップにジャパンの青いユニフォームを買いに行ったのだが、サイズがないと店員に言われ、東京に買いに行ってもいいのだと(現在は関西在住なので)、告げた。しかし店員からは、いや、そのサイズ自体を作っていないのだと言われて、ちょっとしょげて帰ってきたのだった。まあ、191センチ95キロだもんな。しかたがないよ。 日本の友人たちとスポーツバーかパブリックビューイングに出かけて、一緒にビールを飲みたかったらしい。なにしろお祭り男で、盛り上がることが大好きなのだ。 サポーターたちの狂乱振りに巻き込まれて、目立つ白色人種だから誤解を受けても知らないよ、と心配する友人もいた。デンマーク人と間違われて道頓堀に放り込まれても知らないぜ、と。引き揚げられたカーネル・サンダースの身代わりになるかもしれんぞ、と。でも、クレージーさで言うなら、もっとエキサイティングかつクレージーな連中だって知っているサと、取り合わなかった模様である。 ただね、と片目をウィンクさせて彼が言った。サッカーを見にでっかいテレビのあるバーへ行くと、オレの名前を間違える人間が多いんだよ。今回のワールドカップでは。 オレの名前をきちんと覚えておいてくれよな。ブブセラじゃないんだぜ。クレイグ・ブラゼルって言うんだ。去年から大阪の阪神タイガースではたらいているよ。 心優しき大男は、パラグアイ戦の勝利を祈願して、今宵、三打席連発のホームランを甲子園の空に打ち上げた。試合終了後は、神戸のスポーツバー「MY BAR」あたりでビール片手に盛り上がるのだろうか。 ・・・と、本日の文章は25日のスポーツニッポン記事をもとにして、私が脚色演出しました。虚実ない交ぜになっていますので、短編小説と思ってください。

僕は山岳派ではない。

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ひさしぶりに公式行事のない休日を送った。せっかくだから小学生の日記みたいに遂時報告してみようか。相当に長くなるから、忙しい人はご自由に。 一昨日は立山が見えたんだけど。 起床は7時過ぎ。日曜日は、定期購読をしている北日本新聞に加えて、毎日新聞を購入することにしているので起き抜けに近所のサークルKサンクスへ行く。ついでに日本茶のペットボトル、ビッグコミックを仕入れて、TBS系「がっちりマンデー」を見ながら記事を拾い読み。 毎日新聞を買うのは、書評欄が何より充実しているから。本日掲載の中では、平凡社新書の「ハングルの誕生」が面白そうなので早速アマゾンに発注する。隣の国が500年前に創出した、「音・形・意味」をシステマティックに表示する文字体系に触れてみたくなったので。 スージー・ロトロの「グリニッジビレッジの青春」は、ボブディランの元恋人が書いた本。アルバム Free Wheelin' のジャケットでディランと腕を組んでいた女性である。ディランとの関係性を縦糸に、フラワームーブメント以来のアメリカ左派の流れを横糸に紡いだ編年記らしい。食指が動いたけれど、3150円を投資するにはためらう部分もあり、見送り。 他にも野坂昭如の未発表小説集やら、落語界の怪人・三遊亭歌笑の逸伝やら、気になる本は多数あったものの、買い物かごに入れるのは断念する。 ちなみに朝食は東洋水産・マルちゃんのカレーうどん。タマネギのスライスにこま切れの豚肉、そぎ切りにした青葱をたっぷり入れて、SBのカレー粉と一味唐辛子を振りこんでつくる。昨夜は二日連続のゴルフ疲れもどこへやら、桜木町ですこし過ごしすぎたので。軽い二日酔いにはカレーが効く。 食後は、「サンデーモーニング」を片目に見ながら、ビッグコミックを読む。ビッグコミック・ビッグコミックオリジナル・コミックモーニングの3誌は欠かさない。あと週刊ゴルフダイジェストに週刊文春か。エコノミストとか、日経トレンディとか、読まないですねえ。人間くさくないもの。 さらに読みかけの「幕末百話」をソファーに転がって読む。時代の転換期にあっても市井の生活は日々の営みがあって、日常些事がついてまわるんだねえ。で、ふと気がつくと自分を取り巻く社会構造があまりに変わってしまっていて呆然とするものらしい。 昼食と、夕餉の買い物をかね

コングレチュレイション、にっぽん!

人生は驚きに満ちている。産道を潜りぬけるときに最初の驚きを味わい、脳か心臓がその活動を止める時に最後の驚きを発見し、死ぬ。 未明から早朝にかけて、地球の反対側において、日本代表が大いなる驚きを巻き起こした。 昧爽、5時過ぎに我が家から松川を隔ててひろがっている、富山市最大の歓楽街・桜木町から吶喊の声が響いてきて眠りのそこから引き戻された。 まさか勝つと思わなかったし、今日も普通に仕事があるので昨夜はきちんと12時前に就寝していたのである。まだ呆然とするアタマで、とにかくテレビとPCの電源をいれた。 延々と流されるハイライトシーンのなかで、本田をはじめとして、選手の表情が、北方謙三いうところの「死域」にはいっていた。わが民族に散見する「力み」がもたらす硬直と、自分が決めることに対する変な遠慮がない、無駄と無理がない素晴らしい動きである。 よかったね。おめでとう、日本代表。

健全な精神は・・・健全な肉体に宿るわけないやん。

時間はずれの昼飯は、空腹がつのっているせいか、どうしてもボリューム一辺倒になりやすい。でもええやん、こんな時間まで働いていたんやもん、と自らを誤魔化しつつ。今日は廣貫堂前の何を頼んでも大盛ででてくる「塩刈食堂」で、モヤシラーメンと焼豚お握りにした。 orandum est,ut sit mens sana in corpore sano  =  A sound mind in a sound body. (健全な肉体に健全な精神が宿る) デキムス・ユニウス・ユウェナリスの「風刺詩集」にあるラテン語の詩だが、時代とともに意味を変えて残ってしまった。古代ローマ(AD60~130)の風刺詩人にして弁護士であったユウェナリスは、若人たちが身体ばかりを鍛えていて、ちっとも学問に励もうとしないことを嘆いてこの一節を著したとされる。どっちかと言うと、その本意は it is to be prayed that the mind be sound in a sound body 「できれば、健やかな身体に健やかな精神が宿りますように祈願したい」 ってなレベルのはずである。私の読解力の範囲では。 21世紀の先行型資本主義にあっては、社会保険の費用を圧縮するためなら国家が世論を操作して国民を健康へと追いやっていく。まずは煙草だったでしょ。もうすっかり喫煙できる場所が無くなってしまった。きのうなんか大阪で小宴果ててのちに、最終のサンダーバードで富山へ戻るのに、車内が完全禁煙なんで酔醒ましの一服がかなわず、3時間半を悶々と過ごす羽目になった。 次に狙われているのは、言うまでもなく私の大好物、酒であります。ここしばらくの新聞紙面をご覧になると、アル中関連の記事が増加していることに気づくでしょう。また、酒飲みはみっともない存在であるというプロパガンダのおかげで、若い人たちは喫煙だけでなく飲酒もしなくなった。 でも飲酒と喫煙が減ったからって、青少年犯罪が減少したなど聞いたことがない。また、それで自由時間が増えたからと言って出版物の売り上げが向上したとも聞かないなあ。 ニューヨーク市は、ここ数年のうちに、塩分の摂取量を25%ダウンさせることを目標とすべく外食産業を指導しようとしている。トランス脂肪酸にも手厳しい制限を呼び掛けていた。 ピルブリム・ファーザー

55年たっても12歳。

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ひさしぶりの大阪出張である。夕方からの仕事だったので、11時過ぎのサンダーバードに座乗した。生憎の雨模様で窓外を楽しむわけには行かなかったけど、今回は暇つぶしの友があったから平気である。 ITの威力。車内がたちまちに簡便オフィスと化す。ここしばらく変に忙しいのでひっきりなしに飛び込んでくるメールに対応するためにはパソコンの携行が必須である。フィンガータッチが怪しいので大仰にもマウスまで持ち込む始末だけどね。 電車の揺れでピンボケになってしまったが、サンダーバードの新型車両は肘掛の所に電源が用意されており、バッテリー切れを気にせずに仕事に没頭できるようになっている。時代は旅情に反比例するというのが私の持論ではある。 想定外の事態はいつ勃発するか文字通り予測も出来ないのだけれど、小松をすぎて加賀温泉のあたりで、パソコンが急に不機嫌になり、文字入力が出来なくなってしまった。修復に努めたのだけれど、どうにも対応できない。揺れる車内で文字の細かいヘルプ画面を見つめていると、気分が悪くなってくる。冷や汗と脂汗がとまらない。 仕事のメールにはおおむね対処できたので、画面を閉じて昼飯をとることにした。腹も減っていたしね。車内販売が通過したので幕の内を購入。 ほう。車販で売られているのには初めてお目にかかった。鱒の寿司で有名な「源」の弁当である。「立山弁当」「富山湾の幸」「三色弁当」は喫食済みだけれど、こいつは未体験。 売価700円にしては良心的内容と言うべきであろう。揚げ物と肉っ気が多いのは原価をかんがみてやむをえないものの、味ボリウムともに満足することができた。おなじ700円でも敦賀駅塩荘の「牡鹿」弁当とはえらい違いである。塩荘関係者の猛省を期す。 幸いにしてホテル到着後に、後輩の甘木君にパソコントラブルを相談することが出来て、彼のアドバイスを参考に四苦八苦したすえに機能回復に成功した。見かけは重厚長大で敏捷性に欠けるきらいがあるのだけれど、視覚的印象と違って、反応はいつも素早く的確である。鈍重な外見に騙されてはいけない。 先日行きつけのバー[sure shot]でマスターからイチゴを頂戴した。実家が滑川の農家なので、畑の横で栽培していたものとか。実が固く締まっており、酸味の中にいい自然の甘さがあった。野性味あふれる

風呂場の嘆き

夏は発汗で脱毛の季節 秋は落葉と脱毛の季節 冬は憂鬱で脱毛の季節 春は新緑と脱毛の季節 ああ一年中脱毛の私。残り少ない資源を大切にしよう。

ロックな日

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大阪から高岡の郊外農家へと嫁入りした女性との話。 「お舅さんも姑さんもええ人で、同居が嫌なわけやないんやけど、ちょっと」 「なんか珍しい家庭内風習でもあったんかいな」 「家庭内というより、地域内やねえ」 「ほう、どんな風習やねん」 「あんなあ、家にカギかけたら怒られるねん」 「まあ、富山の人は自宅にカギを掛けへんらしいから」 「ウチ、けっこう空き巣やら強盗やら多い大阪カジュアルエリア出身やん。片時といえどカギを締めへんかったら、ごっつ怖いやんか。家に帰って、知らん人がおったりしたらどないすんの。せやのに」 「婚家では、カギを締めたらあかんと」 「そうやねん。お義母さんに、カギ掛けとかへんと誰が這入ってくるかわからんから、締めときましょうよって、言うてみてんやん、ほしたらさあ」 「どない言わはってん」 「カギ掛けたら、留守中に近所の人が入られへんから開けとかなあかんって」 6月9日は「ロックの日」なんだと。The day of rock なら私の大好きな led zeppelin とか jethro  tull とかの騒がしくも愉快な音楽なんだけど、The day of lock なので、富山駅前でおまわりさん達が写真の絆創膏をサンプリングしているのである。富山県警がこの日を中心にキャンペーンを張っているのが「玄関の扉に施錠しましょう」なる運動なんである。 純粋県民だけで構成されていた頃の富山県では、開いている玄関を見て、「ラッキー」とばかりに窃盗行為にふける不心得者はいなかった模様である。他府県民と他国民が累加するにつれて、畢竟その手の犯罪が漸増する事態となった。 「今日は畑のイチゴがええ出来じゃけ、となりのウチへ持っていこまいか」 などという場合、隣家とはバリアフリーが原則であり、上りがまちにイチゴを盛った笊を置いていくことは何の不思議もないエリアコミュニケーションであったのだ。 「あんら、隣はなんと見事なイチゴ育てておられるがいね。お返しに庭先のビワをひと盛り持っていかれ」と嫁に推挽するのも日常である。 いかなる難事も、人情たっぷりに解決してみせる名刑事「山崎ぶたぶた」なら、誰もが納得する絶妙なキャンペーンを張って、県民の防犯意識を高上させるだろうに。小説の中だけでも見てみたいものである。矢崎存美さん、どうです

愉しみと日々

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禍福はあざなえる縄のごとし。立腹のあと早々にこんどは至福の時間を過ごすチャンスがやってきた。越中も懐が深いと見える。 結論から言ってしまおう。かつて芭蕉は酒田に遊んで初真桑を喰らい、開高健は山形県に裏日本随一のフランス料理屋を発見した(もう閉店したけど)。いま私は富山県魚津市にて裏日本唯一のイタリア料理店と遭遇したのである。 店の名は「lucciano(ルチアーノ)」で、先日逝去したルチアーノ・パバロッティから頂いたわけではないものの、そのテノールに匹敵する堂々たる逸品の数々を賞玩できたことは、人生の快事というしかない。いやあ、素晴らしかった。 ルチアーノの入り口。 この日、案内してくれたのは魚津出身の怪しい巨漢。とても公共事業に携わる人物には見えない。店の主人、島崎さんとも古い付き合いのようで、看板に「予約満席」とあるけれど実は我々二人だけで貸し切りにしてくれていたのである。 その看板   喉が渇いていたので、生ビールをぐっと空けた。そのアテにでてきたのがミラノ産のサラミとパルマ産の生ハム。サラミのいささかカビ臭い野趣と生ハムの脂のとろけ具合が、ここは魚津でなくトスカナの田舎で、地場のトラットリアにいるんではないかと錯覚させた。これだけの素材をどうやって手配しているものやら。 この日の料理は写真に収めていない。シャッターを切るその遑を惜しんで、出来たての皿に対峙したからである。本当においしいものは、プロに撮影してもらうしかない。私のごとき素人写真では本質が誤って伝達されるだけだ。 自家製の全粒粉で焼かれたパンに、フレッシュトマトのフリカッセと香草をのせて上質なオリーブオイルを掛けまわしたブルスケッタは、カリリと焼きあげられているのに口の中で溶けほどけてしまう。 次は、魚津産のバイ貝のグラタン。ソース・ベシャメルにしたんではフランス料理になってしまうしなにより鮮度抜群で繊細な味わいのバイ貝を厚化粧させる必要なんてない。加熱しても分離しない極上の生クリームとトマトソースをそっと合わせて、サラマンダーで火を通したと見た。濃厚にして淡白。手品のような一皿であった。 今朝獲れたばかりという「岩牡蠣」は、3歳児の拳ほどもある尤物である。イタリアンパセリを混ぜ込んだパン粉と、パルミジャーノを纏わせて、オーブンで焼いたもの。初夏の海の精が襲いかか

越中立腹帖

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越中いいとこ一度はおいで、出来ることなら住んでみりゃれと気に入っていたのだけれど。残念な出来事に遭遇してしまった。事実関係に多少の解釈と脚色をくわえて報告することにする。 私の自転車は、大阪南森町の中古自転車店で9800円にて購入したものである。3年前かな。酔っ払い運転をして転倒し、変速機がおじゃんになってしまった。その際の衝撃で買い物カゴが平行四辺形に変形している。 また、路上駐車していたのでオプションで取り付けたベルも何者かに剝ぎとられてしまった。なんとか。ライトは点灯するものの、ダイナモが安モノなのでえらい脚力を必要とするから、警官が立っているところでしか使わない。 文章とは関係ないけど、富山国際会議場 でも「走る・曲がる・止まる」の基本機能は問題がないので、見栄えは気にせずに愛用している。いっそ盗難されてしまえば粗大ごみ処理料がかからずに、新車に買い替えることができるのでいつも施錠はしていない。しかし盗られないんだなあ。 まあそんな「問題アリ」の愛車なんだけど、タイヤの空気圧だけはいつもパンパンに入れていた。路面の凹凸を確実に伝える、固い乗り心地が好きなんで。ただ富山に来てから周辺に自転車屋がなく、転入以来10ヶ月にわたってエアを入れることができなかった。そんな折に、行きつけの「えび寿司」近くに昔ながらの自転車屋を発見し、この日曜日にようやく訪問することができたのである。 人の良さそうな老人が店番をしていた。店内には整備された中古車も置いてあり、ああここで買い替えてもいいかなとおもいながら、老人にエアの注入についてたずねてみた。 「あのう、このコンプレッサーつこうてエアを入れてもええですか」と。 すると老人は、 「コンプレッサーはダメじゃ。あんたには使わせれんが。外においてある手動の空気入れを使われ。空気だけの用事で店のなかに入れんが。あんたの言うことは聞けん。ほら、表に出らんか」 というなり、私を店外に追い出してカーテンを閉めて引き戸まで閉じてしまったのである。口蹄疫の保菌者でももう少し丁寧に接客してもらえるんじゃないかと思った。犬猫以下の扱いである。 関係ないけど、戦後築城の富山城天守閣 大阪で自転車に乗って数十年。コンプレッサーの置いてある自転車店で使用を断られたことなど一度もない。むしろそれをきっかけに店の人

越中芝球事情

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富山県でのゴルフプレーはスルーラウンドが基本である。午前スルーなら、スタート時間次第では昼前にホールアウトして、午後には何食わぬ顔をして出社することも可能だ。 今日は地元業界のつどいがあり、12時43分スタートで富山カントリークラブでプレーすることになっている。ここのところスイングプレーンが溶解してしまっていて、平気で120なんぞ叩いてしまうのでティーグラウンドにたつこと自体が恐怖なのだけれど。つい半月前には100を軽く切って、意気軒昂としていたのだが、ゴルフはなにしろメンタルスポーツなんで、ひとたび自信喪失してしまうと復調までの道のりが大変である。 富山カントリーは立山山系のふもとに位置しており、雄大な山容を眺めながらのショットが楽しめる。またホールによっては富山市内から日本海まで見渡すこともできる。 神通コースでパッティングをしているときに、誰かの視線を感じて顔を上げたらグリーン越しに日本カモシカが据立していて、こちらをじっと見つめていたこともあった。 偶蹄目ウシ科のカモシカは、県民の意見によればえらい近眼であるらしく、どこか遠い目でこちらを凝視している。岩下志麻がデビュー当時に近眼ゆえの年に似合わぬ妖艶なまなざしで人気を呼んでいたけれど、それを思わせなくもない。 ほかに、松の木づたいに跳び回るニホンザルの群れもいる。 さて本日は昼過ぎのスタートだから、ラウンド終了は18時を回る。入浴後にパーティ・表彰式とつづき、さらに二次会が桜木町のクラブで予定されている。ステージ付きのお店で、うら若き女性の「おわら風の盆おどり」を鑑賞しながら、水割りハイボールなどをいただく寸法である。 時ならぬ首相交代や内閣改造など、政変あわただしき折に、いい中年~初老のおっさんが20名近くも寄り集まって、昼過ぎから深夜まで10時間近くも一緒になって遊ぶんである。暢気と言うべきかはたまた壮挙となすべきか。

かなりヤバイはなし

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今日と明日は、総曲輪にある日枝神社の山王祭で、いったいにどこに隠れていたのかと思うほどの人出で市内中心部がにぎわう。大和百貨店前の300メートルばかりが歩行者天国となり、それを核にして東西の露地に七百を下らない数の露店が出現する。 大阪在住時は、堀川戎のおりに住居周辺を百を越す露店に囲まれて、年に一度の賑わいを楽しんでいたのだが、このお祭りは私の想像の域を超えている。総曲輪・日枝神社の周辺あらゆる路地横丁に所狭しと露店が並んでいる。 これは神社への一般参道でなく、そこから派生し枝分かれした普通の道路である。ちなみに時間は午後2時半頃で、平素は人間よりも野良猫の方が多く見かけられる都会の裏筋にすぎない。 飲食関係だけでなく、植木・盆栽・果樹などもコーナーセールを行なっている。金物屋の露店も出店していて、鎌や鉈などの農具も販売していた。 高物としては、昔懐かしい「お化け屋敷」も出て来ており、入場料600円で、結構カップルが這入っていったりしていた。ただし呼び文句が「あな怖ろしや怖ろしや、親の因果が子に報い~」なんてものではなく、「爆笑必至」「お笑い確実」となっているのが時代の変化か。 外回り中にスーツ姿で見聞していたので、缶ビール片手にどんどん焼きを頬張りながら歩くわけにも行かず(何しろ狭い街なので誰に目撃されるかわかったものではない)、デジカメで風景を押さえながら逍遥するしかなかったのが残念きわまりない。 気温は25度、湿度あくまで低く、6月といいながら薫風肌に爽快であり、昼のビールにこれ以上の環境があろうかと、悔しい思いをした。来年は有給休暇を取って着流し姿で呑んで廻ろうと決心した。 こういう決心は禁煙や節約と違って執念深く実行に移す性格なのである。 これら露店の主人公、祭りの非日常性を演出してくれるのが、香具師・的屋とよぼれる露天商の皆様である。博徒やヤクザと混同されがちであるけれど、博徒が信奉するのが天照大神で、香具師や的屋は中国伝来の神道「神農さん」を信仰する。 寺社の普請費用を集めるために、その祭りに出店して非日常の演出をする代わりに原価といささか離れた物品を販売して、その利益の一部を寺社に奉納する。ある種の神事であるから、縁日の物品飲食代が街場の料金より高いなどと文句を付けるのは筋違いであり、寄進のつも