かなりヤバイはなし

今日と明日は、総曲輪にある日枝神社の山王祭で、いったいにどこに隠れていたのかと思うほどの人出で市内中心部がにぎわう。大和百貨店前の300メートルばかりが歩行者天国となり、それを核にして東西の露地に七百を下らない数の露店が出現する。

大阪在住時は、堀川戎のおりに住居周辺を百を越す露店に囲まれて、年に一度の賑わいを楽しんでいたのだが、このお祭りは私の想像の域を超えている。総曲輪・日枝神社の周辺あらゆる路地横丁に所狭しと露店が並んでいる。




これは神社への一般参道でなく、そこから派生し枝分かれした普通の道路である。ちなみに時間は午後2時半頃で、平素は人間よりも野良猫の方が多く見かけられる都会の裏筋にすぎない。





飲食関係だけでなく、植木・盆栽・果樹などもコーナーセールを行なっている。金物屋の露店も出店していて、鎌や鉈などの農具も販売していた。




高物としては、昔懐かしい「お化け屋敷」も出て来ており、入場料600円で、結構カップルが這入っていったりしていた。ただし呼び文句が「あな怖ろしや怖ろしや、親の因果が子に報い~」なんてものではなく、「爆笑必至」「お笑い確実」となっているのが時代の変化か。




外回り中にスーツ姿で見聞していたので、缶ビール片手にどんどん焼きを頬張りながら歩くわけにも行かず(何しろ狭い街なので誰に目撃されるかわかったものではない)、デジカメで風景を押さえながら逍遥するしかなかったのが残念きわまりない。

気温は25度、湿度あくまで低く、6月といいながら薫風肌に爽快であり、昼のビールにこれ以上の環境があろうかと、悔しい思いをした。来年は有給休暇を取って着流し姿で呑んで廻ろうと決心した。
こういう決心は禁煙や節約と違って執念深く実行に移す性格なのである。




これら露店の主人公、祭りの非日常性を演出してくれるのが、香具師・的屋とよぼれる露天商の皆様である。博徒やヤクザと混同されがちであるけれど、博徒が信奉するのが天照大神で、香具師や的屋は中国伝来の神道「神農さん」を信仰する。

寺社の普請費用を集めるために、その祭りに出店して非日常の演出をする代わりに原価といささか離れた物品を販売して、その利益の一部を寺社に奉納する。ある種の神事であるから、縁日の物品飲食代が街場の料金より高いなどと文句を付けるのは筋違いであり、寄進のつもりでニッコリ支払うのがイキというもんである。




江戸時代では、歯の民間医療をしていた辻医者がいたり、軽業・曲芸・曲独楽などの太神楽をして客寄せをおこない、薬や香具を売買する露店の商人を香具師と呼んだという。故事類苑には、その販売せるもの、丸・散・丹・膏・香・湯・油・子・煎・薬・艾・之古実など諸国名産の薬を商ったとある。

家庭配置薬の総本山である越中富山の縁日に、七百以上もの露店が終結するのはその濫觴ゆえのことなのかもしれない。ちなみに全国から集まる露天商の連絡親睦団体は神農商業協同組合と呼ばれて、葛飾柴又の寅さんよろしく全国を旅する加盟者の世話を焼いているとか。

ところで、縁日に付き物の「射的・空気銃・アテ物・スマートボール」のたぐいは香具師ではなく、文字通り的屋(テキヤ)の仕事となる。昔の射的はホンモノの弓矢を使ったので、射的場を「矢場」と呼んだ。「矢場」に落ち矢を拾いに行くと、的を外れた矢に当たって危ないことから「矢場=危ない」というわけで「矢場い」=「ヤバイ」になったという。語源は江戸に遡るのである。

標題の「かなりヤバイ」を「カナリヤ倍」と発音すれば、現代女子高生のイントネーションに近づくと、作家の清水義範が書いていた。ぜひお試しを。

コメント

  1. 今日も一日の締めくくりとなる翁のブログをチェック。明日みようと思ったが、キャッチコピーに期待してついつい読んでしまったのである。
    しかし、翁はたくさんの物事を知っているのである。

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