ロックな日

大阪から高岡の郊外農家へと嫁入りした女性との話。
「お舅さんも姑さんもええ人で、同居が嫌なわけやないんやけど、ちょっと」
「なんか珍しい家庭内風習でもあったんかいな」
「家庭内というより、地域内やねえ」
「ほう、どんな風習やねん」
「あんなあ、家にカギかけたら怒られるねん」
「まあ、富山の人は自宅にカギを掛けへんらしいから」
「ウチ、けっこう空き巣やら強盗やら多い大阪カジュアルエリア出身やん。片時といえどカギを締めへんかったら、ごっつ怖いやんか。家に帰って、知らん人がおったりしたらどないすんの。せやのに」
「婚家では、カギを締めたらあかんと」
「そうやねん。お義母さんに、カギ掛けとかへんと誰が這入ってくるかわからんから、締めときましょうよって、言うてみてんやん、ほしたらさあ」
「どない言わはってん」
「カギ掛けたら、留守中に近所の人が入られへんから開けとかなあかんって」




6月9日は「ロックの日」なんだと。The day of rock なら私の大好きな led zeppelin とか jethro  tull とかの騒がしくも愉快な音楽なんだけど、The day of lock なので、富山駅前でおまわりさん達が写真の絆創膏をサンプリングしているのである。富山県警がこの日を中心にキャンペーンを張っているのが「玄関の扉に施錠しましょう」なる運動なんである。

純粋県民だけで構成されていた頃の富山県では、開いている玄関を見て、「ラッキー」とばかりに窃盗行為にふける不心得者はいなかった模様である。他府県民と他国民が累加するにつれて、畢竟その手の犯罪が漸増する事態となった。

「今日は畑のイチゴがええ出来じゃけ、となりのウチへ持っていこまいか」
などという場合、隣家とはバリアフリーが原則であり、上りがまちにイチゴを盛った笊を置いていくことは何の不思議もないエリアコミュニケーションであったのだ。
「あんら、隣はなんと見事なイチゴ育てておられるがいね。お返しに庭先のビワをひと盛り持っていかれ」と嫁に推挽するのも日常である。



いかなる難事も、人情たっぷりに解決してみせる名刑事「山崎ぶたぶた」なら、誰もが納得する絶妙なキャンペーンを張って、県民の防犯意識を高上させるだろうに。小説の中だけでも見てみたいものである。矢崎存美さん、どうですか。


ところで、のんびりとした越中の地では、大阪あたりで絶対に見かけられない新聞紙面が実在する。「蜃気楼予報」なんかがその好例か。




わが愛する北日本新聞では、晩春から初夏に掛けて、この「蜃気楼予報」が掲出される。この情報をもとにして、定年後はカメラ三昧ですとばかりに名勝めぐりをする初老の方々が魚津へ結集する。
パーセンテージが40%を越すと、撮影ポイントには高価な一眼レフデジカメを構えた銀鞍公子たちがレンズを連ねることになる。最近の60代はIT能力も大した物なので、大型の蜃気楼が発生すると、たちまちの内に北日本新聞者のサイトに電子メールで、記者が撮影するより質のいい写真が幾通となく投稿される。




実用的な季節記事はこれで、君子危うきに近づかず。山菜採りは楽しいけれど、よくよく注意しないと友人かと思って振り返ると、鼻息も荒いツキノワグマってことになりかねない。これまた晩春から初夏にかけては、親子連れのクマに遭遇しやすい時季である。用心に越したことはない。





私が毎朝「占い」についで注目する記事である。立山が眺望できる日は、なにかいいことがあるような気がする。降雨曇天が日本国内で二番目に多い土地ゆえ、たまに山(現地では立山のことを単に「山」と称する)がその稜線を露わにすると、なにものかに感謝したい気分になるのである。




富山駅前の広場で、誰が演説してるねん、と思って接近してみれば(私は矯正視力で0.6の超ド近眼である)、みんなの党代表の渡辺喜美議員であった。聴衆は二十人もいたかしら。

前年比104%の経済成長を基盤とする財政再建計画は、そうなればハッピーなんだけどなあ、といった壊れやすい砂糖菓子細工のようにも聞こえた。策が巧緻すぎるのでないか。施政が混乱している時期には、民に対して正直に協力をもとめ、竹を直ぐような明快な施策で糺すものを徹底的に糺すべきではないのか。頭の良さそうな人だけに、ここは一番、木強漢になってもらいたいものである。

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