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自家製鶏がらスープの3段活用。ラーメンに秘められた戦後秘史と警察予備隊と。五箇山にやっと初雪。みなさまによいお年を。

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鶏ガラスープ作りにすっかりはまってしまった。鶏ガラと言っても手羽先の先っちょをパックにしているヤツを使ってます。水洗いしてから改めて水を注ぎいれて、煮出すこと小一時間。ネギの青いところ、生姜、ニンニクに干しシイタケまで入れるので、たったそれだけの手間でいい出汁がとれます。 まあその鶏がらスープをベースに、醤油やら酒やら通俗化も怖くないので中華スープの素、なんてものもちょっぴり入れての自家製ラーメン。行列なんか作らなくたって、行列店クラスのモノってまっとうに手を抜かずにたちむかったら作れてしまうんですね。もっとも評価者は自分しかいないから、他人が食べてどう思うかは想定の外でございますが。 そんな自作ラーメンをすすりつつ、「アメリカ人歴史学者が明らかにする真実のラーメンの歴史」なるご本を精読した。いやはや戦後秘史がしっかりつまった歴史ドキュメントであって、知らなかった事実がゾロゾロと。日本人がラーメンに親しんだのは、大陸・半島からの引揚者と、戦後放出されたアメリカ小麦によるものだと、ずっと信じてたのだけれど。 戦後日本を「救援するため」という名目で送られてきたアメリカ産小麦、日本政府はきちんと代価を払わされていたんですね。 おまけに食糧支援とひきかえに「警察予備隊」を編成することを、吉田茂は飲ませられたと。当時の日本政府はあくまでも再軍備反対であったらしい。う~む。 読み進むうちにルース・ベネディクト女史の「菊と刀」を思い出しました。「鬼畜米英・敵性語禁止」とヒステリックにやった国と、文化人類学者まで動員して相手の国を分析しきった国と。 いまやこの国は大学に文学部はいらんなどと、また実用実学主義に走っていますが、どうでしょう、アメリカの人文学者は日本のラーメンおたくじゃ絶対かけない「学術書」で、ラーメンの歴史と本質に迫ってしまっているではないですか。 しかも腹の立つことに、論文のくせに読んでて面白いんですね。訳者の力量も大したものなんだと思います。 鶏ガラスープで、普通にカレーを作ると、実に傑作が出来上がります。ハウス社のジャワカレーがこんなに上質な変化を遂げるなんて。びっくらぽん間違いなし。 勧められて手に取った桜木柴乃「ラブレス」は、北海道に根付いた人にしか書けない大河小説でした。開拓民で、女であって、それ

雪なしの師走。鶏がらスープを取って自家製ラーメンにうっとり。

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師匠も走る季節となった。そしたらほんまもんの師匠が関西からやってきた。大阪時代の上司ですでにご隠退された大先輩である。金沢で合流し、今や全国的名物となった金沢おでんで乾杯。木倉町の「ちくわ」は自家製のちくわが名物で、はんぺんとちくわの中間みたいなもんが軽く焙られたうえで、品のいい出汁に暖められて出てくる。 12月も5日だというのに、北陸はまだ雪も見ず。快晴の能登島ゴルフ&カントリークラブで師匠とラウンドした。ボディターンで打てないと、この先飛距離は加速的に落ちていくから、スイングを改造しろと指導を受ける。なにしろ某体育系大学でゴルフ部のキャプテン張ってた偉丈夫のいうことだから、素直に耳を傾ける。この冬はちょっと精出して練習場に通おうと決意した。 ここんとこ、鶏がらスープを取るのに凝っている。週末は大和百貨店の地下で鶏がら(といっても首ツルが付いているヤツじゃなくて、手羽先の先っちょ)を2パック購入し、ネギの青いところとか生姜ニンニクと1時間ばかり煮込む。このスープに、塩と醤油とちょっと俗化するけど味覇を小さじ半分くらい溶かし込んで、ゆでた生ラーメンにローソンで買ってきたチャーシューとシナチクをのっけたら・・・最後の一筋まで一気にすすりこんでしまう、昭和東京風ラーメンが完成する。 ちっとも気候は冬を感じさせないけれど、炊事洗濯掃除をすべて自分でこなさなきゃならないので、手先だけは荒れてきて、やっぱりぬくくても冬なんだわさ。ドイツ製カモミルクリームが欠かせない。 12月8日の開戦記念日、去年は雪で真っ白だったのに。地球温暖化は越中の地にとってはありがたい限りなんだが、はてさて人類文明にとってはどうなんでしょうか。

マラソン終わって私家版「孤独のグルメ」へ。豚バラと大根は傑作。

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富山マラソンが終わって、私は走らずにお手伝いしただけなんだけど、達成感と脱力感が。まあ成功したからそんなことが言えるんで、なにか事故でもあったらとても二日後にゴルフなんてできないよね。ということですでに一か月前のできごとを記しています。文化の日、快晴の富山カントリーへ。ずいぶんたくさん叩いてしまったような。 アマゾンから「孤独のグルメ2」が届いた。主人公の野性的な食欲が少し影をひそめてしまったように感じられる。もともとサブカル的に読まれていたものがメジャーになってしまうと、ちょっと社会派めいてしまったり、お利口になってしまってつまらなくなるのは残念だけど世の常か。 私は自炊派「孤独のグルメ」で勝負。豚バラ肉を炒めて、さらに大根を加えてガラガラと炒め合わせて、出し汁・醤油・砂糖・味醂を加えて、あとは汁気がなくなるまで煮詰めていく。これはよほど何かを間違えない限り失敗がなくて、ビールによし焼酎によしメシによし。 あっさりと晩酌を済ませたかった夜に。厚揚げを煮付けたもの、白菜とベーコンの煮物、にんじんとさやえんどうと平天のきんぴら仕立てで。 お休みの日、昼飯は異様なほどの確率で富山市荒町の「アオヤギ食堂」へ。ここの「気まぐれカレー」は何を食べてもはずれがない。豚肉の塊を、スプーンでほぐせるほどにやわらかく煮上げた「南インド風ポークカレー」は微妙な酸味がスパイスの辛味とからみあって、いつまでも余韻が残る傑作だ。 晩秋から初冬にかけて、まだ色々と作ったり食べに行ったり。五十路男の孤独にして充実した食生活は続いていく。

ワールドカップの終了と第一回富山マラソンの成功と、止まらない微熱と、小鍋の活躍について。

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ラグビーワールドカップもあれよといううちに終わってしまった。ジャパンの奮闘は当然讃えられるべきである。しかし賞賛の仕方があいかわわずに軽薄で、いつものように一過性の人気になるんだろうなあ。きっと。 連日深夜までCATVのスポーツチャンネルに見入って寝不足が続いたせいなのか、はたまた初老の体に鞭打って、残業に出張を重ねたせいなのか、風邪がちっとも治らない。症状は軽いのだけど微熱が延々と続いている。とにかくあったかいものを食べようと、家では小鍋がこれまた連日の活躍ぶりである。 マラソンの運営、なんてのも仕事の一環であって、11月1日は富山マラソン。スタート2時間前から高岡市役所でスタンバイする。数日前まで雨の予報だったのが、ごらんのような凱風快晴で、まあこの天気なら多少の粗相があっても80点は取れたも同然と、胸をなでおろした。 当日の北日本新聞号外で、主催者・ボランティア・後援者・そしてもちろんランナーの、すべての皆様のおかげをもって素晴らしい大会となった。第一回の運営にもかかわらずランネットの評価が94点で、まったく感謝しますの一言しかない。 しかし微熱が途切れる様子はまったくなくて、こうして滋養のあるものをいただいて、それなりに節制もしているのに、どうしてなんだろう。

秋風邪にご用心。楽しい宴会のツケか。JR東日本「イースト・アイ」に見参。風邪に薬膳思考で対抗。

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暦の上では11月に入ってしまっているというのに、まだこちらは10月中旬なのだ。東京のエライ会社でエライ役職についておられる先輩と、黒部在住の尊敬する先輩と、大好きな棚山ゴルフクラブへ。さすが元早大ラグビー部、山岳コースでも足腰がタフなこと。 ゴルフ後は黒部で宴会。あまりに楽しく盛り上がったので、写真を撮るゆとりなし。翌朝は皆さん記憶を喪失していたもよう。午前中に富山へ戻り、「アオヤギ食堂」で日替わりカレー。豚バラと南瓜とキノコがいい按配にスパイスとマリアージュしていて、いっつもながら感心するよなあ。 なんだか鼻のあたりがむず痒いかな、と思う間もなくクシャミを連発、鼻水が無制限浸出を開始した。これから仕事やらオフィシャルのゴルフやら立て込んでいるのに。ワールドカップを観戦しながらおとなしく家で過ごすことに決定。恐る恐る体温を測ると37℃で、平熱が35.5℃の人間にはチトツライのう。 白菜どっさりの上に豚バラ肉をならべて、出汁と酒と醤油とおろしショウガをこれでもかと。 仕上がりに九条ネギをちらして、食うほどに汗の出ること。自称「風邪退治鍋」で、当然こんな日はアルコールを抜いて、レンドルミンを服用してさっさと寝るのである。 何とか微熱(36.5℃)にさがったので、無理を押して東京へ。富山駅のホームにJR東日本の「イースト・アイ」がとまっていた。ドクターイエローの東日本版で、イエローほどには人気がないのが可哀そうなような。 熱があるとめったに食べないこういうものがありがたい。やっぱり車内販売って大事だと思う。JR西日本は薄汚い利益最上主義を返上して、サンダーバードの車内販売を一刻もはやく復活させるべきだと改めて実感。 東京に着いたらお昼時だったので、ここはやはり銀座「はしご」へ。豚ロースのカラアゲが乗った「ぱいこうだんだんめん」に、胡椒と酢をどっさり。 疲れる会議と打ち合わせを終えて、日帰りで富山へ。もうクタクタだけど、翌日はこれも逃げられないゴルフコンペなので「食って治す」と薬膳思想をもちだす。「粋宏閣」でレバニラ炒め。大学時代から、風邪にはレバニラか焼肉なのである。丈夫な胃腸に産んでくれた両親に感謝せなあかんね。 まあ微熱でゴルフなんかやるとどうなるか。18ホールはラウンド

博多濃厚豚骨ラーメンの夜。ヒコーキヲタクの本性発揮。日本国餃子事情。

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またまた小松空港からボンバルディアCRJ-700で博多へ。GEのTF34エンジンをリアの上加減に装着しているさまは同じ系列のエンジンを積むA10サンダーボルトⅡを思わせないでもない。リージョナルジェットだけに、折り畳み式のステップを搭載していて、昔のYS11を思い出した。 博多で仕事をすると夜が楽しい。中洲はある種の天国だよなあ。バーをはしごした挙句に薬院のラーメン店「八ちゃん」へ。ここは20年くらい昔に来て、ラードの濃さにたまげた記憶がある。今は代替わりしたらしく、小ぎれいになってかつての薄暗い怪しい雰囲気はなくなってしまった。 親指ほどの餃子が名物らしく、とどめのビールに合わせて注文。パクリにグビリでこれは楽しい。こんな餃子が富山にもあったらなあ。毎晩行ってしまいそう。 かつての過激さが薄れたといっても遺伝子は充分で、表面を覆うラードが湯気を押さえてしまっている。見かけによらず途方もなく熱いから、猫舌の紳士淑女はご用心。 次の日も朝からずっと会議。途中昼飯は取引先のカレーマニアの方が推薦する、スリランカカレーの店へ。店名が複雑すぎて覚えられず。「超辛口」を頼んだのだけど、そして私は大概の辛口はどうってことがない鉄の舌と胃腸を誇っているのだけど、結構厳しいものが。 夕方の便で小松へ向かう。帰りはIBEXとのコードシェア便ではなくて、全日空のB737-500で。たぶん前世紀からANKで使用していた古強者と思われる。 小松から空港バスで金沢駅へ。「おもてなしドーム」で金沢のクラシック楽団が「田園交響曲」を演奏していた。駅でフル編成のクラシックをやるとは、やるよなあ。空中に浮かぶ金沢のゆるキャラ「ひゃくまんさん」が「越中さにはこんな文化催事はできんやろ」と見下ろしていた。 餃子は続くよどこまでも。新幹線に乗り換えて富山へ着いたら結構なお時間で。空腹に耐えきれず駅前の「粋宏閣」へ。餃子もあんかけヤキソバも富山的に味が濃いのだけど、そこはビールでごまかして。

宇奈月でカマ飯ですのよ。北陸新幹線の課題とは。わが業界の課題とは。アデュー銀座松坂屋。浅草今半の弁当。やっぱり我が家。

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風光明媚なところに住んでいると、観光という言葉が青ざめてしまうね、などといいつつ宇奈月温泉でお仕事。温泉に浸かるわけでなく、旅館に泊まるわけでなく。 営業車を止めていた駐車場の片隅に小さな展望台が。登ってみると名物トロッコ列車の鉄橋が目前にあり、鉄男にはたまらん景色です。展望台に列車時刻表が掲出されていて、かゆいところに手が届くようなサービスとはこういうことかと。 宇奈月温泉郷は、トロッコ列車と温泉旅館以外に何もないところでして。打ち合わせも終わって昼飯でもと発心しても、これという店が見つからず。いかにも観光客向けで、ぼったくり店の風情そのままの「河鹿亭」へ。とにかく腹が減っていたので、一番安くて早く仕上がりそうな「釜飯定食」を。 なんというか醤油の効いたパンチあふれる釜飯で、カマはカマでもハードゲイ志向なのかもしれませぬ。自家製と思しき切り漬けがなかなか爽やかで、カマめしに清涼感を与えていました。 宇奈月から帰って翌日は東京へ。北陸新幹線でタマゴサンドなどいただきつつ。しかし行程の半分がトンネル内なのに、車内でLANサービスがないって、いくら各座席にコンセントがついていたって この時代どうなのよ、って気がしますよね。 JR幹部のITリテラシーがどんなもんかわかってしまいます。もし代表取締役クラスの方が、車内でPCを叩くほどのリテラシーがあれば、即刻改善されているはずです。世界に対してあまりに恥ずかしいから、とっとと改善すべきでしょう。 ハテここは何の空き地だったっけ。大きな施設もなくなってしまうと、モトがなにであったか、忘れられてしまうものです。たとえ銀座6丁目の大百貨店、松坂屋であったとしても。このエリア最大の複合商業ビルに生まれ変わるんだとか。 昼から夕方まで缶詰で続く会議には、事務局の心遣いで毎回、なかなかの弁当が供されます。今回は浅草「今半」のすき焼き弁当で、量は控えめ質は高めのシニア向けで、腹が膨れすぎて会議中に眠くなることもなく。 会議の主題は「魅力の薄れつつあるわれらの業界にいかにして若手の労働力を固定化するか」みたいなことで、全国どの県でもこの問題は深刻化しています。 業界を去った若者たちの主張 ・定時に帰れない会社は嫌だ ・土日にきちんと休みが取れない会社は嫌だ

赤いラーメンの恐怖。記憶にない写真。スケスケのホテル。NHK朝ドラ原案本「土佐堀川」とゴルフ教則本と。

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仕事で急きょ大阪へ行った。最近こんなのばっかりやなあ。金沢駅でサンダーバードに乗りかえるのも、もうすっかり当たり前になって。 世の中に怖いことは色々とございます。朝目が覚めて、何気にケータイをいじくっていたら、食べた記憶のないラーメンが画像に残っている、なんてのもそのうちに入りますね。打ち合わせが長引いて、同僚とヤキトリ屋~BARをはしごして、まっすぐホテルに帰ったつもりだんだけど。 最近の大阪ホテル事情と言ったら。どこも満室なので、ちょっと高いけど「堂島ホテル」に投宿した。 しかしベッドから風呂はもとよりトイレまでガラスで素通しって、どういうシティホテルなんでしょうか。 私なんかひとりで泊まったのに、用事を済ませる際はカーテン閉めてしまいますね。 NHKの朝ドラ「あさが来た」の原作小説であります。ほぼ女手一つで広岡財閥をつくりあげ、日本女子大を開校し、大同生命を創業した大実業家の物語。ピストルを懐中に忍ばせて炭鉱労働者と交渉に出かけるなど、伝法肌も抜群で、昔の日本には男女を問わず豪傑がいたってことですね。 たぶんテレビより面白いくって、だからドラマ好きには放映終了後にお読みになることをお勧めいたします。 堂島界隈で泊まった時は、ホテルの朝食よりも立ち食いそばで済ませること多し。おおむねは二日酔い気味で、熱い汁気を欲しているもので。バッテラに塩気の効いたキツネ蕎麦は、わたしのそういうオーダーにピタリと来ますね。食生活のレベルが知れてしまうけど。 エレベーターがなかなか来ないホテルで、待っているのも退屈だから、近くにあった姿見をみつつ自撮りです。明るくすると頭髪の貧困さが目立つからな。 シャンク病がひどくて、ここんとこゴルフがスコアにならないから、屋根裏さんの本にすがってみることにした。できもしないナイスショットを夢想するよりも、自分にできる「当たり前」のショットを冷静に積み立てていくのがスコアメイクの基本なんだとか。 そんなことが冷静にできていたなら、日常的に90を切って、80台だって出るでしょうに。そこの冷静さが皆目なくて、無用なまでに大胆にふるまうから事故が起きるんであって・・