立山は富山で

かつてワインに凝っていた頃、「ブルゴーニュはブルゴーニュで、ボルドーはボルドーで飲め」
なんていうウンチクに出会ったことがあった。酒を生み出すのは、土壌と空気と水に、それらで育った作物だから、故郷で飲むのが一番だと書いてあった。富山に引っ越してきてびっくりしているのは、清酒「立山」のウマさである。富山県を代表する銘酒だもの、関西在住中も幾度か食膳に上らせたことはあった。確かにのど越しのいい酒で、なかなか、と思いはしたけれどまあわざわざ取り寄せてまで、しかも常用にするほどのことはないやん、とたまの頂き物や出張の土産(なぜか富山へは幾度となく出張してきていたのだった。宿縁か)で入手したときだけ楽しんでいたのだが。
越中に参ってから、そうやはり1月が過ぎた頃からだろうか、和食をいただくときはどうしても立山が旨くて仕方なくなってきた。とにかく、身の回りに漂う空気感と矛盾しないのである。無理なくスイスイといけてしまう。多分体内の水分が一ヶ月の時を経て完全に淀川水系の水から、立山山麓からの伏流水に入替わり(富山市水道局の水がそうである)体内のイオン化濃度が富山の水に合一したうえに、そのイオン値が私の身体と喧嘩せずに受容されたからに相違ない。
何しろ人間の体重の60%は水なのだから、それが入替わるということは大したことなのだ。
転地したときに「水が合う・合わない」と言いますが、つまり、かかる出来事なんだと手を打って実感したしだいである。とりわけ先日とある寿司店で、小ぶりの寿司をつまみつつヒヤの立山を次々になぎ倒したときにそれは確信にすらなってしまった。なにしろ、地物の魚・米・水・空気と取り合わせて摂取しているうえ、体内の受け入れ態勢まで整ってしまっているのだから。

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