隣県複雑~幕藩体制の尻尾

越中富山から加賀百万石の城下金沢までざっと100キロ。北陸自動車道をちょいと気合を入れてすっとばすと、市内からおよそ1時間到着する。今日も勤め先の金沢営業所へとおもむく用事があり、出かけてきたのである。
富山県は戦国末期以来、強いて言えば加賀百万石の支藩であって、強引に定義すれば、加賀の大殿様と地元の小殿様に二重課税される、弱小な政治単位だったこともあり、米本位制の経済社会においては肥沃な米作地帯でありながら、領民はコメの飯にありつけない苛政極まる状態であったらしい。
禍福はあざなえる縄の如しで、そのために富山県人は現金収入の重要性に早くから気がつき、製薬および行商とその資金をまかなうための金融業、更に明治に入っては豊富な水力を使っての発電業をおこした。北陸銀行も北陸電力もそういうわけで本社を富山に置く。
まあ金沢の風流人たちが片町や犀川べりで歌舞音曲にうつつを抜かしているうちに、殖産興業にはげみ、水と電力を背景に金属精錬業、アルミ産業、化学工業を立ち上げていったのでありますね。優雅より率直。文化より経済。習い事より偏差値。人材育成に熱心な富山県人は全国有数(多分五指に入る)教育県へとも仕立てていった。
いつかは旧領主の、石川県を見返してやろうと燃えていたのですね。
隣接する文化教養の都と殖産商工業の街。関係性は京都と大阪に似てなくもないのですが、その話は面白すぎるアナロジーなので別の機会を待つこととして、その関係性にかつての搾取と被搾取がからむから、感情がややこしくなるのです。石川県人からするとそんなことは一世紀以上も昔の話で、話題だけでも迷惑千万。しかし富山県民にとっては・・なんだか国際関係にも似たようなことがあるような気がしますがどうしても思い出せないので省略。
金沢に残されているさまざまな文化遺産は考えようによっては歴史的な植民地支配というか搾取構造によって蓄積された資産であって、単純に美術品・骨董品・歴史的町並みとして鑑賞する気分にならないのではないか。エジプト人が大英博物館へ行ってロゼッタストーンを見るような感情があるのではないか、などと邪推もしてみるのである。
なにしろ、金沢の飲み屋で富山人ということが露見すると、どうも居心地が悪くなると聞くしさらに、その富山人が店を出るや店内で越中にたいする罵詈雑言がはじまるらしい。
いちどカンサイ人としてひとり片町あたりのスナックに実地検証に行かねばならないと、cultural-hyumanology的視点と即物的分析が好きな自分としては強く思いを致すのでありますね。早い話が野次馬根性とも言います。
さて旧ご領主の城下町はさすがに大都会で、北陸の雄としての面目をJR金沢駅から主張している。ホームからコンコースを経て駅前広場まで、東京駅八重洲口より雄大な設計になっており、駅前はガラス作りの大屋根でバスにもタクシーにも雨や雪に触れることなく乗車できる大伽藍である。その構想が雄大であることはイタリアはミラノ駅、イギリスならヴィクトリア駅に匹敵すると感じられるばかりである。残念ながらデジカメを近々購入予定の私には画像がないのでぜひネット上にてご検索いただきたい。
ところでこの日、金沢の冬の名物であるおでんを食べるために運転してくれた同僚と別れて雨降る中、道に迷いつつも地元民ご推薦のしもた屋にいったのですけれど。
富山には材料があって、金沢には料理があると思いましたね。
よく考えるにこれもまた、幕藩体制以来の両県を象徴しているかと。

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