カレーと生卵 大正昭和のモダニズム 小泉はんのとこのあほ坊ンがねえ 夫婦善哉と総裁選
10月に入って、早朝深夜はかなり秋らしい気温になってきた。でもまだ昼間はエアコンかけていないと室内は厳しいものがありますね。
あと4日で自民党の新しい総裁≒日本国首相が決まるわけですけど、なんかなあ。ステマ事件とか、党員除籍事件など報道されるべき不祥事が大事件として扱われず、どこかの首長が職員とラブホにかよったとか、学歴詐称の市長とか、どうでもええやんかと思えるスキャンダルを国家行事のように報道している。
「いやあ、内からも外からも怒られてばっかりで」なんて、家庭の些事で女房に叱咤されていることと国政を同レベルに言ってのけるのだから、この人の責任感というか使命感というのか、まったくもってわからない。
33歳で早逝した作家 織田作之助
責任感のない男といえば、無頼派作家として大阪の市井人情を描いた織田作之助が描出した
維康柳吉はなかなかの「あかん男」だった。安化粧品問屋で生まれ、妻子を持ちながら新地の名芸妓蝶子と駆け落ちし、関東大震災で大阪へ戻ってからは蝶子を日雇いの仲居にだしてはその給金に手を付けて安いカフェを飲み歩き、金を使い果たしては蝶子に面罵され、「二度とせえへんからよってに」などと平謝りしながら、またぞろ遊蕩に走っていく。
映画版のポスター 1955年
ただ柳吉には可愛げのあるところがあり、何とか生活を立て直そうと小商売を始めてみたりするのだけれど、これがまた失敗続きで蝶子はその都度に大喧嘩となる。柳吉から「あんじょうたまっせ、おばはん」などと甘えられると「もう、しゃあないなあ」とばかりまた日雇い家業にもどっていく。
森繁久彌と淡島千景 まごうかたなき美男美女
出演時、森繁久彌は42歳で、淡島千景は31歳でいずれも東宝と松竹の大看板である。大阪府枚方市生まれで北野高校卒の森繁が「大阪のあかん男」を地のままの関西弁でしゃべるのに対して、東京出身の淡島千景はちょっと切り口上ぎみながら、そこは宝塚音楽学校で仕込まれたきちんとした関西アクセントでやりかえす。このリズムがたのしい。
原作の夫婦善哉には、標題になった宗右衛門町の「夫婦善哉」ほか、大正~昭和にかけての食べ物がいろいろと描写されている。残念ながら私は酒飲みの甘いもの嫌いのせいで、夫婦善哉に立ち寄ったことはないけれど、作中で柳吉が「こ、ここのカレーはあ、あんじょうまぶしてあるよってに、うまいねん」と蝶子に推奨する自由軒のカレーは気に入っていて、千波店など、近くに寄った際にはちょくちょくいただいている。
特に牛肉とかしっかりと入っているわけではない、粘度の低いカレールーが事前にご飯と混ぜ合わされていて、まんなかに全卵がポトンと。卵白と卵黄の加減を調整しながら食べる。店の人間からも言われるように、ウスターソースを最初は遠慮気味に、後半は度が過ぎているかと思われるような加減でかけまわしながら食べきっていく。
大正から昭和それも戦前にかけてのモダニズムってこんな味なのかなあ、と思う。ハウスバーモントカレーの味をベースに自分のカレー史を重ねてきた人間にとって、リンゴとハチミツなどと戦後仲良し民主主義でごまかされていない、辛いわけじゃないけど土性骨のすわった味とでも申しましょうか。
いわゆるカレーとは異なる味
小説としても映画としても、柳吉はんと蝶子姐さんは紆余曲折のうえでハッピーエンドになるので、見て読んで救われる。でも国家を代表するレベルの人間が「あほ坊ン」やったらどないするねん、と隠居の身ではあるけれど「この国の形」に憂いをかんじてしまう。平議員で「小泉はんのとこのあほ坊ンは、どないしようもないほど責任感も使命感もないけれど、ちょっと可愛くて甘え上手やから、議席の端っこくらいに置いといたり」ってくらいなのが私の実感なんですけどねえ。
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