初夏の絵日記 ウェストうどん~博多屋台~広島ムサシ~大阪シオヤ、そして富山へ

初老男のバカ旅は続いているのである。富山から大阪経由で博多に入り、業界の決起集会の末席を占めたりしなんかしておりました。15日、博多到着の夜はお客様を名門「新三浦」にご案内して鳥の水炊きで会食。そういう堅い席では写真なんかご法度だからな。ご想像にお任せするしかない。そのあとの中洲での大活躍も守秘義務というやつで割愛。


ホテルは博多ニューオータニで、㈣半世紀前くらいは最新ホテルだったんだろうなあと推測。でも貸し出しのPCはわりと新しいFMVだったので仕事ははかどった。ネット時代に入って、通信系が機能している限り、ヒトはあらゆるしがらみから脱出できない。いいことやら悪いことやら。


博多の朝に、ホテルのビュッフェなんかでありきたりの洋食なんか食べたくない。街のそこここにある24時間営業のうどん屋に飛び込んで、熱いだし汁をすすって昨夜の酔いをさますに限る。

昆布とアゴ(とびうお)ベースのあっさりした出汁に、細くて柔らかいうどん。これが二日酔いにええ野です。讃岐うどんと対極だけど、これにはこれの良さがあります。博多っ子がうらやましいね。


16日は午前中が会議とか講演で、午後からコースに分かれて観光となった。お昼に出されたホテル日航福岡謹製の弁当はなかなかのものでありました。


私が選んだのは大宰府~国立九州博物館のコース。太宰府天満宮はご存知菅原道真公が配流された縁のところ。~東風吹かば想いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ~なんてありましたねえ。たぶん日本一教育熱心な富山県民は道真公への信仰厚くて、子供が生まれると道真公が描かれた掛け軸を購って、学業の成就を祈念いたします。


だからびっくり。太宰府天満宮の楼門でいちばんおっきな寄進提灯は富山県魚津市の清掃公社からのものでした。まさか博多の神社で寄進第一号に富山県民がいるとは。


山腹の傾斜を見事に活用した国立九州博物館。収蔵物はレプリカばっかり焼けど、有史以来「東アジアの窓口」として繁栄を重ねてきたこの土地ことは良くわかる展示になっていて感心した。


夜はまたお客様をご接遇して、モツ鍋の「山中」から、またまた中洲の美女たちに囲まれてご機嫌でした。ウヒヒ。しかしこれも厳重な守秘義務で公開できないのが残念。散々飲んだ後に散会して、騒ぎすぎて小腹の減った私はふらりと博多名物の屋台へ参上。


ホテル近くの屋台で、焼酎のストレートと豚骨ラーメン。アルコールで疲弊した身体に豚骨スープのイノシン酸がしみわたります。


翌17日は博多を朝早くに出発して広島へ。広島駅からとてもモダンなLRTに乗って広島営業所へ赴きました。しかしこの車両は「カープ電車」と言うだけ合って、ヘッドマークはもちろん内装のすべてがカープ一色で、朱色に占拠された車内にいると色覚異常をきたしそうな。

でも市民全体でカープを盛り上げようとする凄まじい気迫は伝わってきました。こういう元気な地方都市っていいですね。


元気さあまってチカラが入りすぎてます。広島駅「ムサシ」の「ジャンボむすび」。メシ一合分ぐらいをしっかりと握りこんであります。中の具も昆布にカツオに胡麻に鮭とバラエティ満点。あまりに旨くてもう一つ食べたかったけど、もはや若くないので自重いたしました。


広島の次は岡山に途中下車。ここでもLRTに乗って、岡山の営業拠点へ。先月に富山から岡山へ転勤させた某君の働き振りを確認へ。元気そうで何よりでした。新しい上司には「絶対に使いべりしないタイプなんで心ゆくまでこき使ってやってください」と申し送って。


岡山から九州新幹線「さくら」で新大阪へ。ドーミーイン梅田東へ投宿。ざっと一週間の遠征荷物でございます。これらを手運びと宅急便と、フルに使い分けてこの旬日を過ごしました。


大阪ではかつての後輩部下と大騒ぎ。人生つねに大騒ぎがないと生きていけない私。後輩のH君が7月に結婚するとかで顔が上気しておりました。バカなことをするんじゃない、結婚は人生の墓場だ、自由は金で買えないよ、などと諭したのですが、愛の力には勝てず。H君が私の垂訓を身をもって知るにはまだ年数がかかりそうですな。


大阪の朝もホテルの朝食より、大阪駅ガード下の「シオヤ」で温玉そばに稲荷寿司のほうが、酒飲みの朝食にはぴったりです。とにかく午前中に富山に戻らないと営業部長にどやしつけらるので、帰心矢の如し。


 この18日は私が富山市桜木町で一番お世話になっている「ラウンジ松本」の20周年記念パーティーもあって、定時に会社をでてパーティー会場に一目散。なかなかに盛り上がる素敵な夜になりました。


しかし翌19日は、元上司(定年退職組)が富山に来られているので、名門呉羽CCの立山コースへご案内。ゴルフの朝はしっかり食べるので、先日作って冷凍しておいたカレーとサフランライスでがっつりと。


スコアのほうはいつもどおりの107なれど、あがりの難ホールふたつで連続にパーをとり、出張疲れも感じさせないバケモノぶりを発揮しました。

しかし疲れを知らない52歳は、このあと帰宅して選択などに励んだ後に、18時3分の特急「しらさぎ」で再び大阪へ出張したんですね。我ながら人間の体力がもつ奥深さにあきれている次第であります。



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