山口瞳と東海林さだお。永遠の中年。

さきの3月11日に52歳となり(えらい日に生まれたもんやねえ)、さて俺はすでに初老と呼ばれなければならんのか、まだ中年と称していてよいのだろうかと考え込んでしまった。震災と原発のことは?もちろん考えていますとも。ただしこの稿は単にその日が誕生日だった人間の、個人のおもいであります。

社会人となった1982年ころ、周囲の50代はすべて初老に見えた。しかし爾来平均寿命は伸びに伸び、定年も55歳から60歳に延長されている。寿命が延びると人間は成長と老化のスピードが鈍化するらしいから、今の52歳はかつての42歳くらいなのかもしれない。少なくとも自分ではそう信じたい。

まあ世の中には「永遠の中年」とでも呼ぶべき人間もおり、私にとっては東海林さだおと山口瞳のお二人がそうなる。憧れますねえ。

1982〜83年のヒット曲です。懐かしい。

かつて中年というのは35歳〜45歳くらいを指していた。45を過ぎるともう「初老」と言われていた気がする。昭和50年代のころのことだ。当時40前だった東海林さだおは自らのことを「チューネン」と卑下していた。

33年前の本だもん。黄変もやむなし。

1978年発行の「ショージ君のゴキゲン日記」で「われら中年2名は・・・」などとモノしておられるけど、当時御大はまだ38歳だったはず。しかし国民の平均年齢が80を越している今日この頃、38歳は果たして中年か。御大ことしで75歳。最新刊の「アンパンの丸かじり」は明日アマゾンから届く。前作までは文体にいささかの衰えもなく、いったいこのひとは何時になったら中年から老年へとお引っ越しあそばすのかと驚かされている。明日も驚かせて欲しいもんだと熱望する。


中年の星、と言えば山口瞳。独断ですけど。江分利満氏シリーズや「居酒屋兆治」とかのイメージが強すぎるのかもしれない。晴子夫人へのインタビューで構成された「瞳さんと」は、一番身近な人間が語った評伝である。はたち前まだ鎌倉アカデミアの学生だった時分から亡くなるまでの山口瞳の人生と、彼を取り巻く親族血縁友人先輩後輩の摩訶不思議な人々が語りおろされている。

毎年4月1日のサントリー新聞広告で「新入社員諸君」とシリーズ物をやっていた。はじまったのが1978年で、私が同志社大学に入学した年だ。95年まで続いたから、サラリーマン人生のうち13年間、叱咤激励されていたことになる。
社長や役員から訓示を受けている感じでなく、二世代くらい上の「中堅・中年」から諭されている気分で、だから私は山口瞳を「永遠の中年」とおもってしまうのかもしれない。


自然な姿でモラリストであり得る、あこがれの中年男性。やせ我慢とちょっとした粋がりがまた素敵で。かっこいいなあと見上げていました。

ところで彼は「イッケツ主義者」と称して生涯浮気せずなどとエッセイに書きながら、銀座でどうやら一悶着あったらしい。でも夫人とは仲睦まじく、閉経後も夫婦関係を続けていたと告白されている。まあ「三十させごろ四十しごろ五十茣蓙むしり」などと申しますからねえ。ほの見えるかすかな生臭さがまたいいんです。

来るべき初老を前に、いかにして中年に踏みとどまるか。頑張るゾと。52回目の3月11日をむかえて、深く決意するものなのであります。

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