読後感は虚無感。角田光代に北方謙三。

秋の夜長と言えば大定番は読書である。もとより活字中毒の私にとって一番のシーズンが到来した。筈だったのだが。富山の秋を舐めてはいけない。12月以降4月中旬までゴルフ場が雪でクローズする土地柄なので、この時期は平日休日を問わずに業界のゴルフコンペが集中する。

ゴルフが終わってから市内に戻って、夕刻まで仕事をして19時頃から表彰式に懇親会というパターンが多いので、早朝から深夜までかなりの拘束時間となる。一次会でとっとと帰宅すればいいのに、なにしろ義理固いもんでおかげで連日の午前様、なかなか読書時間が確保できないのである。



面白そうな本は「毎日新聞」の書評とか「週刊文春」の書評で捜す。アマゾンの「おすすめ」も私の読書傾向を分析して選んでくるからついつい「カートに入れる」をクリックしてしまう。

いろんな時間をついばんで、睡眠不足と戦いながら読み進めてはいるんですけどね。

たとえばシリーズもので読んでる本は、それこを千秋のおもいで続きを待っているから、届き次第に徹夜でも何でもして一気に読んでしまう。北方謙三の「水滸伝」「楊令伝」に続いて展開されている宋代クロニクル「岳飛伝」なんかその際たるもの。どんどん話が荒唐無稽になるのが、これもどこまで話が転がるのか興味津々でやめられまへん。


守村大(もりむら しん) は、「週刊コミックモーニング」で「考える犬」とか「あいしてる」を連載していた人気漫画家だった。数年前より、突然都市生活に別れを告げて。福島県新白河で丸太小屋を建て、畑を開き、鶏を飼って自給自足生活を始めた。

色白く肥えた漫画家が、自然と向き合ううちに野生とそれに似合った肉体を得ていく。そのプロセスのなかで昨年3月11日にあの災害が発生する。新白河の丸太小屋は福島原発の避難エリアと指呼の間で、出版社が手配したガイガーカウンターは「危険」を促す数値を表示する。

守村は「自分も妻もいい年だし、これから子供を作るわけでもない。だから放射能と共存して生きて、かつ死んでいこう」と決心する。その判断は正しいのか間違っているのか、今の段階ではわからないけれど、私には人として健やかであり爽やかな判断であると思える。


デザインと言うとスケッチとかポスターとかの完成形を考えがちだが、近代以降のデザインには「絵」になる前の「構成」が必須である。特にワイマール時代にドイツで創立されたデザイン学校「バウハウス」は、近現代の商業/工業デザインの基本をほとんど確定した偉大な存在だ。ナチに追われてアメリカに移転したバウハウスが、アメリカの商工業に与えた、すなわち世界の商工業に与えた影響は計り知れない。

「美の構成学」は、美しく見えるものがいかに周到に構成されたものであるか、その技法をバウハウス以来の近代デザイン学の手法で分析してみせてくれる。

スペースシャトルから日常のおしゃれまで、あるいはふだんのお惣菜の盛り付けにたるまで、「美の構成」はついてまわる。それにいろんなトライをして、楽しむのが近現代人のビューティフルヒューマンライフなのである。その工夫を放棄して、ブランド品のマークに逃げる人間には「美」はわからない。


せっせと読まなきゃなんないのに、「積ん読」状態になってモスボールされている本もあまたあって、帰宅してそれらがおりなす山脈を見るにつけ、本の衝動買いはもうやめようと思う。でもそんなときにかぎって大好きな井上荒野が、あろうことか「猫」をテーマにした短編集を出しましたよ、なんてメールがアマゾンから届くのである。どうしたって買ってしまいますよねえ。


本を読むために節約するのは、睡眠時間だけにあらず。たまさか6時過ぎに帰宅できたおりに、あえて自炊に取り組まず、まずは一冊を手にとって読み始める。読み終わるまでは晩メシにしない。そして一気呵成に読み上げて、空腹を抱えて我が愛する吉野家へ。牛鍋丼に豆腐と白滝を追加しさらにサラダと味噌汁を添える。なんと贅沢な。気分はロックフェラーなり。


ああ恥ずかしの「積ん読」の山。拙宅にはかような印刷物の集積地が5ヶ所ばかり存在しており、ゲンミツには数えてないけど、100冊ちかくがページを繰られるのを待っている。後宮幾百名といえばまるで秦の始皇帝かくやだが、未読本百幾冊というのはいかがなものか。

昨夜はそうやってつくりだした2時間余で、角田光代の「月と雷」を読んだ。これは女にしか書けない運命小説であり、愛も恋もコトバにでてこないけど恋愛小説でもある。上梓を重ねるほどに凄みの増す作家っているんだな、と。ネタバレになってはいけないからこれ以上内容は紹介しないけど、
ぜひご一読をおすすめする。


角田光代・井上荒野・川上弘美・絲山秋子。当節日本の誇れるものは女流小説家なのかもしれない。4人とも読後に残るいい感じの虚無感がたまらない。いい小説は読後に問題意識や過剰な感動を残さず、空白感というか虚無感を残すのだ、と言ったのは開高健だったが。

そして心の虚無感を埋めるものは何か。開高いわく、それはもう酒しかなくて。イソイソと桜木町へご出勤し、夜が更けるまでウィスキーで精神のジグソーパズルを組み上げるんですな。たぶん今夜も。

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