薩摩長州はテロ国家だったのか。司馬遼太郎に真っ向から対立の本。半分に割れた眼鏡の謎。「東」のビーフン、「はしご」のだんだんめん。日常の足となった北陸新幹線。

泥沼のような対中国戦争~国家を滅ぼした太平洋戦争と、日本を無茶苦茶にしたのはひとえに「明治維新」という歴史的過誤なんであると、司馬遼太郎的歴史観に真っ向からたちむかう「思想」の本でした。まあこういうものの見方もあるのでしょう。

幕末の薩摩長州などは今でいうイスラム国家のごときテロ国家であり、吉田松陰は撥ねっかえりの暗殺マニア。阪本竜馬は寺内毅が自分に箔をつけるためにムリヤリ引っ張りだした、じつはグラバー商会の営業マンと、いやはや痛快。

たしかにわれわれ(とりわけ中年以上の)日本人にとって幕末とは事実に基づく歴史書で学んだものではなく、司馬遼太郎さんが夢に描いた「小説」で感じたものにすぎないのかもしれませんね。


そんな本やらこんな本やらを読みつつ、出張に次ぐ出張が続いています。五十路の老骨にこたえること。若いころのようにホテルは「酔って寝るだけ」ではもはや厳しくて、すこしはゆとりがないと連泊がこたえるようになりました。今回の宿は田町のセレスティン。


新橋方面で打ち合わせがあり、お昼に新橋駅前ビル「東」にてビーフンとパーツァン(肉チマキ)を。この店はその昔に大阪の宇治電ビル裏に会って、30代の頃はよく行ったもんです。しかしあのころは炒めビーフンの「大」にチマキつけて平気だったけど、今じゃ「小」ででも厳しいありさま。老化は胃袋からも着実にやってまいります。


2泊目の朝、ホテル前の歩道にこんなものが。乱闘か、事故か。何らかの悲劇が持ち主にもたらされたことは間違いないと思いますね。この先3メートルほどの所にレンズも落ちていました。


やっぱし銀座汐留方面でお仕事をしていたら、デフォルトのお昼はこれでしょう。30年間食べて飽きない「はしご」の「だんだんめん」で、店内はわが社の東京本社社員とおぼしき人間が半分以上を占めておりました。一人で来店して私の隣に座った某役員は「大辛・とにかく激辛で」と注文されていて、過激な食生活は社の伝統であることをつくづく悟った次第です。


午後からの打ち合わせやら収録やら商談やらの三段積み仕事を何とかふらふらになりながらこなして、北陸伊新幹線の車中へ。片道2時間は、弁当食ってビール飲んで、本をパラパラとよんでいたらあっという間ですね。しかし東京へ金沢経由大阪へと、毎週3度も4度も新幹線を利用して、完全に日常の足ととなってしまいました。


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