なんちゃって「霊的体験」が続く

先日は蜀山人の誕生日にその狂歌を紹介したが、もとより記念日であることなど知らず、全く偶然の所産である。なにものにか引き寄せられたとしか思えない。

妙な符合ってあるもので、深夜ふと目覚めて枕もとの時計を確認して見ると、デジタル数字が3:33とか4:44を指していたりする。幾度もあるので、そんなタイミングで覚醒する不思議なしかも何の役にも立たない能力があるのかしらんとも思う。ただし、6:66で目覚めたことだけはない。オーメンの呪いにはまだ捕捉されていない模様である。

蜀山人のことを記すにあたって、内田百閒を引用した。そんなちょっとした引っ掛かりながら、百鬼園先生に思いが移って、一昨日(4月19日)に直接の著作ではないけれど「百鬼園写真帖」と「別冊太陽・内田百閒・イヤダカライヤダ」をアマゾンに注文した。プライム会員の威力で、昨日帰宅したらすでに宅配ボックスに到着していた。


明治・大正・昭和の写真満載


百閒は借金の達人であった。本人は「錬金術」と呼び、その複雑な金のやり取りを記載した「錬金帳」なる記録簿だけは弟子にも見せなかったという。その奥義とは。
・・・人はよく、お金の有り難味と云う事を申すけれど、お金の有り難味の、その本来の妙締は借金したお金の中にのみ存するのである。汗水たらして儲けたお金と云うのも、ただそれだけでは、お金は粗である。自分が汗水たらして、儲からず、即ち他人の汗水たらして、儲けた金を借金する。その時、お金の有難味に味到する・・

百鬼園先生の錬金術とは、まさに無から有を生じせしめる妙技であって、独文学者らしく、ゲーテのファウストにあるメフィストテレスの言説を「第二阿房列車・長崎の鴉」巻末に引いている。

・・・あなた方がお入り用のお金は作って進ぜませう、いやお入用以上ものを。
  全く造作もない事で御座いますが、さてその造作もない事が六づかしいので、
  お金は現にもうそこにある、そのそこにあるお金を手に入れるのが
  術というもので御座います。さてあなたにそれができますかな・・

ただし、百閒は素人が錬金に手を出すことを諌めていた。「術」だけにその妙を発揮できない人間が中途半端に行なうと「友人を無くし・一家離散」となると。生兵法は怪我のもと、というわけか。


先生ゴメンナサイ。そのうち正立させます。

鉄道と、猫と、箏の演奏を、一日一度のご馳走と酒の次に愛した、傲岸不遜にして人嫌い、いつも口をへの字に曲げた百鬼園先生は、一面で教え子たちに最後まで慕われる奇特の人でもあった。名誉褒章を好まず、芸術院会員に補せられたときは、ただ一言「イヤダカライヤダ」と断った。

今朝の北日本新聞「天地人」に、
・・「なんにも用事がないけれど」といって「阿房列車」で方々へ出かけたのは、きのうが命日の内田百閒だった。用事がないのに各地で散財したこの百鬼園先生は、観光立国の先駆けだったのかもしれない。さて、どこへ行こう・・

百閒の本が届いたきのうは先生の41回目の命日だったのである。なんだか霊的なものを感じてしまって朝から落ち着かない気分である。死せる孔明生ける仲達を走らす。私は何をすればいいんでしょうか。泉下の大先生。

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