8月1日は富山大空襲鎮魂花火大会で。

67年前つまり1945年8月1日の夜半、米軍は事前予告をしたうえでB29爆撃機174機からなる大編隊をもって富山に殺到した。市街地の99.5%が焼失し、死者は2737名に及ぶ。広島・長崎を除く地方都市が空襲で受けた被害としては最大で、人口1000名あたりの死者・負傷者の割合も地方空襲では最多となる。この空襲で古い建築物はことごとく失われ、町並みは変容した。


この空襲をひとびとの記憶におしとどめ、鎮魂と平和祈念への精神を忘れないために昭和22年から北日本新聞社主催で行なわれるようになったのが、この花火大会である。


とはいえ、戦後67年。その記憶はほとんど風化してしまい、花火大会を訪れる人々のかんばせに鬼哭啾々たるものは全く見受けられない。ここ数年来、市内中心部の平和通りでは、車と市電をシャットアウトして街を巨大露天ビアテラスとしてしまっている。打ち上げられる花火を見上げながら生ビールを飲もうというのである。鎮魂の花火もいまやお祭りと化してしまっているのだ。


何のかんのと言ってはみても、つまるところ私もその群衆の中に身を投じ、緋も明るいうちから焼きそばやカラアゲをアテにして、「やっぱり外で飲むビールは格別じゃのう」などと言いもって杯を重ねていたのだから全くどうしようもない。あまつさえ立山連峰から吹き下ろしてくる風が涼しく心地よく、本当にビールがウマくてしようがないのである。竜頭蛇尾もいいところである。


「た〜ま〜や〜」「か〜ぎ〜や〜」なんて気楽に飲んでいると「わしのこと呼んだんけ?」と、名字に「玉」の付く業界の大先輩が我々のテーブルに乱入してきた。酔漢大歓迎の原則にのっとって歓待もうしあげた。

よしときゃいいのに、さらに合従と聯繋がくり返され、総勢7名になった時点で花火が終了したのに、「もう一軒行かんまいけ」とつぶやいた人間に皆が賛同してしまった。ラウンジ「くらくら」バー「サン・ルイ」スナック「松本」へとハシゴが続き、家に帰ったのは午前何時だったか。


当然のことながら翌日はきちんと二日酔い。会社のデスクで宇治金時ミルクバーなどという面妖なアイスバーをかじりながら、営業報告書なんか作成してよけいに気分悪くなったりして。


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