暑さに負けるな。心頭滅却すれば火もまた涼し。

暑いからって冷たいものばかり食べて冷房のなかばかりにいては、快適ではあるけれどどこか身体のリズムが狂ってくるような。暑さにはより一層の熱い態度で対峙してそれを超越してみせるのが真の消夏法ではないのか。

ワイシャツに塩が染み出るような夏の外回り。水滴のまつわりついたジョッキに生ビールは生活必需品ではあるけれど、そのお供に枝豆とか冷奴ばかりじゃ闘う明日の体力につながりませぬ。沸々と煮えたぎる土鍋の麻婆豆腐に大盛りの飯。最後のひと汗までかききってしまえば、店を出るときに一陣の涼風を感じること必定である。


ハチのムサシは死んだのさ~お日様目がけて剣を抜き~焼かれて落ちて死んだのさ~(1972年平田隆夫とセルスターズ)ええと歳がばれてしまうな。この唄は学生運動の鎮魂歌と言われているけれど。当年53歳のサラリーマンは、炎天下の平日ゴルフに剣ならぬゴルフクラブを振り回して。ああ、ハチのムサシは向こう見ずなんだから


ほとんど無風のコースに直上から気温35度の熱を携えた日光が矢のように降りそそいで。この日ご一緒したお取引先様は「雨男」の評判も高いお方だったので、せめて夕立でも降らせていただけるかと期待したものの。ヒマラヤ高気圧は日本の雨師のひそやかな神通力など気にする風情すら見せずに灼熱を思うがままに放散し続けたのだった。


ゴルフ終了後にそのまま東京へ。炎熱でぼうっとしたまんま富山~越後湯沢間の「特急はくたか」に乗り込んだら、いきなり車内中の乗客が持つ携帯電話が大合唱で「緊急地震速報」と。

「奈良で震度5強」と聞いて、兵庫県川西の実家にあわてて電話すると「何も揺れてないわよ」と母親の声。あとでわかったけど気象庁の大誤報で、おかげで「はくたか」は30分遅れで越後湯沢に着き、接続の上越新幹線も間に合わず。合計で1時間強の遅れをもって上野へ到着した。


過酷な18ホールの間もその後も水分補給はきちんとやっていたけど、アルコールは断っていたので上野駅出口御徒町本通りの「富山湾直送 魚万歳」で飲んだキリン一番搾りは生涯でいちばんののど越しであったような。


まあ東京へ着いておとなしく夜をすごすわけもなく。あちらのお馴染にこちらのご無沙汰へと、銀座新橋有楽町と蝶のごとくにひらひらとすごせば。いつか午前零時を回って小腹も空いて。

まんずこのあたりでラーメンとなれば「はしご」の「だんだんめん」と、ここ30年ぐらいそう決まってしまっているのでこの夜もきちんと伺候した。3分の1世紀にわたり幾百度となく深夜に食べているのに未だに飽きない。

ラー油と胡椒をこれでもかとぶち込んで食うから、舌だけでなく胃壁もヒリヒリするのが楽しい。春夏秋冬いつ喰ってもいいけど、夏の夜に辛さのあまり暑さすら呆然と忘れて食らいつくのが一番かな。


お江戸から戻ってきたらまたゴルフで、土曜日は名門「呉羽カントリークラブ」へ。日本中のあちらこちらで最高気温が40℃を突破したその日に。遮蔽物がほとんどない炎天下のコースで、ときに頭から水をかぶり、ぬれたタオルで首筋を覆い、死ぬ死ぬといいながら途中休憩なしで18ホールを回りきった。
現代の偉業として尊敬されてもいいかもしれないね。しかしさらに我々の横でクラブを運び深いラフに沈んだボールを捜し、ピンを抜きグリーンを読んでくださったキャディさんはさらに尊崇されるべきだと思う。お疲れ様でした。


ゴルフの後は宴会で、相当な時間まで桜木町をハシゴした。ええとA家で会食して、Pで焼酎の水割りADでハイボールとカラオケ、Kでハイボール、Rでさらにハイボールとカラオケ。富山ケンミンは相当に丈夫にできていると見える。わが兄弟みな竜虎の如く猛康なり、鈍劣弱小余の如きもまた凡にあらざりき。暑熱もって懼るるに足らず。

快川禅師いわく「心頭滅却すれば火もまた凉し」と。

飲膳正要に記された「食補」のあり方とは、疲れた脾臓を養うに他の動物の脾臓を持ってその衰えを癒すということにある(らしい)。飲みすぎで疲れているであろう肝臓と、連続のゴルフで痛んでいるであろう筋肉を労わってやるために、昨夜はひとり焼肉屋へと。レバーと中落ちカルビを焼き、たちまち体力が回復してゆくのを身体で感じていた。


暑さには熱さで応えてやるのが一番で、素麺に冷奴(どっちも好物ではあるけどね)ばかりに逃げていてはいまやかつての東南アジア並みとなったわが国の暑熱には勝てない。

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