北浜あたりのダブダブ文化

馬齢を重ねて50年。人生のハーフターンをすぎると、無用の我慢などしていられない。もはや食事は快楽のためであって健康のためではない。食欲旺盛に好きなものをがっついていられるのも、食道ガンや大腸ガン、その他痛風・糖尿・慢性肝炎にかかるまでのわずかな年数でしかないから、食養生など関係なく、好きなものを食って生きている。たぶん、独身にして独居生活がそれに輪をかけているに相違ない。




私の畢生の好物に「すきやき」があって、いつでも食べたいのだけれど、とりわけ富山市でこれを食することはなかなかの難事である。

グーグルで検索しても、市内にすき焼きを提供する店が皆無に近い。しゃぶしゃぶの専門店なら何軒でもあるのにね。そういうわけで、思い立って出かけるわけにはいかないんである。

おまけに、こればっかりはひとりで食べるわけにいかない。スキヤキは小鍋立てで粋に楽しむものではないような気がする。湯気を浴びながら中の良い友人知人と談笑し、顔は笑いながらも、鍋の中の肉の残量にすばやく目を走らせて、おのれの胃を満たすだけの肉片を確保にかかる。これが醍醐味で、見えざる争闘が味覚に一層の磨きをかけるのである。ゆえに吾人は「食べ放題」の店に近寄ったりしてはならない。興を削ぐこと必定である。

もっとも市内に一軒だけ「はやし」なる名店があって、法政大学野球部出身のご主人が店を切り盛りしているのだとか。ぜひ参上したいものの、他にも難条件はあって、周辺を誘うと「すき焼きは甘いから太る」とか「店が遠いからいやだ」とか、ネガティブリアクションばかり伝わってくる。誰か一緒に行ってくれないかなあ。



普段は脂濃くて敬遠する霜降り肉も、スキヤキにするとおいしいと思う。肉から溶け出した脂が葱や焼き豆腐に絡み付いて、その味を二段階ほどもメタルモフォーゼさせる。翌朝、細かい肉片やら豆腐のかけらやらがへばりつく鍋に冷やご飯投入して、ぐしゃらぐしゃらかき混ぜて再加熱したものも至味である。肉が上質であるほどこいつは堪らぬ魔味となる。宴果てて翌日に、冷酒の一本とともにこいつを差し出すような女がいれば、人生もまだ捨てたものではないかも知れぬ。



すき焼きに使う葱は、できることなら関西風の青葱がのぞましい。京都の九条葱が入手できれば最高である。葱に、焼き豆腐、丁子麩。それくらいでシンプルに仕立てるほうが私には好もしい。しかしせっかく友人知人と囲む鍋なので、玉葱やしらたき、椎茸にゴボウが入るくらいまでなら許すことが出来る。許容できないのは白菜で、河豚チリじゃあるまいし。鍋全体が水っぽくなるからできることならご勘弁いただきたい。

ところで今日は、大阪は北浜にある怪食堂「ニューハマヤ」の屑肉定食について記すつもりであったのに、肉のことを考えていたらスキヤキになってしまった。塩分と脂とカロリーの塊みたいな名物定食はまたの機会に。

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