ポスト構造主義のジャンジャンブル。

先年亡くなった哲学者のレヴィ・ストロースは、構造主義の大家だった。「悲しき熱帯」などフィールドワークから、文明と知の構造を解明しようとした。彼の主張で面白かったのが、

料理手段と文明の進化。に関することだった。

「焼く」料理法は文明的に未開であり、それだけに儀式的である。「煮る」料理法は火と鍋の間に水なりスープなりが媒介するだけより文明的である。したがって、焼いた肉を煮ることはあっても、煮た肉を焼くことは文明の進化論的にありえないと。まあそんなことを述べておられたんですね。

懐かしの復刻缶。


正しき哲学の徒である私は、長いことその構造主義に準じて、煮込み料理の先験的手段として「リソレ」つまり、肉の表面を焼き固めて肉の旨味を封じ込めてから、やおらブイヨンなりカレーソースなりで煮込むことにしていたんです。

然るに、近日。薄切り豚肉とキュウリを炒め合わせる際に、薄切り肉どうしがひっつきあってしまい、場面を打開する間にキュウリに火が通り過ぎて歯応えをなくすという失敗をやってしまって。

翌日再度挑戦する際に、炒める前にいっぺん肉を湯通ししたらどないなねん、と思い達して試してみたんですね。中華料理の「油通し」のホリゾン的発想ですな。独身のキッチンで、リットル単位の油を使いこなすのは大変やけどお湯ならなんとかなると。

やってみるとこれが正解。軽く湯通しした肉はお互いがひっつきあう惨劇を演じることなく、一切れごとがインディビデュアルでありました。しかも、表面の脂が流れ落ちているんで、味の沁み込みががまるでプロのようで。欣喜雀躍。

ポール・エマンセ・ソース・オ・ジャンジャンブル・アラ・ポスト・モダニーズ

今夜は生姜焼きを作って、ビールに焼酎を呷っていたのでありますが、同じ手法で、ポスト構造主義的に調理したおかげで、メシより酒にあう、奇跡的な生姜焼きになりました。

常識っていうヤツと、おさらばした時に、自由という名のキップが手に入る
おおハッピーじゃないか~

年がバレますね。

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