旧約聖書・夕食難民と草食中年男子について。

本日、阪神タイガースはソフトバンクホークスに、実に後味の悪い敗北を喫した。選手に対する正しい評価と信頼があれば、終盤で逆転劇を演じることができたかもしれない。しかし真弓明信はファンほどにも選手を信用していなかった。いまのタイガースに必要なのは愛と信頼である。ペナントレースに影を落としそうな今夜の敗戦に、私の心境は複雑を極める。

阪神タイガースファンがいだくフクザツな心象に関しては旧約聖書「ヨブ記」にさえ掲出されている。




「ヨブはウツの地の住民でも特に高潔であった。サタンは富める人であるヨブの信仰こそは利益を期待してのものであって、財産を失えば神に面と向かって呪うであろうと神に示唆した」
神はヨブの財産・7人の子供たちを取り上げ、ヨブを絶望の淵におとした。しかし、ヨブは最愛の人や財産すら失っても無垢であり信仰を捨てることがなかった。サタンはヨブ自身に当時の業病である皮膚病を感染させ、さらに神に対する態度を推し量った。ヨブの妻は神と信仰を疑おうとした。

「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは(阪)神から幸福をいただいているのだから、不幸もいただこうではないか」と。

私は手ずから用意した晩餐をしたためつつ、銘酒立山を傾けながらテレビ画面を眺めていた。

残念ながら越中の地で阪神戦を悉く観戦するには艱難辛苦がつきまとう。3チャンネルしかない民放はタイガースに全く冷淡である。読売新聞の創始者・正力松太郎が生誕した富山県であるからして、県民の過半数はジャイアンツファンなのでたまにある野球中継はほとんど巨人戦となる。

しかたがないのでチャンネルの設定に問題が多い富山ケーブルテレビとスカバーを駆使して、さらにTBSの有料チャンネル(横浜主催の阪神戦)とフジテレビの有料チャンネル(ヤクルト主催の阪神戦)を観戦するために年間に数万円の視聴料を敢然として支払っている。でもまあそんなことはどうでもいい。それくらいの投資は阪神ファンとしてはア・プリオリな手段でしかない。私にとってのタイガースはすでにトランツェンデンタルな存在なのだから。

前説が長いのがこのサイトの特徴なのだけれど、今日の敗戦はともかくとして阪神ファンにとって越中の地は「晩飯を喰いつつ一杯やりながらナイターを観戦する」のにまったく不都合な土地なのである。どこの居酒屋に行っても阪神戦など映ってはいない。近畿圏ならおっさんの行く居酒屋立ち飲み屋の過半数はサンテレビボックス席が放映されていると言うのに。

したがって、私は中継環境が整備されている自宅で応援するしかないのである。カレーとピザしか出前のないこの土地では、酒肴は自ら調達するしかない。ナイター観戦を貫くためには自炊以外では夕食難民となるしか選択肢がないのである。

で、今夜。風雨常ならぬほど兇悪にして、会社の帰途に買い物をする余地もなく、日ごろ蓄えた乾物が活躍する夕餉となった。




高野豆腐と人参を炊いてみた。北陸ではかような小片の高野豆腐を「味噌汁用」として販売している。煮上がりが早いし味沁みがいいので、帰宅後のクイッククッキングに好適。




金沢名物の車麩は、品の良い出し汁で煮込んでやると、オニオングラタンスープに浮かぶフランスパンのようなテクスチュアになる。硬い皮(クラム)の部分のようにいい歯応えと、フレンチトーストのような柔らかさの対比がたまらない。先日の山菜採りで収穫した天然の木の芽をあしらって。





こいつは実に簡単な酒肴で、大根おろしに瓶詰めの鮭フレークを混ぜ合わせて葱を散らしただけ。だし醤油をかけまわして、日本酒に良し、飯にさらに良し。丸谷才一のエッセイによるならば、故田中角栄は、宴席に出ても目前のご馳走に手を付けず、帰宅後に焼き鮭のほぐし身と大根おろしを混ぜ込んで、醤油をかけまわして丼飯と水割りを楽しんだとか。田中門下の俊秀である小沢一郎も師を真似てこいつを頻用しているのだろうか。







メインディッシュは、明後日が賞味期限で冷蔵庫に寝ていた豆腐を使った。麺つゆを水に希釈して、蓮華で適当に崩した豆腐を投入し、温めただけのもの。葱を散らして、立山に最適の好下物となった。

わずかな鮭の身を除いては、すべて精進ものである。獅子文六によれば人間鬼籍に入らんとする頃になると、坊主の好むような物を食するようになるらしいけれど。肉食獣の最たるものである虎がまるで恬淡とした戦いぶりを演じている昨今、ファンもまた草食とならざるを得ないのか。

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